第22話 ソーシャルディスタンス

 とあるスーパーマーケットにて。


 「あなた、そんなに前に詰めてはだめよ」

 妻の声に、思わず足元の表示に眼を落とす。そこには靴底の形をした「ここで止まれ」という意味の表示が・・・

 なるほど、今は「新型コロナウィルス」とかの影響で、レジを待つお客の列も十分にと距離を置かなければならないらしい。


 僕は品物でいっぱいになったカートを手前に引くと、ひとり前に並ぶ女性に何気なく眼を向けた。

 年のころなら三十代半ばというところであろうか、タイトなニットのワンピースが、否が応でもその女性の身体の曲線を想像させる。


 僕はごくっとのどを鳴らしながら、横に並ぶ妻のそれと比較する。お世辞にも同じ年代の女とは思えない妻の体形に、小さくひとつため息を漏らす。


 「お前、今年で幾つになるんだっけ?・・・」

 「えっ、今年の9月で38よ。何で?」


 「38歳か。いや・・・」

 その言葉に妻は、チラリと前の女性の方を見詰める。


 「なんでっ? あんな人が好みのわけ?」

 「えっ、ち、違うよ・・・」

 言ってはみたものの、心から否定しているとは自分でも自信がない。そんな僕の深層心理を知ってか、妻はカートの中からチョコレートの箱を棚へと戻した。


 「えっ、何で? チョコ買わないの?・・・」

 「だって、太るでしょ!」

 

 帰り道、それっきり妻はひと言も僕に語り掛けることはしなかった。



 夜、子供のいない二人の食事は、会話もないまま箸が茶碗にあたる音だけが妙にむなしく聞こえている。

 「由美子・・・」

 「ごちそう様・・・」

 僕の言葉をさえぎるようにと、妻は茶碗を片付け始める。


 「由美子、何か勘違いしていないかい? 僕が愛しているのは君だけだよ・・・」

 言いながら、妻の肩をそっと抱き寄せる。彼女はふっと顔を背けると、流しの食器を洗い始めた。


 「あの人、幾つぐらいかしらね?・・・」

 「あの人って?」

 

 振り返る妻は、すでに何もかも見透かしているような眼差しを僕に送る。


 「先にシャワー浴びてくれば?」

 「シャワー?・・・」

 予想外の言葉にも、僕は一縷いちるの期待を込めて風呂場へ直行した。

 (もしかしたら、機嫌を直してくれたんだろうか?・・・)


 

 十数分後、身体をきながらキッチンを覗いてみるが、そこにはすでに妻の姿は何処にも無い。

 (すでに寝室、ということなのか?・・・)


 僕はそっと二階への階段を上がって行く。

 寝室のドアーに手を掛けると、何故か隣の部屋から妻が顔を出してきた。


 「今日から私、こっちの部屋で寝るわ。あなたはそっちの部屋で良い夢でも見て寝れば・・・」

 「由美子っ・・・」


 「私たちもこの際、少し夫婦の距離を取った方が良いかもね・・・」


 そう言うと、妻は隣の部屋のドアーを勢いよくバタンと閉めた。

 「由美子~っ・・・」



【語彙】

ソーシャルディスタンス:社会的距離の事。

個人と個人との間、集団と集団との間における親密性・親近性の程度。最近では新型コロナウィルスによる、人と人との接触を避けるための保有距離などに用いられている。

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