【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
それ以上の何でもないし、それ以外の何者にもなれない
それ以上の何でもないし、それ以外の何者にもなれない
ニコルは、小さく頭を振るった。
不穏に思うことなんてない。
きっと偶然だ。たまたま思い出しただけに決まっている。
ニコラのことは、他の誰にも知られてはならない。あの場にいたのは、誰かによく似た、名も知れぬ灰被りの娘。
二度と、陽のあたる場所を歩くことのない《禁忌》だと。
はっきり伝えなければならなかった。
秘密は弱みになる。
だが、うまく隠し通すことさえできれば。
これからも、チェシーはずっと信頼できる友でいてくれるだろうし、ニコル自身も、そう思い続けられるだろう。
かつては敵国の軍人だったかもしれないけど、今は味方で、大切な友人。
「チェシーさん」
「何だよ」
それ以上の何でもないし、それ以外の何者にもなれない。他に何を望むと言うのだろう。
でも。もし。
一歩でも、禁忌の線を超えて踏み込んだなら。
それ以上の、覚悟が必要だった。
ニコルは、低くつぶやいた。
「ニコラのことは、二度と、口外しないでください」
チェシーはすかさず、背後の闇をうかがった。誰もいないことを確認して、声を押し殺す。
「なぜだ」
「魔女だからです」
「魔女。魔女だと? 冗談じゃない。実の
チェシーは乱暴にさえぎった。声に、強い苛立ちが混じっている。ニコルは声を噛み殺した。
「あのときだって、決して正体を明かすつもりじゃなかった。まさか、貴方が現れるだなんて思わなかったから。ずっと……女の子らしいことを何一つさせてないからって、義母さまに無理やり連れ出されて。ほんの少しでも、気晴らしになるならって思って……油断した。本当なら、存在すら知られてはいけなかったんだ。僕が魔女の血を引いているにもかかわらず生かされているのは、単に、利用価値があるからです。でも、聖女が魔女になるのは、絶対に許されない。もし、シスター・マイヤが……かつて《
ふいに。
意図せぬ冷たいものが、頰を濡らした。チェシーの、愕然とした表情が目に焼きつく。とっさに背中を向けた。
「この話は以上です。僕は帰ります」
「おい、ちょっと待て」
ニコルは逃げるように走った。
階段を駆けのぼる。
床から階段にかけて、描き出された自分の影が、なぜか激しく跳ねていた。乱れる足音が、高く響く。
息を切らして、外へと飛び出す。
「危ないだろう。急に走り出したりして。何も、そんな、逃げることはないだろうに」
ようやく追いついてきたチェシーが、あきれ声で言う。手持ちの明かりが、ぐらぐらと揺らいでいた。
ニコルは顔をそむけた。わざと、つんけんして言う。
「すみません。煙草の煙で目がしょぼしょぼするもんですから!」
「分かった、分かったよ、もう。もう二度と君の前では吸わん。それにしても、君ときたら、やることなすこと突飛すぎて……驚く」
ニコルは鼻をぐすっと言わせた。指でこする。
「僕だって、本当は」
「もういい。分かった。さっきの話は忘れよう」
ガラスに映る、嘘と、まやかし。今にも消えそうな、
ニコルは、音もなく揺れる火を見つめた。
たとえ、頼りない明かり一つであっても、足元を照らしてくれる光があるのとないのとでは、天と地ほどの差がある。
さらさら、さらさらと。
木立が風に吹かれている。
いつの間に昇ったのか。きらめく星くずと深い藍の夜天に、おぼろにかすむ月が抱かれていた。
北国の夏は短い。すぐに秋が来るだろう。
何も言わず、何も言えず。しらじらと月に濡れて光る道ばたの草を踏みしだいて。
虫の声、吹く風の音の何とかそけきことか。
どうやら、宴もたけなわのようだった。千鳥足の集団が、それぞれの宿舎へと散ってゆくのが見えた。肩を組んで揺れながら歩いている。
しんと寝静まった宿舎に帰りついた頃にはもう、
与えられた部屋の前にまでやってくる。
ようやく、ニコルは立ち止まった。
「おやすみなさい。良い夢を」
「ああ、おやすみ。ゆっくり休んでくれ」
チェシーは、そのまま隣の部屋に入って行こうとした。肩越しに、ひらひらと手を振る。
「あ、あの」
その大きすぎる背中を、ニコルは呼び止めた。
「何だ」
「その、ええと」
チェシーは、横顔だけを振り向けて、短く言った。
「さっきの話だが。打ち明けてくれて、良かった」
「チェシーさん、あの」
言いたかったのは、たぶんそのことではなかったにしろ。
扉の向こう側へ消えようとする背中に向かって、ニコルは思わず続けた。
「僕も、チェシーさんと一緒に来れてよかった」
それが逆に重荷になるかもしれないと臆しつつ、つけ加える。
「いろいろと、気にかかってたから」
言ってしまってから、なぜか。
やたらと急に馬鹿馬鹿しくなった。気恥ずかしく笑って、ほっぺたを掻く。
いかにも世間知らずの子供じみた言い草だ。廊下が暗くて本当に良かった。もじもじと横を向く。触れた頰が変に熱かった。
「さあ、それはどうかな。君が、私の犯した罪をどう思うかは、行ってみないと分からん」
「信じてくれって言う人の言葉は、どうしても薄っぺらくにしか聞こえないけど。信じるって言ってる人を信じるのはそんなにも難しいことですかね」
さっさと部屋に入ったと思いきや、いつの間にか、チェシーも立ち止まっていた。
持てあまし気味の長身を、壁へともたせかける。
「君に関しては、確かに、ホーラダインの言うとおりだ。奴も、さぞかし気遣わしかろうさ。掌中の珠に等しい君を、あの街へ送り出すんだ。よほどの……覚悟があったんだろうな」
暗がりにひそむ死神めいたあやうい瞳が、青く、ひたと見つめていた。
「言うとおりって何が」
「馬鹿がつくほどのお人好しで困ると」
「はいぃ!?」
「だが、正しい意見が常に正しい結果をもたらすとは限らない」
自嘲気味に、チェシーは笑った。
「まったく変な連中だ。君といい、ホーラダインといい、不思議なほど変だ。何で、こうまでして変でいられるのか。正直、理解できないね」
「誉められてはないっぽいですね」
「もちろんだ。変な君との、変な友情に乾杯。では、おやすみ。また明日な」
チェシーはしれっと肩をすくめ、ドアの向こうに消えた。
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