第2話 平凡だった日々

 五月も終わる頃には大学生活にだいぶ慣れてきた。

 大学への通学時間が片道一時間半と長いのが厄介だ。往復だけで約三時間、一日の約八分の一が持って行かれちゃう。起きている時間の二割弱。この時間を無為に過ごすのはもったいなさすぎる。

 だけど! 私には晴人がいる。一緒に通学すればこの時間をそのままデートに充てれるではないか!

 毎日のように好きな人とデート。このチャンスを無駄にする訳にはいかないよね!


 行きは、二人のうち、授業が早く始まるほうに合わせて駅で待ち合わせ。服選びや化粧に時間をかけるわけにはいかない。結婚した後を考えると、ばっちりメイクや服選びに時間がかかる女と、薄めの化粧に直感で選んだ服で済ませる女だと、明らかに後者のほうが魅力的だよね。そして、当然だけどいちゃつきながら学校に向かう。

 月・火・木は一限の8時50分スタートだから、朝が早い。電車も最初のほうは混んでいるので、体を密着させて程々にいちゃつく。そして、電車が空いてくると、手を繋いで乗る。片方だけが座れた場合、先に座ったその人に荷物を持たせる。持ち物は教科書とかノートとか、たまにはノートパソコンも持っていく必要がある。重いけど、いい運動になる。

 木曜の一限は晴人と同じ地学概論の授業を受ける、奇跡の時間。同じ電車を降りてから、一緒に手を繋いで教室に行くんだ。

 一方、火・金は10時半の二限スタートなので、少しゆっくりできる。


 帰りは、二人ともバイトのない火・金は両方とも四限で終わり。授業終了後の四時から、たっぷり二人の時間がとれる! その他の日は、残念ながら予定が合わないので別に帰る。ヘッドホン着けて英語のリスニングを鍛えるチャンスだって? まあ、そうなんだけどね。


 そして、大学の昼は戦場だ。

 学内で昼食を調達できる場所は、二限の授業が十二時に終了するあたりで一気に混む。一分の出遅れが数分のロスになることさえある。このため、二限が始まる前に昼の作戦をたて、先に授業が終わった人が並びに行く。後に終わった人が電話しながらフォローする。

 今日は晴人が先に終わったとメッセージが来た。二限の授業が終わったら教室を飛び出し、スマホを取り出して晴人に電話をかけながら大学生協の食堂に向かう。


 当たり前だが、二人で食べると品数を増やすことができる。私の食べかけのチキンカツを隣に座る晴人に「あーん」させたり、晴人のネギトロ丼を一口もらったり、付け合せのトマトを苦手だから晴人の口に入れたりと、慌ただしいけど楽しい一時だ。

 食堂は相席が基本、食べ終わったらすぐに席を立って次の人に譲るのが鉄の掟だけど、やはり、少しは晴人と一緒に食べることを楽しまないと。


 ◇ ◇ ◇


 眠気と数式と戦いながら三限を耐えきった。

 今日は金曜、あと一時間耐えきったら今週も終わり!

 荷物をまとめて次の教室に向かおうとしたら、クラスの男子に呼びかけられた。

「須藤さん? ちょっと話があるんだけど。」

 やけにチャラい男だ。髪は茶色を通り越して黄色いし、セットしてるのだろうけど変な髪型。服もそれなりに値が張るのかもしれないけど、やはりセンスが悪い。これでもう少し目つきが悪かったらチンピラだな。

 そうだ。こいつは授業の前に騒いでるチャラい男子の一人だ。嫌悪感しか漂ってこないから目にしないようにしてるけど、気持ち悪いまでのチンピラモドキがいるのはその一角だけだ。

 ん? チンピラ?

 ああ、そうか。キンピラのごぼうと人参の色の中間みたいな、しけた髪の色だな。


「須藤さん、何で俺達ともっと仲良くしないの? 同級生だろ?」

「はい?」

 生理的に受け付けない連中と、何で仲良くしないといけないんだろ?

 こいつの名前さえ知らないし、大学でチンピラに絡まれるとか最悪なんですけど。

「二限終わったらいつも飛び出してるけどさ、たまには同じ学科のクラスメートと昼飯を食べようとか、ちょっとは思ったことない?」

「何で?

 てゆーか、あんた、誰?」

「はぁ。

 俺たち同じ授業を受ける仲間だよな。お互い協力したほうが楽だと思うんだけど、須藤さんはそう思わないの?」

 何で文句言われないといけないのか理解できない。

「何が言いたいの? はっきり言ってくれない?」

「学科内で友達いたほうが便利でしょ?

 そして、須藤さんと同級生として仲良くなりたい人が多いことは知っててほしくてね。」

 ああ、うざい。

 チンピラはナンパしたいのね。

「須藤さんがお昼にどこに急いでるのか、気になって見に行ったんだけど、なんか冴えない男と食堂でいちゃついてたんで驚いたよ。」

 あぁ?

「今なんて言った?」

 冴えない男?

 今、晴人を侮辱したよね? それに私を尾行?

「いや、だからさ、もう少し周囲の人に気を使ってほしいと思って、忠告してるんだよ。」

 ああ。こいつ、いらつく。

 同じ人間として見ることができないチンピラに説教されるとか、最悪なんですけど。

 チンピラのマイルール押し付けられても困るんだよね。

「地学概論の講義に出てる人からも苦情出てるんだよ。朝から見苦しくて気持ち悪いって。迷惑してる人に対し、申し訳ないと思わないの?」

 授業中に晴人といちゃついていないし、何言ってるんだ?

 ぴったり隣に座って、たまに晴人の太ももに手を乗せるくらいじゃない。

 怒りが渦巻く。

「お互いこのまま不愉快な気分で四年間過ごすの嫌なんだよ。」

 ああ。怒りで視界が狭まる。

 いらいら、むかむか。

 負の感情がぐるぐると渦巻く。


 気付いたら右腕に空気が纏わりつく。

 何だこの感覚は?

 今日は曇りで日焼けを気にしなくていいので半袖のブラウスにしたけど、露出した肌に風が蛇のように絡みつく。一方向からじゃないので、風ではない。

 センスがない無理矢理気味なフリガナが似合う、厨二な技でも発動するのかな?

 まさかねえ。

「須藤さん? なんか言ったらどう?」

 纏わりつく空気の量が増えている。

 右腕が徐々に重くなる。

 何か右手で見えない棒を握ってる感じがする。

「最後の授業が終わった後もすぐ出て行くし。」

 私、どうなってるの? マジで暗黒やみパワー覚醒めざめてるの?

 棒の長さは30センチの定規二本分くらい。

 これは棒というより刀、刃物だ!

 実体がないから相手を傷つけることはできないけど、戦えって意味なのね?

「この先の四年間、俺たちと悪い関係のまま過ごすのって、よくないと思うんだよね。

 須藤さんはどう思ってんの?」

 言わせておけば、どんどん調子に乗りやがって。

 人の男を侮辱するようなクズは人間扱いすべきでない。

 少なくても、仲間として見ることは金輪際できない。

 右腕に絡みつく空気と右手の実体なき刀がさらに存在感を増す。

 まさかヒカル様? 目の前のコレを切り捨てろという意味なのね?

 でも、物理的な攻撃は当然ナシだよね?

「人をけなすしか能がないゴミなんて、太陽系から消えてなくなればいいのに。」

「須藤さん?」

「私が誰と付き合ったって文句ないでしょ?

 私の晴人の悪口を言った人は、私に喧嘩を売ったのと同じことだからね?」

 目の前のゴミがひるんでいるように見える。

 何を言ってるんだこいつ? と呆気にとられているみたい。

 でも、ゴミにはゴミ捨て場が似合ってる。

「あんたと仲良くして、私に何かいいことあるの?」

 無言。

「なんかさ、あんた以外にも、いろんな視線をチラチラ感じるんだけど。

 なんだか値踏みされてるみたいで、正直いい気はしないのよね。

 あんた達、大学に勉強しに来てるの? それとも遊びに来てるのかな。」

「か、過去問いらないのか? 一人で課題解けるのか? 欠席した時ノート見せてほしくないのか? 代返だいへんだってお互い様だ、協力しあうのが常識だろ?」

 必死な反論だ。

 代返って不正じゃない。授業出ていないにもかかわらず、他人に「出席してます」と言わせる裏技で、バレたらタダで済まないと思うんだけどな。

「少なくても、私はここに遊びに来てる訳じゃない。そして、やる気のないクズと馴れ合う時間は一切ない。もちろん、男遊びなんて私にはもう必要ないし、新しい彼を探すつもりなんて毛頭ないから、誤解しないように。」

 ゴミと取り巻きの男子の雰囲気が変わった。

 失望というか絶望半分。信じられないものを見たときの目というのかな? そんな感じが半分。

 ふーん。こいつら、やっぱり恋愛ごっこがしたいのね。

 私達みたいな結婚を前提にした真剣な交際、するつもりないでしょ?

「哀れなゴミどもね。同じ大学生とは思えない幼さ。相手にするだけ時間の無駄。

 ねえ? 生きてて恥ずかしくないの? ゴミ同士、馴れ合って、傷を舐めあって。」

「調子に乗るな!」

「ふーん。図星だったのね。ごまかしても無駄なんだよ。

 あと、私の代わりに晴人を攻撃するのも許さないから。それくらい当然、わかってるよね? ここにいる男の子達と比べても、晴人の方が数段上。いや、ランク付けできないくらい、晴人は私にとって大事な、家族のような存在なの。あんたらにはこの感覚、わからないだろうけどね。

 もう一度言うけど、私の晴人に喧嘩売るってことは、私に喧嘩売るのと同じだからね、このクズ!」

 教室がシーンと静まる。

 何かやばいこと言ったっけ?

 嫌な予感がしたので時計を見る。

 そろそろ次の教室に移動しないと。

「もう何も言うことはないみたいね。」

 そう言い残して教室を出ようとしたら、

「あいつは、あいつはどう思ってるんだよ。」

 最後の悪あがきが聞こえた。

 面倒だから無視することにした。

 そして、慌てて席を立つ多くの人の音がした。


 ◇ ◇ ◇


 イライラが収まらないまま四限を乗り切ったら、晴人とデートだ。この時間、普段は晴れやかな気分なんだが、クズのせいでまだ不快な気分だ。たまに学内で二人で課題を片付けてから帰ることもあるけど、今日はそんな気分でない。晴人と帰りの電車を途中下車して駅ビルの中をウィンドーショッピングしよう。かわいい服にかわいい下着。いいよねえ。

 電車の中で晴人にあのクズについていっぱい愚痴ったけど、私の晴人にケチをつけられた苛立ちはなかなか収まらない。

「しょうがないよ、綾音。俺達の状況を理解できる人なんていないんだから、その人を責めても無駄だよ。」

「でも、私の晴人をけなしたんだよ。許せない!」

 少し冷静になると泣きそうになってくる。あのとき興奮して強い口調でチンピラに啖呵たんかを切れたことが奇跡みたい。人前だからまだ我慢してるけど、本当なら大声を出して八つ当たりしたい。

 晴人が私を抱きしめてくれた。

「だいじょうぶ。俺は、むしろ嬉しい。」

「何で? バカにされて悔しくないの?」

「綾音が俺のために怒ってくれたことが嬉しいんだ。

 自分が絡まれたことより、俺の悪口を言われるほうが許せなかったんだろ?

 そんな綾音と一緒になれて、本当によかった。」

 そういう考え方があったなんて。

「ねえ? 次の駅で降りて、人が少ないところに行かない?」

 私はもちろん頷く。


 駅のホームの自動販売機の横、他人があまり注目しなさそうな場所に移動する。

「少し恥ずかしいんだけど……。」

 晴人が私の頭と肩を抱えてキスしてきた。

 唇を合わせるとき、顎をくいっと持ち上げてくれたのがキュンとなる。

 最初は優しく、唇だけ。

 そして舌を入れて、私を激しく求める。

 晴人は私のことが好きなんだ。口に出して言ってはくれないけど、そう実感させられる。

「正式に婚約してるわけじゃないけど、どうせこのまま結婚するんでしょ?

 二人で頑張ろう?」

 そう。結婚前提の交際なんだよね。それも、最初から。

「綾音はもう少し自覚した方がいいよ。何回か言ってるけど、クラスのアイドルだと思われてるんだよ?」

「嘘。私をおだてても無駄だよ?」

「違うって。男の目線から見ると、数が少ない女子は全員チェックするの。そして、かわいい子は少ないから、よけい注目される。綾音は自分で謙遜してるのか、自己評価が低いのか知らないけど、かなりの美人だからね。胸もあるし、美人だし、かなりの男子が狙ってたんじゃないかな。」

「冗談でしょ?」

「だから、綾音がクラスメートを放っといて俺とずっといたら、不快に思う連中が相当でるのは目に見えていた。アイドルの隠し撮りされた秘密の交際の写真が出回ったら、ブチ切れるファンが多いでしょ?」

「わかる。」

「そんな状態だったんだよ。」

「マジで?」

「うん。おそらくそう。

 みんなに媚を売るべきとは思わない。

 だけど、変に逆ギレしちゃって多くの人の淡い期待を踏みにじった以上、今後四年間、覚悟しててね。綾音を好意的に見ない人ばかりになっちゃったから。

 騒がれると面倒なことになるような、表立ったいじめや嫌がらせはないと思う。

 だけど、仲間としては扱ってもらえないだろうね。」

「でも、ゴミが集まっても所詮ゴミだし。私は誇り高い夜伽巫女。これくらい切り抜けられないなんて、ありえないから!」

「その意気でいいと思うよ。」

「晴人もこの後狙われるの? 逆恨みした連中に。」

「狙われるかもしれないけど、切り抜ける自信もあるから。俺だって、夜伽巫だ。」

「そういえば、そうだよね。ほんと、不思議な状況。」

「でも、勉強は頑張らないとね。助けてくれる人が出るとは思えないし。」

「まあ、最初からあまり期待はしていないからね。」

「綾音、クラスメートの名前、どれだけ知ってる?」

「実験で一緒の二人でしょ? 学籍番号順、つまり五十音順で自動的に決まってる二人。あと、たまに話しかけてくる女子三人。男子は先生にたまに質問をして、演習の時間に課題を早く終わらせる二人。それくらい?」

「そんなもんだと思ってたよ。まあ、別にいいんだけどね。」

 私、本当にクラスに溶け込んでないんだ。高校の時とは大違い。

 それだけ、私の中では晴人が重要なんだ。クラスメートが霞んでる。

「もう一回キスする?」

 晴人がまた私に抱きつき、キスしてきた。積極的な晴人もたまにはいいかも。

 好きな人がいるって、いいな。


 ◇ ◇ ◇


 あの後、夕飯に晴人にもんじゃ焼きを焼かせて、もう少しいちゃついてから帰った。大好きな晴人が私のために頑張ってくれるっていいことだ。お好み焼きともんじゃ焼きだと、もんじゃ焼きのほうが大変だから、その分尽くしてくれる感がするんだよね。

 そして、食堂で騒ぎが起きると面倒だから、しばらくの間、お昼は空き教室でお弁当にすることを決めた。晴人がお弁当を持ってこれそう、と前日に連絡があれば私がお米と飲み物を用意する。無理そうならコンビニか学内の売店で何か購入する。


 晴人と駅で別れた後、ヒカル様が話しかけてくる。

「なあ彩佳。わかってると思うけど、周囲の者の大切さの優先順位、はっきりしてるよな?」

「もちろん。」

「ただの同級生なんて雑草のようなものだ。特に価値があるわけでもなく、邪魔になれば躊躇せず刈り取られるだけの存在だ。たまたま、きれいな花が咲いていることがあっても、ただ、それだけ。通り過ぎたら忘れられるだけだ。」

「そこまで言い切っちゃって、いいの?」

「俺にとって、お前の保護は優先順位が最高ランクだ。彩佳が洒落にならない窮地に陥った時、申し訳ないけど、彩佳自身が無事でいられるよう、強制的に彩佳を乗っ取らせてもらう。周囲の人がどうなってもいい。極端な話、周囲の人が何人死んでも、彩佳一人が助かればそれでいい。」

「じゃあ、晴人は?」

「それは、彼の方の問題だ。似たような感じで保護されていると思うけどね。

 ぶっちゃけるが、俺としては、『俺にとって』最適な結果になればいそれでいいんだ。かけがえのない嫁を大切にするのは当然のことだろ? もちろん、彩佳が理性を持って抵抗するのは勝手だが、見過ごせない状況になったら諦めろ。

 あれだ、普段は彩佳の体という人型メカをパイロットの彩佳の心が操作しているが、やばくなったら別のところにいる俺が操作するわけだ。パイロットは代案を出すことは許されるが、基本的に見ているしか無い。」

「つまり、ヒカル様のためなら、私の意思を上書きすることもあるの?」

「未熟な過ちのために大きな損失を出すことは許されないんだ。それよりポジティブに考えてみたらどうだ? 後ろ盾があるからこそ、自由に人生を楽しめるって。」


 そうだ、忘れずに確認しないと。

「ヒカル様? あの剣のようなもの、何?」

「今日は彩佳にちょっとした試練があったんでな。しくじったら困るんで、一時的にリミッターを外してやったのさ。」

「試練って、ヒカル様があの騒動を引き起こしたの?」

「おいおい。俺は『止めなかった』だけだ。

 俺の夜伽巫女があれくらいの三下さんしたに泣かされるようだったら、この先大変だろ?」

「確かにそうだけど……。」

「俺は彩佳を信じていた。だが、念には念を入れておきたかった。今後の人生でもっと厳しい状況になることもあるだろうから、これを機に彩佳がこっちの世界のアイテムを使えるかどうかを確認しておきたかったんだ。」

「なにそれ。もしかして厨二的に美味しい展開?

 ヒカル様の世界のアイテムということは、この世のものではなく、あの世のもの?」

「そうだ。そして、この世のものではないから実体はない。とはいえ、純粋な力というかエネルギーを認識しろというのは無理だろ? だから、神器じんぎは何らかの象徴として現れる。」

「そんなこと、あるんだね。

 私、変な力に目覚めちゃったのかな?」

 気分がすさんでいたせいか、すごく気になる。

「安心しろ。俺が必要な時に貸し与えるアイテムは、必要がなくなったら回収させてもらう。試練のたびに徐々にレベルアップしていくから、辛いかもしれないけど楽しみにしておいてくれよ。」

 なにそれ。

「それにしても、あの刀を感じることができたのは、さすがだな。」

 やっぱり、幻覚じゃなかったんだ。

「私は今日の試練に合格したの?」

「今日のところは合格点かな。

 ただ、もうわかってると思うけど、もう平凡な大学生活は諦めろよ?」

「私、大丈夫かな?」

「大量の敵を作ったのは事実だが、全員が彩佳の敵になることはありえない。

 ただ、警戒するに越したことはない。」

「試練と言ってたけど、ヒカル様は私が攻撃されて嫌じゃなかったの?」

「嫌に決まってるだろ。

 でも彩佳の成長に必要なら、仕方ないんだよ。

 とはいえ、彩佳が喧嘩を売られた以上、俺がその喧嘩を買う。あいつには痛い思いをしてもらうけど、今日明日じゃないからな。」

「本当に?」

「当然だが、因果関係をわかりにくくするため、かなり先に、それとなく処刑を執行する。」「その時になったら教えてくれる?」

「ダメだ。これは、俺とアレとの問題だ。いくら夜伽巫女とは言え、彩佳には教えられない。下手に罪悪感を持たれても困るしな。」

 ケチなのか、これでいいのかよくわからない。

「ねえ? 夜伽巫女が平凡な生活を送ることって――」

「無理だ。俺の嫁になるとか、俺達の世界のアイテム神器を認識できるとか、ここまで深く関わってしまった以上、相応に活躍してもらう。

 まあ、悪いことにはならないから安心しな。彩佳みたいな厨二病患者にとっては最高のご褒美だろうし。」

「やっぱり、そうなのね。」

「多くの者は夜伽巫女の選考対象に入っていることさえ知らされず、選考に落ちて何事もなかったかのように人生を終える。それか、俺達にさりげなく誘導され、気付いたら俺達のために何かしていることになる。

 俺達がカミングアウトしで事情を説明した上で、俺達とここまで仲良くできる、そして、仲良くしても問題なさそうな人の子なんてほんの一握り。性格によっては、こんなことをしていていいのだろうか、人の子としての道を踏み外しているのではないか、そう思い詰めて思い悩み、活躍できず、潰れてしまう者も少なからずいる。こういう者にはある程度の距離感をもたないといけなくて、まあ、あまり面白くない。

 彩佳はすぐ調子に乗る癖があるが、少しくらいの開き直りは重要だ。人の子にとってこの現実を飲み込むのは大変だが、彩佳は信じられないくらい順応している。

 俺は最高に楽しいが、彩佳も楽しいだろ?」

「うん! だって、私はヒカル様のお嫁さんなんだもん!」

 満面の笑みで、自身を持って言える。

「ああ。だから、俺はお前と全力で楽しみたい。今後起きる、俺達にとっての数々の見せ場を。」

 そ、そうか。


「もうすぐ家につくぞ。例のクズについては家に持ち込むなよ。

 ドアを開けたら、何事もなかったかのように笑顔で『ただいま』と言うんだ。」

「よし、わかった。」

 顔を軽く叩いて気合を入れる。

「ただいまー!」


 ◇ ◇ ◇


 寝床に入っても、やはりというか、まだ少し怒りで心が高ぶっている。晴人とヒカル様に癒やしてもらったけど、それでもまだ足りない。こんな状態だと、まだヒカル様に清らかな心で向き合えない。でも、仕方ない。とにかく寝ないと。


 目を閉じてしばらくすると、いい匂いがしてきた気がする。そうだ、これはヒノキの匂いだ。この匂い、日本人ならみんな好きだよね。体がゆったりと温かい感じがする。目を開けると、というか瞼の裏の世界を見ようとすると、ここは温泉宿の檜風呂のようだ。大浴場ではなく、個室を貸し切るタイプだ。ジョジョジョジョジョ、とお湯が吐き出される音がする。かけ流しなのかな。そして、膝を伸ばして座ってる私の背中と足の下が柔らかいけど、これってもしかして……。

「どうだい、彩佳? 気持ちいいか?」

「私、ヒカル様に後ろから抱っこされてる! い、いいの?」

「今日は頑張ったからな。ご褒美をやらないと。」

 よく見たら私の長い髪が胸にかかってる。低い位置でツインテールか何かにして、髪を前にもってきたのだろう。

「髪の毛がお風呂に入って、きたなくないかな?」

「細かいことは気にするなって。

 彩佳の濡れた長い髪の上から触る、彩佳の風呂に浮かぶ胸、なんとも言えない触り心地だな。」

 ヒカル様は私が横に落ちないよう片手で私のお腹を抱き、もう片手で胸を触る。髪の毛が乳首をこする感覚が甘くて気持ちいい。ヒカル様がたまにうなじにキスをするのも心地いい。

 こうやってリラックスすることも出来るんだ。知らなかった。

 下を見ると、髪の毛がブラみたいだ。なんか不思議な感じ。いままで避けてきたけど、黒いブラって魅力的なのかな? でも、デザインをかなり選びそう。

 あれ? ヒカル様、足閉じてるの?

「俺ってジェントルマンだからさ、大きくなったアレを彩佳の尻にあてたくないんだよ。今は発情するより心を落ち着けたいんだろ? 俺だって多少は分別あるさ。」

 日頃の行いを見てる限りヒカル様はジェントルマンとは到底いえないけど、たまにはこういうのもありかな。今日は抱きしめられていたい気分だ。

「でも、少し落ち着いてきたら、足をお風呂の底につけてみたらどうだ?」

 そういえば、私の足は両方ともヒカル様の足の上だった。では、少し足を開いて両足を底につけようかな。

 お股にお湯が流れ込んできた! 考えてみたら当たり前だけど、なんとも言えない気持ちよさに声が出そうになってしまった。

「俺を椅子代わりにできる機会なんてそんなにないんだから、たっぷり楽しんでおけよ?」

 やけにはしたない、ヒカル様チェア。足を開いた状態じゃないと座らせてくれないんだよね。

 ヒカル様は両足を揃えた状態で膝をちょっと曲げたり伸ばしたりして、常にお股にお湯の流れができる状態を作ってる。その上、私の胴体をずっと抱きかかえながらさすっている。何がジェントルマンしんしだ。立派な変態紳士、じゃなかった、変態神使じゃないか。

「少し、気分が楽になったか?」

 そういえば、今日はヒカル様と一回もちゃんとキスしてない。

「ヒカル様、キスしたいな。」

「こっち向いて、彩佳。」

 ヒカル様の揃えた両足にまたがるようにしてヒカル様に抱きつく。膝は浴槽の底につける。ヒノキのいい匂いと温かいお湯、そして大好きなヒカル様。幸せだな。

「飼い主を襲う駄犬に見えなくもないが、たまには積極的な彩佳もいいものだ。」

「大型犬じゃないもん!」

 うーっ、とうなる猛犬のふりをしてから、ヒカル様の頭に両腕を回す。

 いきなりキスしようかと思ったけど、最初は頬に頬ずり。

 こういうのも幸せを実感できるよね。

「きゅーん」とワンコっぽい鳴き声をあげたくなったけど、ヒカル様は犬にすごい対抗意識を持っているキャラなので、ぐっとがまん。同じイヌ科だからかな?

 そして、ディープキス。

 緊張がほぐれてきた心が、さらにほぐれる。

 ヒカル様のキス、美味しい。

 だいぶ落ち着いた。ありがとう、ヒカル様。

 お礼にヒカル様の顔に頬ずりしちゃう。

「狐」を自称する割には狐耳や狐尻尾がついてないし、頬に髭もない。すべすべなお肌が気持ちいい。

「今日はもう寝ちゃっていいよ。このまま抱っこしてあげるからさ。」

 わかった。おやすみなさい、ヒカル様。


 ◇ ◇ ◇


 昨晩、こう決めた。今週末でワンピースを作る。


 実は、先日の誕生日プレゼントにミシンを買ってもらった。

 ゴールデンウィーク中に、両親に晴人と付き合い始めたことを打ち明けた。大学のガイダンスで知ってる顔を見かけ、慣れない環境でお互い頑張ろうと協力することにしていた。そうした四月末に彼が告白してきて、私がそれをOKした。そんな設定にしておいた。

 母は応援してくれて、父はちょっと悲しそうな顔をしたけど笑顔でいてくれた。

 そして、「好きな人の前ではきれいな格好をしたいので、誕生日プレゼントにミシンが欲しい。」と言ったら、母がミシンを買ってくれることになった。「子供ができたらいろいろ使うからねー。」と笑顔で言ってたけど、どこまでが冗談でどこまでが本気なんだろうか。


 最初に作るのはワンピースとすぐ決めたが、デザインは相当悩んだ。

 高校では美術部のエースだったんだ。まずはざっくりとデザインを考えて、それに雰囲気が近い型紙を探すことにした。さすがに型紙からチャレンジする気はしない。

 全体的には布をたくさん使ったほうがいいな。上半身でも下半身でもふんわり感を出したい。でも、ふんわりした中にきゅっとしまった印象を出すなら、胸からストンと下まで落ちるデザインではだめで、ウエストマークは必要。

 袖は難しいと母が忠告したので、ノースリーブ。カーブをきれいに縫うのが難しいそうだ。スカート部分は、布たっぷりのフレアーにしよう。初心者の私でもなんとかできるレベルだと思う。裾の長さは、そうだな、私の膝下から脛くらいかな。ウェストマークをするには着脱方法を考えないといけないけど、前開きボタンがよさそうだ。服の前に縦のラインが入るから、スレンダーに見える。ワンポイントにスカーフとか巻いてもよさそうだけど、ワンピースとは別の話。襟は女の子っぽいブラウス襟かな?

 そう考えながら簡単に絵にしてみたらいい感じだったので、そのような雰囲気の型紙を探すことにした。

 初心者だもん、手順が丁寧に書いてあるのを選ばないと。ネットで説明が親切そうな型紙屋さんを物色してみると、よさそうな店があった。デザインもちょっと変えればいい感じで、作り方の手順もすごく丁寧に書いてあって、初心者でもできたっていうレビューも参考になった。兄貴は大学に入ったらすぐクレジットカードを作れと言ってたが、確かにネット通販には便利だ。ポチってすれば手元に届くもんね。ネット通販デビューと喜ぶのはいいけど、使い過ぎは厳禁だ。

 型紙一個で送料がかかるのももったいない。そう思って他の型紙を物色していたら、目に止まったものがあった。というか、そこから目をそらせない。

 カシュクールデザインのブラウス。ニットではなくて、肩に入ったタック、つまり布をつまんで作ったひだから下に落ちるような、上品なドレープ。前の合わせが和服っぽい。パーツはワンピースよりちょっと多いから、ワンピースのほうが作りやすいとは思うけど、上達したら絶対挑戦したいと思って、これもポチッ。

「ドレープを魅せるブラウスは布が重要! このブラウスにはこの布がぜひオススメ!」

 サンプルで使った生地も一緒に売っていた。

 ぼったくりや、店が余ってる布の在庫処理をしたいだけだったら大変だな。でも、合わない布をよくわからずに選んで買ってしまったら、それはそれで痛い。

 迷ったけど、最初だし店のお勧めの生地のホワイトを買っておくことにした。

 送料無料まではあと一つかな。

 一枚はブラウスにしたから、スカートにしようかな。

 あ、これ。襞の入り方が、巫女装束みたい。簡単に作れるっていうレビューの割にシルエットもきれい。ロングスカートにするなら、裾だけ伸ばしたらいいって書いてある。これもポチッ。


 そうやっていろいろ悩んで手に入れた型紙と生地が、届いたまま未開封だった。


 昨日、晴人は私を慰めてくれた。そのご褒美を用意しないと。

 晴人は私を見るたび、いつも私の服をしっかり見ているのがわかる。かわいい服、フェミニンな服、ふんわりした服のときは特によく見ている。そして、手で生地の感触を確認していることまで私にばれている。本人は気づかれていないと思っているようだが、あえて口に出すような野暮なことはしない。

 晴人が私の服に興味があるのは、疑いの余地がない。そして、見て眺めたいだけではないはずだ。あれは、確実に自分で着ることを想像している目だ。卒業式の後に私の制服一式を着せてみたら、まんざらじゃなかったし。

 私が作ったワンピースをプレゼントしたら、晴人はすごく照れるのだろうな。でも、心の中では涙を流して喜ぶはずだ。選んだワンピースの型紙が晴人でもいけるデザインだったのは気のせいじゃないよね。


 よし。午前中に生地と糸やレースなどの小物を入手するか。家庭科の裁縫セットがあるからはさみは必要ないけどね。

 恋する乙女として本気を出すぞ!


 ◇ ◇ ◇


 定期券の範囲内に大きめの手芸用品店があるのを確認済みなので、そこに開店直後に着くように直行する。

 布がいっぱい。編み物用の針や糸もいっぱい。ミシン糸やファスナーも多くの色がある。そして、よくわからない小物も多数。

 まずは布だ。ワンピース一枚で着ることを想定するので透ける布は不可。一方、普通のデニムは布が厚すぎるので扱いにくそう。布の質感を重視しないと。

 幼稚園や小学校向け小物の特集コーナーがある。

 うわぁ。面倒くさそうだ。晴人との子供ができたらやらないといけないのかな。でも、既製品買ったほうが楽だよね。晴人との時間のほうが大切だ。


 大量の布のロールの間を歩いていると、ストライプの綿麻キャンバス生地が目を引いた。これなら縫いやすそうだし、縦線が縦ボタンと合って、いい感じにスリムに見える効果がありそう。色はどうしようかな?

「おいおい、もう少し見て回ろうぜ。これ、縦線が傾いたら一巻の終わりだぜ?」

 ヒカル様が割り込む。一緒に買物に付き合っていただけてるんだ。よからぬことを考えているんだろうけどね、

 でも、確かにヒカル様が言っている通りだよね。初心者だし、ミスしにくいものにしよう。縦線以外にも、模様が入っているものは避けよう。無地をチェックするんだ。

 次に目についたのは極薄デニム生地。厚いのはダメでも、薄かったら問題ないよね。その上、デニムだったらデザイン的に間違いない。大学に通う服としても問題ないし。色も薄い青から濃い青まで数種類。薄いほうがいいかな?

 ……と思ったら、「生地は一度水通ししてからご使用ください」と丁寧に書いてある。水通しって一度洗うことだよね。これだと週明けに間に合わない! パス。

 次に目についたのは、きれいな色の綿ローン。肌触りは文句なしだけど、生地がちょっと薄すぎる気がする。自信がないというか、何か嫌な予感がするので諦めよう。今回は布が落ちるのではなく、ふわっと広がるほうがいい。

 最終的に、元の綿麻キャンバス生地に戻る。無地と決めたら、次は色だ。

 真っ先に注目したのはローズピンク。自分の部屋でだけ着るなら迷わずこれなんだけど、これ一枚で外出となると、何か違う気がする。同じ赤系の色なら、少し落ち着いた感じの煉瓦れんが色、じゃなかった、ビンテージテラコッタのほうがいい。明るい色なら夏っぽいスカイブルーでもいいけど、晴人にはどっちが似合うだろう。

 少し迷った結果、晴人が真っ赤な顔になっても似合う方のビンテージテラコッタにする。

 後は糸とボタンかな? 接着芯もいるのか。

 店員に布を切ってもらうついでに必要なものを聞いておこう。素人だって将来は上客に化ける可能性があるんだ、店もそこまで混んでないし、さすがに意地悪されないでしょ。


 ◇ ◇ ◇


 家に帰って、母と軽い昼ごはんを準備する。大学生の兄は下宿、父はどこかに出かけたらしいので、午後は女二人だ。

「綾音ちゃん、いい布見つかった?」

「テラコッタの綿麻キャンバス! これなら問題ないでしょ?」

「暑くなるとアイロンが大変だし、服作り始めるには今がいいチャンスよ。」

「え? アイロンいるの? ミシンでこう、ガガガーってやればいいんじゃないの?」

地直じなおしといって、スチームアイロンをかけて布の縦横をしっかり整えないと、出来上がった時に歪んじゃうんだよ?」

「うげ、聞いておいてよかった。」

「型紙を写すときは慎重に。布を切る段階で失敗すると手遅れだから、気をつけてね? あと、怪我には気をつけるんだよ?」

「はーい。」

「何かあったら、遠慮なく声かけてね? 彼のためだからと言って、意地悪しないから。

 あと、おおまかな手順は先に頭に入れておかないとダメだよー。」

 この後の作業で頭がいっぱい。ご飯の味が感じられない。

 それにしても、母がアドバイスしてくれるのは心強い。地直しなしで突っ込んで爆死するところだった。


 ◇ ◇ ◇


 まずは、型紙を切るところから。

 この型紙は最初から縫い代がついてる、はじめてさんにも親切な型紙なので、布に写したらミシンでそこから1センチのところを縫えばいい。

 こういう親切設計って、感じいいよね。またここの型紙を使おうって思っちゃう。最初から敷居をあげた状態のほうが達成感がある、勉強になるからよいだろうと思う人は勘違いしている。こっちは最小限の労力で失敗しないで作りたいんだ。

 手順書もイラストつきで、わかりやすい。 少なくても、布をどの向きに置けばいいのか、どういう配置で置いて裁断するかがわかるだけでもぜんぜん違う。そして、初心者にもできるプロのコツ、みたいなのがイラストつきで書いてあって、好印象。ちょっとしたテクニックも身に付きそう。

 そうか、説明書って学校の授業のようなものか。ダメな先生だと、ダメな教え方しかできない。できる先生だと、どう教えればいいかわかってるし、雑談もためになる。

 服のラインの出方にもこだわりを持ってるパターンメーカーみたいだから、出来上がりが楽しみになる。うまくできたら、もう少し他の型紙も見てみよう。


 布の作業は地直しから始まる。

 怖いので布が変に曲がらないよう、慎重にやってみた。私の荒い鼻息がスチームアイロンの蒸気みたいだな、と内心思ってしまったが、気にしてはいけない。


 そして布の裁断。

 前みごろ部分と、後ろみごろ部分。スカート部分。表襟と裏襟。ポケット。接着芯。ウエストのリボン。そして、余った部分でおそろいのシュシュも作ろう。

 一通り布を切り取ったら、合図が書かれている場所に、型紙通りに2ミリくらいの長さの切り印を鋏でいれるんだそうだ。そこを合わせて縫うんだって。なるほど、そうするとどっちかが伸びすぎたりしないで、均一に縫える。 それに、間違った縫い方をしていてもミスの発見が早い。

 今度は接着芯をアイロンでくっつける作業。重要なポイントで生地に張りを出るためなんだけど、生地がよれちゃうと取り返しがつかないので、この作業は丁寧にやらないと。市販のブラウスの襟がへなへなになってないのは、実はこの接着芯のおかげ。

 前みごろのボタンとボタンホールのところにも接着芯。前がしなしなになって延びちゃったら、カッコ悪いもんね。


 やっと本番というか、真打ちのミシン作業。

 上部の前と後ろの左右のパーツを合体させる。切った印のところを合わせて、ずれないように。ここでちょっとしたタック、つまりひだが入るから、体にフィットしたラインになる。

 今度は前と後ろのスカートの切り印を待ち針で固定してミシンをかける。ポケットを作るから、慎重に空きを作らないと。テキストの手順通り気をつけて。

 きれいな服を作るためには、実は作業ごとにアイロンかけが必要なのよね。パーツを作るごとにアイロンかけ。襟ができたらアイロンかけ、ワンピースの上部分の縫い代を割るとか、スカートの裾の縫うところの目印とか。裾は切りっぱなしというわけにいかないから、三つ折りにして切った端が表に出てこないようにする。

 面倒だけど、手順を勝手にスキップするのはやめておこう。

 はじめてが大きなパーツの組み合わせのワンピースで良かった。細々としたパーツの多い服だと、頭がごちゃごちゃになっちゃう。


 スカートは、もちろん切り印はあるんだけど、上の裾とちょうど合うようにギャザーをよせなきゃいけない。ここでも切り印が活躍する。

 まずは、スカートのウェスト側に太い縫い目で2本、ミシンでぐるりと縫う。そうしたら、縫い糸2本を少しずつ引っ張って、ギャザーを作りつつ、スカート側とウエスト側のの切れ目をあわせる。これを数回。一周分できたら、アイロンでギャザーを固定して上下を合体。形はできてきた。

 あとは、ミシンで上下を合わせて合体。

 ここで夕飯のため時間切れ。今日はここで終わりにしよう。


 簡単なデザインを選んだせいか、大きなミスをしなかったせいか、意外と早く終わったのかな。残るのはボタンホール。ミシンの機能でボタンホールは作れるとは言え、面倒そうだな。斜めに作ってしまうと大変だし、少なくても何回か練習しないと台無しになる。スナップボタンに変えようかな。派手なミシンの直線縫い作業が終わると、どうしてもやる気が落ちてくる。変えるなら明日だ。一晩考えよう。


 ◇ ◇ ◇


「おう。いつまで俺を待たせるんだ?」

 夕飯を食べて休んでいたらヒカル様が脳内に登場。

「え?」

「例の取引だよ。ネット通販のやりかたもわかっただろ? 買うものが多いのは大変だが、そろそろ取り掛かってくれよ。納期が長いのもあるし。」

「ご、ごめんなさい……。」

「カードの請求日の前にバイトの給料が入るから口座の金も問題ないはずだ。」

「でも、家に届くと何言われるかわからないし。」

「それなら問題ないだろ? 親が無関心な、あの家があるじゃないか。」

「彼が親に使う言い訳はどうしよう?」

「こんなのどうだ? 大学のサークルの出し物で使うんだが、下っ端同士のじゃんけんに負けたから部屋を倉庫代わりに使う羽目になった。これくらい頭使えよ。」

「さすがヒカル様! それでいく!」

「明日までに注文しとけよ? もう待ちくたびれたぜ。」

 ヒカル様が不機嫌なのは嫌。私は夜伽巫女としての務めを果たさないと。

 さて、晴人に相談するか。喜んで置かせてもらえるといいな。


 ◇ ◇ ◇


 通販の受け取りをやってくれるかと聞いたら、晴人は二つ返事でOKだった。

 ヒカル様に頼まれた買い物の準備をしておく。必要なものはわかったので、それぞれ売っている店を探す。値段と納期を考えながら、店をブラウザのブックマークに入れておく。一晩冷静になって、明日注文しよう。

 頭まで布団をかぶって、ヒカル様への感謝の言葉を心の中で唱えて、夜伽に入る。


「やはり彩佳はきれいだなー。」

 自室の鏡の前で、私は今日作ったデザインのワンピースを着ている。ただ、色はローズピンクで、生地は薄い綿ローン。下着をつけていないせいか、胸に綿ローンの気持ちいい生地が直接当たる。綿ローンの生地を買わなくてよかった。どうみても夜伽専用だ。

 私の後ろにはヒカル様が立っている。高校の制服っぽいワイシャツ一枚で、下は履いていないらしい。なお、股間がちょうど隠れるくらいの絶妙な長さである。

「服が一枚ずつだから公平だろ?」

 うん。何かずれている。

 ヒカル様は後ろから胸の上下に腕を一本ずつ絡め、私の左の耳たぶをなめる。

 少しくすぐったい。

「せっかくだから、もう少し気分を出そうかな?」

 ヒカル様は胸のところにあるボタンをゆっくりと一つ外す。この時、手のひらで胸を少し刺激することを忘れない。作るワンピースはやはり、予定通り普通のボタンにしよう。この楽しみは重要だ。

 さっきと同じように胸の上下に腕をまわし、腕を上下に動かして両胸を刺激する。ボタンを外したところの隙間のひし形の縦横が変わる。そして、私の右の耳たぶをなめる。

「うん。さっきより彩佳が可愛らしくなってきたな。赤くなってきた顔が服のローズピンクと合ってるぞ。」

 この変態狐め……! 後ろから抱きかかえられているから、恥ずかしくてもしゃがむことはできない。その上、私の腕を後ろに動かせない状況で抱きしめられているから、ヒカル様をぽかぽか叩いて抵抗することもできない。

「そして、こうやって彩佳の上半身の布をいじることで――」

 胸をいじりつつ、腕で布を上下させる。

「――スカートの丈が変わるのが、また何ともいやらしいんですなぁ。」

 スカートの裾が私の膝のあたりを上下する。上げすぎないところがポイントなのだろう。

「薄い生地だと乳首の盛り上がりがよく分かるし。」

 ヒカル様が綿ローンの荒くもなく、滑らかでもない生地で乳首を刺激するから、つい固く大きくなってしまう。

 ヒカル様の意地悪。

「体のラインが出る服がセクシーと言ってる人は、絶対に間違っている。

 こうやって肌の上に服をすべらせ、服の上から体のラインを確かめるのがいいんだ。」

 なでなで。さわさわ。

 もみもみ。ふにふに。

「せっかくだから、今度はこの色のパーティードレスを着てもらおうかな。」

「え?」

「似合うパーティードレスを着ると彩佳の明るさと輝きが引き立つと思うんだよね。さすがに外で着るのも難しいし、だからといって家で飾っておくのもどうかと思うけど、夜伽なら問題ないだろ?」

「そ、そうね。」

「それは今度の話。

 今は彩佳を後ろから抱きかかえて、胸をたっぷり楽しみたいな。」

「ヒカル様もおっぱい星人?」

「胸の大きい女性を捕まえた以上、胸を楽しまないのはもったいない!」

「は、はぁ。」

「でも、ずっと立ってるのも大変だからベッドに座るか?」

 そうする。


 私の隣にヒカル様が座る。

 そのままヒカル様は私を押し倒してキスをする。

 いつもの舌を入れる濃厚なキス。

 好きな人に押し倒され、乱暴されるのは気持ちいいこと。

 頭を後ろから抑えられ、唇を唇に押し付ける。

 キスされながら両胸を刺激される。

 頭皮を鷲掴みにされ、もみもみマッサージされる。

 荒々しく感情をぶるけられ、気持ちよさで頭がぼーっとしてくる。

 犯されるの、大好き。、

 ちゅぱちゅぱ。

 もみもみ。

 くりくり。

「このまま、寝ちゃう?」

 うん。

 慣れない作業で疲れてるから程々がいい。

 おやすみなさい、ヒカル様。


 ◇ ◇ ◇


 月曜日の朝、家族で朝食をとっていると母が聞いてきた。

「あれ? せっかく作ったワンピース、今日着ていかないの?」

 うげ。晴人に渡そうと思ったけど、今日来ていかないと不味そうだな。どうしよう。

「せっかく頑張ったんだ、彼も褒めてくれると思うよ?」

 父まで私を追い込む。

 どうしよう? どう切り抜けよう?


 この時、私に天啓が舞い降りる。黒い笑みをぐっと我慢。


「着ていくつもりだったけど、朝食の時に汚れたら嫌だから、やめといたんだ。飲み物こぼしたら嫌だし。」

「綾音ちゃん、そこまで気合い入れなくてもいいんだよ? お昼に汚れるかもしれないんだし。

 それにしても、ミシンどうだった? 長く使うものだろうからちょっと値が張るけどいい物にしてみたんだけど、使いこなせるよう頑張ってね?」

「時間がある時に練習しといたほうがいいぞ。就職するとそれどころじゃなくなるからな。」

「快適に使えたよ。裾やボタンホールまでできるのはびっくり。家庭科で使ったようなミシンを想像していたけど大違い。ありがとうね。」

「昔はいろいろ大変だったんだよ。」

「もう布おむつの時代じゃなかったけど、赤ちゃん用の細々した物をいろいろ作っていたんだよな。あの頃が懐かしいや。」

「今となってはいい思い出だよね。」

 うげ、二人揃って微妙にプレッシャーかけてきやがる。

「私達が体力あるうちは面倒見てあげれるから、期待してくれていいわよ?」

 うわああああ。この調子だど、「いつになったら娘の花嫁姿をみれるんだろう」、「早く孫の顔が見たいな」、「死ぬ前にひ孫と会えるかな」とか言い出しそうだ。早くご飯食べて席を立とう!


 出来上がったワンピースに袖を通す。ベルトの代わりにリボンでウェストマーク。髪はポニーテールにまとめて、シュシュ。肩が丸出しなので、上からカーディガン。初めて自分で作った服、晴人は気に入ってくれるかな。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、火曜日。四限が終わったのでこれからデート。

 晴人、私が大きめのバッグを持ってきていたのに気付いたかな? 気付いていてもいなくても、作戦開始であります!

「お疲れ、晴人。」

 待ち合わせ場所に駆け寄ってきた晴人に声をかける。

「お待たせ。ちょっと授業が伸びちゃって。今日はどうする?」

 ニヤリ。

「ちょっと校舎に用があるので、ついてきてくれない?」


 クエスチョンマークが頭の上に踊る晴人を多目的トイレに連れていく。一応、五限の授業中だし、どうしてもここを使う必要のある人はいないだろう。晴人が理由を聞いてくるけど、適当にはぐらかす。

「綾音、えっちなことをするの? トイレでするの、嫌だな。」

「はい、晴人。」

 満面の笑みで、バッグから取り出した袋を晴人に渡す。全国チェーンの服屋の袋で、服なら何が入っていてもおかしくない。

「ちょっ……!!!」

 晴人が凍る。なにしろ、入っているものは――

「これ、昨日綾音が着ていた服? そして、この白いのは……。」

「晴人? ここでこのワンピースに着替えて。」

「えっ、えええーーーーー???」

「下着はお好みで。」

「恥ずかしいって。」

「晴人? 私は晴人が喜ぶと思って、晴人に似合うワンピースを作ったんだけど。

 私、何か間違っていたかな?」

 ただでさえ赤かった晴人が、もっと赤くなる。

「私、知ってるの。晴人は私の服にすごい興味があるんだよね。本当は着たいんでしょ? 私になりきりたいんでしょ? ごまかしても無駄だよ?」

 晴人が沈黙。うんうん。予定通り。

「別に、ワンピース着て女装してデートして、って言ってるわけじゃないから安心して。晴人のワンピース姿をここで見たいだけ。写真に残したりシないから、安心して着て?」

 少しほっとする晴人。あと一息。

「着替えを見られるのがまだ恥ずかしいなら、私は後ろ向いていていいから。一度トイレから出てもいいけど、ドアが空いている間に万が一、人に見られたら嫌でしょ?」

 晴人が手元のワンピースを見る。

「自分に素直になったほうが、後で後悔しないよ?」

 まだ、もうひと押し足りないな。

「変かもしれないけど、私は晴人のワンピース姿を見たい。私が晴人のために頑張って作ったんだもん、似合ってるかどうか知りたいな。だめ?」

 ここで笑顔を決める。歌舞伎役者が見得を切るようにじっとする。

「……わかった。でも、綾音は後ろ向いてて。そして、着替えてる間は見ないでね?」

 やった!

「しょうがないな。着替え終わったら教えてね? ついでに耳塞いでいたほうがいい?」

「そこまでしなくていいよ。」

 後ろを向くと、晴人が着替える音がする。見たいけど我慢。必死に我慢。ここで信用を失いたくない。着替える音を聞きながら晴人が照れながら着替えている姿を想像するのも萌えるから、それでいいか。

 前ボタンだと晴人でも着やすいよね。ボタンの合わせがいつもと逆だけど、そこまで苦戦することはないでしょ。


「これで、いい?」

 似合ってなかったらどうしよう。一抹の不安を感じつつ振り返る。

「変じゃない、かな?」

 頬を染めて恥じらう晴人が、この上なく愛らしい。

「いい! 全然いい! むしろ予想以上!」

 素晴らしい。中性的な晴人だからこそ成り立つ、この美しさ。

 私の晴人が、私の作った服に包まれている。私に抱かれている晴人。

 思わず晴人を抱きしめ、晴人の唇を容赦なく奪う。

 晴人がかわいい。晴人が美味しい。

「でも、足にほとんど布が触れていない感じって、なんか変な気がする。」

 そうだよね、そのワンピースは布が布だから自然と広がって、あまり足にまとわりつかないんだよね。

「でも、私はこういうスカートをよく着るよ?

 スカートを履くと足が心もとないから、つい好きな人にくっつきたくなるんだよね。体が触れる安心感って、いいでしょ?」

 晴人は頷く。

「それに、ワンピースを着てると、隣りにいる恋人に心を委ねたくなるんだよ?」

「え?」

「こうすると……。」

 ちょっとかがみ、晴人のワンピースの中に手を入れ、晴人のお尻を触ろうとする。裾が広がるワンピースだから手を入れやすい。

「やめて、やめてよ綾音!」

 晴人が高めの声で慌てる。そんな乙女な晴人に萌えてしまう。

「スカートの中を攻められると、自分の手で相手の手を止められないんだよね。スカートやズボンなら腰から手を入れて抵抗することができるけど、ワンピースだと無理なんだよねー。」

 晴人がちょっと涙目になっている。やりすぎたかな?

「私は晴人が相手なら全然問題ないけどね。

 これからも晴人に女心をいろいろ教えないと。」

 晴人が拗ねだした。このへんが引き際だ。

「じゃ、この後は普通にデートしようか? 後ろ向くから元の服に着替えてよ。」

 後ろを向いたら、晴人が着替え始める。その間に晴人に伝える。

「ワンピースと下着は一晩貸してあげるね。昨日着たまま、洗ってないんだ。一晩貸してあげるから、明日返してね。もちろん、洗わなくていいよ。」

「え?」

「金曜日に私を慰めてくれたお礼。パジャマ代わりに着ても文句言わないから、一晩楽しんでね。私の服、好きでしょ?」

 このために装飾多めでフェミニンな白い下着を昨日選んだんだ。

 晴人くんが「んんーー!」と唸ってる気がするけど、これは照れ隠しに違いないよね。

 作ったワンピースが一晩くらい家になくても、誰も気づかないよね。やばくなったらヒカル様が工作してくれるだろうし。

 夜伽巫女って便利だな。

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