【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
あらいやだ。ニコルさん、女は夢をあきらめちゃいけないのよ
あらいやだ。ニコルさん、女は夢をあきらめちゃいけないのよ
(くううっ)
そうこうするうち、ない袖を悔し涙でびしょびしょに濡らした悪魔が、瓦礫の奥から這い出してきた。
哀れ、縫い目はほつれにほつれ、黒いうさ耳の根本からは、綿のたんこぶがはみ出している。
(この人でなし、鬼、悪魔ああああッ!)
「うんうん分かるよその気持ち」
喚き散らす姿に、ニコルは思わずしんみりともらい泣きする。この切なさと喪失感は、直におちょくられてみないと決して分からない。それなのに。
「過賞なる評価、痛み入るね」
この男と来たら、至極けろりとした顔で肩をすくめる有り様だ。
(これだから人間は嫌いなんだ!)
泣き濡れながらル・フェは宙へと舞い上がり、下級悪魔を召喚し始めた。
ぬいぐるみのお腹から青黒い微光が放たれる。降りしきるにわか雨にも似た音を立てて、銀の霧が中空に滲み出た。
《封殺のナウシズ》が反応する。
ニコルは冷たさを伝えるルーンを手で覆った。
やがて、銀の霧は寄り集まり、蛇のようにくねって、鉄羽をまとった二匹の下級悪魔へと変わった。妖婉な物腰で互いの両腕をからめ合い、扇情的な椅子の形状へと変化してゆく。
「まあ、何て表象的なのかしら!」
レディ・アーテュラスは賛嘆の声を上げた。
うっとりと両手を結び合わせ、蠱惑されつくした目を輝かせて、椅子の背にしなだれかかる。
「《悪魔の椅子》! まさに聖と俗、生と死と美と醜の暗喩に満ちた連環の装飾! わたくし感動いたしましたわ悪魔さん。どうか、この椅子をお譲りいただけないかしら? 芸術と文化の完全なる調和とその表現の功罪について、サロンにお招きしたお友達の皆様と一緒に、是が非にも熱く語り合いたいの!」
……。
「あのう」
ニコルはごほんとひとつ咳払いした。
「大変申し上げにくいのですが」
「なあにニコルさん」
「その椅子、下手に衝撃を与えると爆発するような気が」
「あらいやだ」
レディ・アーテュラスは興ざめした顔でニコルを見やる。
「何て事かしら。ママがっかりだわ」
意気消沈し、くずおれるようにして椅子へと腰を下ろした。
「仕方ありませんわね。残念だけれど今回は諦めることにします」
「今回って。絶対ムリです」
「あらいやだ。ニコルさん、女は夢をあきらめちゃいけないのよ」
ばちんとウインクされる。
「は!?」
「いいえ何でもありませんことよおーほほほほ」
レディ・アーテュラスは、ころころとさざめき笑った。
「っていうかダメじゃないニコルさんふざけてばっかりいては」
「はあっ!?」
話があっちこっちに飛びまくるのを追いかけるだけでも大変だ。
「そろそろ真面目なお話もさせていただかなくってはね。いい加減帰りが遅くなるとパパに心配されちゃうし、ええと、何をどこまでお話ししたかしら? そうそうパパったら御自分はいつも午前様でそのうえお酒をいっぱい召してお帰りになるくせにママがちょっと夜遊びにお出かけしてみようかしらなんておしゃれしたりするとすぐにやたらむっつりなさった顔で、『おまえこんな時間にどこへ行こうというんだね』とか『何もそんなに着飾って出歩くことはないだろう』とか仰有ってね、んもう、わたくしだって少しは危険な恋の火遊びを――ではなくって」
レディ・アーテュラスは、絶妙な曲線を描く肘置を、またうっとりと撫でた。
名残り惜しいため息をもらし、椅子に身を預ける。
「姉の話でしたわね。あまりの座り心地に忘れちゃいそうだわ」
すっと背筋を伸ばして表情を引き締める。
「私の姉、シスター・マイヤは、ルーンの血を継ぐ聖女でありながら、一身を神に捧げる定めを厭い、社中のシスターを人質にしてワルデ・カラアから脱走しましたの。それだけでも重大な背教だというのに、これがまた、うまく隠れたもので、二年も三年も見つけ出せなくて。ついには逃げおおせたかと思われたのだけれど、でもやはり運命からは逃れられず、結局、ルーンの純潔を穢した魔女として捕らわれてしまった」
淡々と話し続ける。
チェシーがちらりとニコルを見やる。ニコルはあえて目をそらした。
違う。
ぎり、と、唇を噛みしめる。
本当はそうじゃない。マイヤは悪い魔女なんかじゃない。マイヤは。
「マイヤ亡き後、遺されたのは、この小屋と、おぞましき
はっと胸を打たれた。おそるおそる顔を上げる。
レディ・アーテュラスはちいさく含み笑った。
「馬鹿らしくって、白々しくって、毒々しいほどにあからさまで下らない話だと思うけれど、でもこの《禁忌の壁》を知った神殿の皆様方は、聖なる身でありながら呪いを解くことができない、という、その矛盾に、よほど怖れをなしたのでしょうね。だからこそなまじ余計に潔癖であろうと振る舞われたのでしょうけれど。ふふっ、あの時は可笑しかったわ。悪魔みたいに恐ろしい顔をなさった聖騎士様がたがね、こんな小さな家をへっぴり腰――あら失礼――で何重にもお取り囲みになってね。あろう事か、ニコルさんまで堕罪者扱いにして無理やり連れて行こうとなさったりするものだから、わたくし、逆に、この壁の前にニコルさんを立たせて、誰にも手出しできないようにして差し上げたの。この
悪魔が、狡猾な眼を光らせてレディ・アーテュラスを見やる。
(穢れを怖れたから?)
「いいえ、ちがうわ。光は、闇に、打ち勝たなければならない。叡智が暴虐に屈するなど、彼らの信仰において、決して許されはしないの。彼らは怖れたのよ。己の信仰が疑われることを、懦弱の烙印を捺されることを、己が清浄なる精神には潜むはずもない闇が暴かれることを、誰しもが」
レディ・アーテュラスは肩をすくめた。
「まあ、その辺りの話は本当のところは別にどうでもよくって、要は、いつまでニコルさんが壁にくっついていなくちゃいけないかってことだったわ。やっぱり、ほら、ご不浄とかね? 眠くなったりとかね? うとうとして寝ちゃったとかでは、何かと、ほら、様にならないというか、問題がありますでしょ? だから私、この呪いの解釈を差し上げることにしましたの」
ひとり、ふたり
うつつの、うたかた
いつわりのひかりは、しんじつのやみ
いつわりのやみは、しんじつのひかり
いつか、かならず、
レディ・アーテュラスは、微笑みすら浮かべて、禁じられた呪詩を口にした。
「偽りの光は真実の闇。教えを棄てたルーンの聖女は、偽りの光」
レディ・アーテュラスは、どす黒く溶けた手袋の指先を見て、また表情をほころばせた。
「つまり、ニコルさんは、そうじゃなくて逆に、偽りの闇だ、って言って差し上げたのね。たとえ棄教者の血を引いていたとしても、それは教え転ばせる悪魔の仕業であって――ごめんあそばせ悪魔さん。ちょっとしたもののたとえだから他意はないのよ――真に、ルーンの正嫡たる薔薇の瞳を持つ事には変わらないのだから、裡に秘めたるは真実の光に違いないと訴えたの。そんな強弁、絶対通じるわけがないと思ったわ。誰にでも思いつくような安直な言い訳を、まさか頭のお堅い神殿のお偉方が真に受けるなんて。馬鹿げてるとしか思えないじゃない? でも開けてびっくり、神殿の方々ったら、自分たちが実は手を出せないことを思い切り棚にあげて、何もかも恩着せがましく不問に付してくださいましたわ。まったく可笑しいったら……、でも本当のところはあれね、間違いなく《ナウシズ》の当代を飼い殺しに――あらら、またまたごめんなさいね――まあ、でもその見当が正しいかどうかはともかく、口八丁手八丁でニコラの命が助かりさえすれば、それで私は十分に本望でしたから」
レディ・アーュラスは、ついにくすくすと肩を震わせて笑い出した。
「でもね、この禁忌、本当はね」
おかしくてたまらないといった様子で、指の背を目元に押し当て、涙をぬぐって声を殺し、笑いこけている。
「全部、嘘なの」
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