<甲五 ――――――――>

 トラックが飛行場に着くと、そこは文字通り火がついたような状態だった。

 栗田は窓を開け、「ちょっと」力なくゲートの兵士を呼んだ。

 その顔を見た兵士は、思わず仰天した。

「ア、アドミラル・クリタ!」

 そう言われて、栗田が今しがた日本語で呼んでしまったのに気がついた。やれやれ、かなり参っておるな。英語、英語、と。

「いかにも、栗田だ。医者を、たのむわ」

 間もなく、担架を担いだ兵士と医者が走って来た。

「戦争が終わったら、酒でもやろう」

「将校さん、提督さんでありましたか。美味しい麦酒を用意しておきますよ」

「本当に、ありがとう」

 栗田は男に礼を言うと、自分の脚でトラックから降り、自分で担架にうつぶせに転がった。担架はすぐに担ぎ上げられ、何処かに運ばれて行くのが分かった。

 運ばれて行く中「あ、名前を聞くの忘れたな。まぁ、すぐに見つかりそうではあるが」と日本語で呟き、栗田は意識を失った。

 そして翌朝、栗田は背中と後頭部に降り注ぐ暖かい春の日差しに起こされた。

 いつの間にか、ベッドでうつぶせに寝ていた。少し顔を動かすと、白い壁にかかった時計が見える。

「いかん、もう昼近くじゃないか。金剛に戻らねば……あいててて」

 飛び起きようとしたが、背中に走る痛みのため半分も動けなかった。

 もがいている栗田に気がついた若い女性が一人「おきちゃだめ」と英語で静止してきた。服装からして、医者か看護師だ。

 栗田は「んがぁ、ここは、病院か?」と英語で話しかける。

「そうです、アドミラル。大けがですよ」

「そうだった。しかし、司令官が居ないとな」

 栗田はまた動こうとして、「だめです、動いちゃ!」と、また止められた。

「今、上司を呼んできますから、待っててください」

「ぬぐぅ~」

 その数分後、先ほどの看護師につれられ、小太りの准将が病室に現れた。 

 その准将は、眠そうな目をして「どうも、補給兼雑用主任のテイラーです」と挨拶した。「はじめまして」と栗田はうつぶせのまま返事をする。

「ああ、貴方が……それはさておき、何かご入用な物はないですか」

「飛行機を一機。金剛にもどる」

「あはは、そいつは無理です。死んじゃいます」

 また止められたが、栗田は「俺は司令官だ」と必死に言った。

「提督、貴方の負傷を知ったシンクレア統合作戦本部長が『絶対死なせるな』って言われましてね、絶対安静にさせろと。あと、本部長名義で、提督が動けないのを艦隊に伝えておきました」

「なんだと、いてて……わかった、わかった。でも、それじゃ今頃艦隊は混乱してるはずだ。せめて、連絡をつけさせてくれ」

 それはそうだと思ったテイラーは、「どうぞ」とメモ用紙とペンを差し出した。

「電話くらいかけさせてくれんかな」

「だーめ!」

 栗田は少し上体を起こしながら懇願したが、看護師にキツく言われてしまった。

「メリー。もちょっと、優しくしてやれよ~」

 テイラーは苦笑いしながら看護師に言った。


 そのころ、金剛の司令部は意外と落ち着いていた。

 栗田負傷の知らせが来ると、とりあえず最年長将官である水雷戦隊の南雲少将が中心となり、うまいところ司令部を取りまとめていた。

 そこへ、栗田からの電文が届いた。

『高木少将 指揮ヲトレ』

 ただ一言、こう書かれていた。

 一同、これには意表をつかれた。いざと言うときには、このまま南雲に引き継ごうと思っていたところなのだ。

 ただ一人、その南雲だけが落ち着き払って「そんなら、俺ぁ水雷旗艦の大井に戻るかな」と、金剛の司令部を去ろうとしていた。

「ちょっと待ってください、私はどうすれば」

 慌てて高木がそれを止めた。

「貴官なら、大丈夫だぁよ。それに、艦隊にいる将官はあと一人、航空艦隊の加来さん。全員少将だ。その中で、司令部経験者はおまいさんだけでないかい」

「しかし、実戦経験が……」

「実戦? 事実上変わらんでないかい。皆、地中海が初陣と変わらんて。それに、その地中海でも、北海でも、よくやったではないか」

「はぁ、しかし、飛行機のことは専門外であります」

「俺もだぁよ。心配なら、加来さんとこから、有能な航空参謀を借りたでないかい」

 南雲はそう言うと、艦橋からとことこと出て行ってしまった。

 そして高木が呆然とすること約一分、甲板から「おーい、内火艇」という声が響いて来た。

 丁度その時、通信兵が新たな電文を持って来た。

 高木はそれを受け取ると、一瞬かたまり、次に大声で「ちょっとまった!」と下に居る南雲に向けて叫んだ。

 甲板から艦橋を見上げた南雲が「なにかね~?」と聞き返して来る。

「大変です、戻って来てください!」

 南雲が「せっかく降りたのに」と渋々艦橋に戻ると、高木と神がもっと渋い顔をして立ち尽くしていた。

「ベルゲンをでたドイツの大艦隊が、ヴィルヘルムスハーフェン沖に移動しつつあります。別動隊との集結を図る模様です。フランスも、ビスケー湾内でなにやら不穏な動きが」

「わしらも、出動かね」

「はい、明朝までには全艦出撃してほしいとの要請を受けています。詳しいことは、私がここポーツマスの司令部に行って、ホーランド提督らと話してきます」

「わかった、わしは出航準備の指揮を執ればええか?」

「はい、お願いします」

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