4 凡ては神の定めたもうた運命

4ー1 凡ては神の定めたもうた運命

「さて」

 ザフエルがこわばった空気を払いのける口火を切った。

「この後、どのようにいたしましょうか。もし、昼食をお取りになりたいようでしたら食堂へご案内いたしますが」

 まるで何も起こっていないかのような物言いに、ニコルは呆然と振り返った。ザフエルの表情を伺う。いつもと同じ、感情のかけらをもうかがわせない無感動な鉄の仮面。だが、ゆらめきのない、かげりすらない漆黒の瞳には、ニコルの素顔がまるで鏡のように映りこんでいる。


「ザフエルさん」

「はい、閣下」

 即座に声が反射して返ってくる。その迷いのない響きが、あまりにも心地よすぎて。


 ニコルは動揺して眼をしばたたかせた。

 ともすれば、その完璧さに甘えてしまう。ザフエルの判断にすべてをゆだねれば間違いない、と。

 それだけは絶対にと。あれだけ釘を刺されたにもかかわらず。


 声が出ない。喉を押さえる。


「ご指示を」

 ザフエルは穏やかにニコルをうながす。

「いや、えっと、あの、つまり、こういうときってその、ど、ど、」

 何を言いたかったのかすら自分でも分からなくなって口ごもる。ぶしつけな態度をとるチェシーに、公女であるシャーリアをあのように扱わせてもいいのか。あのように――後を追わせても、いいのか。止めなくて、いいのか、と。


 ザフエルは、かすかにうなずく。

「御意」

「え?」

「ご随意にと申し上げました」

「は? 何言ってるんだ当然この後は昼メシだろもちろん俺といっしょに樽酒を浴びるほどかっ食ら――痛えッ何しやがる!」

「つくづく粗暴ですな、アンドレーエ卿は」

 アンドレーエが尻を押さえ飛び上がる傍らで、何処吹く風のザフエルがぼそりと言う。

「一度、馬に蹴られてみてはいかがです」

「何だと! せっかくタダ酒にありつく好機だというのに」

「そのようなだだをこねられているから、卿はいつまでたってもおモテにならないのです」

「真顔で正論かますな。一言で心がへし折れたわ」


 ぎゃあぎゃあと不毛に言い争うアンドレーエとザフエルを後目に、ニコルは再度、頭の中でさまざまなことを思いつめた。唇を噛み、ザフエルを見返し、噴水の向こうに去っていったチェシーとシャーリアの影を追い。


 白銀を頂く峻険な雪山を遙かに望み、上空を見渡す。鷹が舞っている。トパーズ色をした猛禽の目が、見えたような気がした。


「僕、行ってきます」

 決断を下す。

 寒さを打ち消すように、言葉尻を強くして続ける。

「殿下にお詫びを申し上げてきます。あの調子じゃチェシーさんも何しでかすやら分からないし、もし、僕らの目の届かないところで喧嘩し始めたりしたら、絶対ろくな結果にならない」

「好きになさるがよろしいでしょう」


「アーテュラスさま、わたくしも一緒にまいりますわ」

 レイディ・ユーディットが息せき切って口を挟む。

 ニコルはメガネを白く光らせ、かぶりを振った。

「いいえ、レイディ。貴女はザフエルさんと一緒にいてください。そのほうが僕も安心です。ザフエルさん、すみません。しばらく席をはずします」


 ニコルは言い置いて、身をひるがえす。


 取り残されたレイディ・ユーディットは、一瞬、狼狽の表情を浮かべ、ザフエルを振り返った。

 たずねるように視線を探る。

 だが、ザフエルはニコルの後ろ姿を注視したまま、ひくりとも眉を動かさなかった。

「兄さま……わたくし、どうすれば」

 声を掛けても、ザフエルの視線を取り戻すことはできない。

 ザフエルはようやく意識を妹へと戻した。

「小アーテュラス卿をお助けせよ。何をしている。ぐずぐずするな」

 冷淡な声音だった。



「仰せのままに」

 レイディ・ユーディットは青ざめた微笑をつくり、後ずさった。

 こわばった顔でお辞儀をし、あわゆきのようなドレスの裾をひいて去ってゆく。


 ざわざわと風が鳴る。

 残ったのは苦虫を噛みつぶしたような空気だけだった。


「まったく、この寸劇の台本は誰が書いたんだ」

 アンドレーエは、ぽかりと抜け落ちた雰囲気に、いかにもうんざりした様子を見せて笑った。

「三文芝居にもほどがあるぞ、ホーラダイン」

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