ヤレるもんならヤってみやがれ

 銀のおくるみに包まれた赤ん坊がむずがり始めた。火がついたように泣き出す。

 ニコルは、ともすれば前のめりになりかけるのをこらえ、端的に言った。

「結論から言います、死ぬなんて口が裂けても言っちゃいけない。ましてや赤ちゃんと一緒にだなんて」


 氷雪が殴りつけるように頰を打つ。

 軍衣の裾が激しくばたつき、めくれ上がった。冷たいなどという生ぬるい状態を通り越し、えんえんと横っ面をひっぱたかれ続けているような気さえした。まともに眼すら開けていられない。


「寒いからさっさと話を終わらせますね。そこから見えるかな、僕の眼の色」

 ニコルは、真っ白に凍りついたメガネをはずした。ただでさえ夜目がきかないというのに、メガネを外せば余計に輪をかけて何も見えなくなる。


「暗くて見えないかもしれないけど、僕も薔薇の瞳を――忌むべきルーンの血を、を受け継いでいる。確かにルーンの血を引いてて良いことなんて何もなかったし、口では言い表せないようなひどいこともいっぱいあった。でも、マイヤも義母さまも、それでも僕に、生きてていいよ、って言ってくれたんだ」

 言葉を切る。


 いつもは心の奥底に鍵をかけて閉じ込めているあの光景を、ニコルはあえて思い浮かべた。

 闇の中、炎が燃え盛る。銀の槍を血に染めた神殿騎士。幾重にも重なり響き渡る聖歌の合唱。鐘の音。地響きのような足音。何もかもが今と同じだった。


 虚無ウィルドの聖女レイリカを神殿から連れ去り、その命を奪った罪。封殺ナウシズの魔女マイヤは、謂れなき謗りをあえて否定することなく、自ら死の定めを甘受した。


「でも、本当は、ずっと、それがつらかったんだ。僕を守ろうとしてくれたせいで、そのひとたちをもっとひどいめに遭わせたかもしれないって思うとさ。いっそ、諦めて逃げてしまえば楽になれるのに、って。でも、やっぱり、そうじゃないんだ。何があったって守りたい、守ってあげたいって思うのが、人として当たり前なんだ」


 あのとき、マイヤは自らの命と引き換えに、決して解けることのない希望という名の呪いをニコルへとかけたのだ。

 たとえこの身が朽ち果てようとも大丈夫。わたしが封殺ナウシズの聖女として永遠に貴女を守ってあげる。だから。


 生きて、と。


 託された希望が、あまりにも重く。あまりにも恐ろしく。


 ずっと正視できずにいた真実の記憶と、ニコルは今、ようやく向き合うことができたような気がした。命と引き換えにすることでしかニコルを守れなかったマイヤとは違って、今の自分には、助けてくれる力がある。自分になら、できる。

 両腕のルーンそれぞれに触れ、かぶりを振って。

 心の底のわだかまりに別れを告げる。次に口を開いたとき、ニコルは顔いっぱいにくしゃくしゃの笑顔を浮かべていた。


「だから、僕は『死んでもあなたたちを護る』だなんて悲しいことは言いません。生きて、笑って、平然とカッコよくあなたたちを救ってみせます」


 赤子を抱いた母親が、愕然と目を見開く。

「聖騎士さま……」

「そこでじっとしててください。危険ですから絶対に動かないで。必ず、貴女とレイリアちゃんの二人を、無事にここから連れ出します」


 ニコルはメガネを掛け直した。舞い上がる地吹雪にぼやけていた視界が、驚くほど明晰になる。まるで、目に見えないシャボン玉に包み込まれているかのようだった。


「んん? 何だこりゃ」

 やや、気を呑まれて、指先で泡の表面に触れる。割れない。ぷにぷにと揺れて、虹色の波紋を広げてゆくのみだ。


「俺様をいったい誰だと思ってるんだ? イーサの守護騎士様だぞ?」

 せせら笑うようなアンドレーエの声が耳に届いた。

「貴公に《静寂》の加護を与える、だ。そこにいれば寒くないだろ?」


 ニコルは、ぽむ、と手を叩いた。

「あっ! なるほど、そうか。これが《静寂》のイーサ……」

「さすがはアンドレーエさん、ステキ! 有能! カッコいい! の褒め言葉はどうした?」

「さすがはアンドレーエさんステキユウノウカッコイイ。珍しく気がきくじゃないですか!」

「だろ? だろ? ん? 珍しく?」

 これならば赤ん坊とその母親が寒さに凍えることはない。風も雪もこのシャボン玉の中にいる限りは届かないはずだ。


「じゃ、そのまま動かさないようお願いします」

 これで後顧の憂いは断ち切った。ニコルは無駄に自信たっぷりな調子で含み笑った。鼻に乗せたメガネを、指でくいと押し上げる。

「おい。そこから出たら奴らの真正面だぞ。どうする気だ」

「貴公は僕をいったい誰だと思ってるんです」


 ニコルは、別人のように不敵な面がまえを作ってみせた。

 泡の外に歩み出る。

 再び、突風が白く横っ面を張り飛ばすほど吹き付けてきた。

 ふらつきそうになるのをこらえ、唇をかたく引き結び、おもてをあげて、ぐい、と。

 神殿騎士の一団を睨み回す。


「そちらの怖い顔をした皆さん。狭い橋の上でわーわー騒がれると危ないんで、それ以上、こっちに近づかないでいてくれませんか」

 手を前へ突き出し、来るなの合図を送る。


「余計な口を出すな。国軍の若造風情が!」

 神殿騎士が一触即発に嘲った。

「そこを退け、小僧!」

「ちょこざいな!」

 口々に罵る。


「ええー、どうしよー困ったなー。退けと言われて素直に退く馬鹿なんてこの世にいます?」

 ニコルは腰に手を当て、首を傾げ、困った顔をしてみせた。

「邪魔立てすれば命はない!」

 威圧するかのような怒号が返ってくる。


「なるほど。いない。了解です」

 ニコルは小難しい顔で、ウムウムとうなずいた。

 どうやら神殿騎士の連中は、聖女を奪われた汚名を返上しようと血気にはやるあまり、話を聞く耳までどこかに吹っ飛ばしてしまったらしい。

「ずいぶんとお安い騎士道だ。よろしい。その喧嘩、半値八掛け二割引で買いましょう」


 ニコルは両腕に装備した二柱のルーンをゆらりとまたたかせ、防御結界の構えを取った。

「これでも公国最強の闇属性使い、またの名を最強のお飾り元帥の名をほしいままにする身です」


 闇に溶け出すルーンの霊光が、交差する円を描いて飛ぶ蛍のように、光の尾を引いて瞬く。うっすら笑うニコルの横顔を、赤と青に明滅する微光が照らし出した。


「……ヤレるもんならヤってみやがれ、ですよ!」

 ニコルは肩をいからせ、ふん、と息を強く吐いた。

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