第20話 ダブルブッキング

 東京の郊外にある、とあるマンション。

 これからここが、有らぬ修羅場と化すことなど、この時には誰も想像だにしていなかった・・・


 「ケンジ、テーブルにランチョンマットいてくれる?」

 「OKっ!」


 今日は彼女のマリが、俺の誕生日を祝ってくれるということで、夕方から二人でディナーの準備。

 メインディッシュは、彼女が得意なロールキャベツとアンチョビのサラダ。もちろん二人が大好きな白ワインも冷やしてある。


 俺はテーブルにナイフとフォークを並べると、小さなお皿に入れられたキャンドルに火を灯す。

 「一緒に暮らしたら、毎日こうやって夕食の時にはキャンドルを点けるんだ」

 ケンジの言葉に振り返るマリ。


 「綺麗ね・・・」

 「君の方がずっと可愛いよ」

 良いながらケンジはマリの腰に手を回す。反射的にマリもケンジの首に両腕を絡める。ケンジが腕に少し力を入れると、細いマリの身体が幾分仰け反る。

 互いに頭を傾け口づけを、と思ったところで、玄関のチャイムが鳴った。


 「放っておけば良いよ」

 唇を近づけるケンジ。

 「でも・・・」

 掌をそっとケンジの唇に添えるマリ。


 「宅急便かも知れないわ。見て来てくれる?・・・」

 そう言うと、マリは再び包丁でタマネギをきざみ始めた。

 おあずけを食った形のケンジ。渋々と玄関のドアーを開ける。



 「げ――—――っ、アスカっ!・・・」

 「ケンジ、ハッピバースデイ!」

 ケンジの悲鳴とアスカの祝声とが同時に聞こえた。


 「アスカ、今日はちょっと・・・」

 「何言ってんのよ、この前飲んだとき、来週の土曜日俺の誕生日だからーって、ねだってきたのは貴方あなたじゃない。ほら、ケンタッキーも買ってきたわよ」


 ケンジを押し退けるようにと、玄関へと入るアスカ。ふと目を下に向ける。

 そこには、当然マリが履いてきた女性用の黒いヒールが。

 「えっ、これってどういうことよ、ケンジ!」

 「だから、今日は駄目だって・・・」

 

 バタンっ、と扉が閉まる音。

 アスカはそのヒールを横へ蹴飛ばすと、自分のスニーカーを無造作に脱いだ。


 「だから駄目だって・・・」

 アスカの後ろで狼狽うろたえるケンジ。彼女は奥のキッチンに向かって、わざと大きな声で吠える。


 「ケンジーっ、今日は二人っきりでたーぷり楽しみましょうねえ・・・」

 「アスカ~・・・」

 今にも泣き出しそうなケンジ。


 「ダンっ!」

 キッチンの方から、何やら大きな音が聞こえてきた。きっと、包丁をまな板に思い切り叩きつけたに違いない。

 廊下とキッチンとを仕切っている可愛いトトロの暖簾のれんの中から、鬼のような形相のマリが現れる。その手には、包丁がしっかりと握られている。


 「マ、マリ~、 こ、これは・・・」

 今さら、とても言い訳が通じるような状況ではない。まさに史上最悪のダブルブッキングである。


 ところが、ケンジの意に反して二人は互いに黙ったまま向かい合っている。むしろこの場合、その方が余計に不気味でもあるが・・・


 「ちょっとこれ、どういうことよ?・・・」

 最初に口を開いたのは、アスカの方である。

 「どういうことって?・・・」

 マリはうつむき加減にアスカに答える。そればかりではない、マリは手にした包丁を後ろ手に隠した。


 (えっ、どういうこと?・・・)

 ケンジは相変わらずキョトンとしている。


 それでも、マリも言い返す。

 「アスカだって、どういうことよ?・・・」

 「どういうことって、そりゃあ・・・」


 (えっ、アスカって、それじゃあ二人は前から知り合いってこと?・・・)


 マリが甘えるように問いかける。

 「好きなのは、お前だけだよって言ってたじゃない・・・」

 (へっ?・・・)

 「マリだって、男なんて汚いから嫌いって言ってたじゃないのよ・・・」

 (汚いって?・・・)


 「だってアスカ、この頃ちっともかまってくれないんだもの・・・」

 (こ、これって、どういうこと?・・・)

 「マリだって、全然会いに来てくれないじゃないか・・・」

 言いながら、アスカはマリの腰に手を回す。反射的にマリもアスカの首に両腕を絡める。アスカが腕に少し力を入れると、細いマリの身体が幾分仰け反る。

 (おいおいおい・・・)


 「一緒に暮らすって言ってた約束、忘れてない?・・・」

 マリが唇を近づける。

 「当たり前だろう・・・」


 (え—――っ! 君たちは、もともとそう言う関係だったの?・・・)


 ケンジの前で二人が熱いキスを、と思ったところでケンジが一言ぼやく。

 

 「そっちでも、一緒に暮らそうっていう約束をしていたなんて。これこそまさに、究極のダブルブッキングだよね・・・」



【語彙】

ダブルブッキング:「二重の予約」を意味する言葉で、同じ日時の予定や予約が、同時に二つ以上重なることを指す。

つまりは、先約があったのに、それと重なる別の約束をしてしまったときなどに使われる。 

 


 

 

 

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