第11話

11.


 大学一年の夏、ダメ音の合宿と称して大井澄市内の上乃辺先輩んちに俺と霧島先輩と吉野で二泊した事がある。銘々にオススメの音源を持ち寄って、昼夜問わず爆音で音を鳴らして酒を飲みタバコを吸い、音楽談義に花を咲かせていた。

 上乃辺先輩はアメリカのインディーズ・シーンに詳しい。今やすっかり有名になったブライト・アイズの初期音源を聞かせてくれたり、ジョン・フルシアンテの入手困難なアルバムを流したりした。

 霧島先輩は洋楽邦楽問わず何でも聞くが、その時は洋楽寄りで、アタリ・ティーンエイジ・ライオットのバキバキの轟音を響かせたかと思ったら、イギリスのディヴァイン・コメディというポップなユニットを教えてくれたりした。

 吉野は日本の古いパンクが好きで、町田町蔵率いるINUのライブ映像を自慢げに流したりしたが、その後実は大好きなんだとブリンク182をかけて、四人で爆笑しながら踊り狂った。

 楽しい二日間だった。俺はベースを持参してて、上乃辺先輩のギターに合わせたりして、霧島先輩はエアドラム、吉野がヴォーカルをやってバンドまがいの事をしては笑っていた。

 上乃辺先輩も霧島先輩も吉野も、音楽が好きじゃなかったら出会ってなかった。そう思うと、何だか不思議な縁を感じる。そもそも俺が軽音を辞めてなかったらこの三人とは出会えてなかった訳だし。

 ほとんど寝ずに過ごした二日間だったが、朝日が昇るのと同時に四人で雑魚寝した時、吉野が口火を切って、ちょっとした悩み相談みたいな展開になった。

 吉野は今まで女の子と付き合った事もセックスの経験も無くて、それを酷く気にしていた。上乃辺先輩は吉野を励まし、いつか吉野に合う女性が現れるだろうと言い聞かせた。霧島ダメ人間先輩はセックス出来る体力があるだけまだマシだ、そもそも人間は性欲を重要視し過ぎなのだよとか言った後に寝落ちした。俺も吉野に何かしら声をかけたはずだが、具体的に何を言ったかは忘れてしまった。

 ただ、音楽がきっかけで出会えたこの三人とは、音楽がある限りダチなんだろうなぁとぼんやり考えていた。勿論これから就活やら卒業やら、四人を引き離すものはいくらでも出て来るだろうが、それでも音楽で繋がってられるだろうとか思っていた。



 中央病院へ向かうタクシーの中で、何故か俺はそんな一年前の事を思い出していた。人間が出会うきっかけなんて様々だ。俺はこんな事をしたクソ野郎を絶対に許さないけど、この事件がなければ花村姉弟や五條、石橋、陸夫、九崎兄弟達とは出会えなかった。無論犯人に感謝するつもりなんて事は断じて無い。ただ、人の縁ってやつが本当に不思議なものだとぼんやり思っただけだ。

 そう、俺はぼんやりしていた。竜太郎が犠牲になった。そう告げた時の涼香さんのあの落ち着き払った口調。俺は、胸の奥に何か不快な引っかかりを感じていた。それが何なのかは、まだ分からない。涼香さんに会わなければ分からないと思う。

『全部無意義なら何故人間は言語を持つんだろうね』

『そんなポスト・フロイト的な意見、誰も聞かないさ』

「イツキ」

 隣のコウが声をかけてくる。

「俺は今、冷静か?」

 そう問いかけてくるコウは無表情だったし、声音も落ち着いていた。だからこそ、俺は違和感を覚えた。

「おまえに散々言っといてアレだけど、俺これ以上冷静で居られる気がしねえわ」

「そりゃ俺だって一緒だよ」

 タクシーが中央病院の敷地に滑り込む。俺らは救急外来の受付で事情を話し、集中治療室に向かった。遺憾ながら見慣れてしまった灰色の廊下にはウチの母親が居て、俺を見て驚いた顔をした。

「逸紀、どうしたの。また何かあったの? 今また誰か運ばれてきたみたいだけど」

「いや、それが……」

 俺はそれ以上何も言えなかった。

「俺達の友人が被害に遭ったんです」

 コウが無感情に言い放つ。母親は両手で口元を押さえた。

「母さんも無理しないで。俺は平気だから」

 そう言って母親の肩に手を回すと、奥の治療室から涼香さんが出て来た。白いシャツには血が付着していて、ジーンズの裾は土で汚れていた。

 俺は反射的に涼香さんに駆け寄る。

「涼香さん! 大丈夫ですか? 竜太郎さんは?」

「今輸血が始まったわ。チアノーゼは起こしてないからしばらくしたら安定するんじゃないかしら」

 いつも通りの、全くいつも通りの涼香さんだった。全人類に見切りを付けたような眼。でも俺は、それが恐かった。

 気付いたら俺は涼香さんの細すぎる腕を取って走り出していた。

 コウも母親もあっけにとられた顔をしていたが、俺は涼香さんを誰も居ない廊下の突き当たりまで引っ張った。

「何、仁科君、どうかした?」

「涼香さん、竜太郎さんが被害に遭ったんですよ?」

「知ってるわよ、私が見付けたんだもの」

 涼香さんはやっぱりこの世界に迷い込んだ異次元の人間みたいな様子だった。

『おお神よ、彼女は期待通りにしか動けなかった』

『タイカレーはあんまり好きじゃないな』

『防御壁って高すぎると崩れた時に大変だよね』

「涼香さん……」

 俺は彼女の肩に両手を置いたまま顔を上げる事が出来なかった。

 彼女は理解していない。目で見ても、耳で聞いても、その事実を心のどこかで拒絶しているように見えた。俺にはそれが分かった。

「弟の竜太郎さんが、殴られて血を抜かれてます。たった一人の家族がです。涼香さん、分かりますか? 俺は平気ですよ、どんな涼香さんでも受け入れます。だから……、だからそんな風に無理したり、或いは逃げたりしなくていいんですよ」

 絞り出すように俺が言うと、涼香さんはゆっくりと口を開けた。表情は無く、視線もうつろだった。

『操り人形の糸を切れ』

『壁のポスターがいきなり喋り出すんだ』

「良いんですよ、涼香さん。大丈夫です、俺は大丈夫です」

 俺は声を無視してそう言い続け、そのまま涼香さんを抱きしめていた。

『不思議な事って、例えば?』

『早急に対処しなければ両国の関係に亀裂が』

『人間はどこかで平等なのかもしれないな』

 細すぎるその身体が、少しずつ震えてきた。俺は涼香さんの骨が折れないように腕を緩めながら涼香さんを見た。

「りゅうたろう、が……」

 糸が切れた瞬間だった。涼香さんはガクガクと痙攣するように震えだした。

「竜太郎! なんであの子があんな目に遭わないといけないの? あの子が何をしたって言うの? 貴方が、貴方達が来なければこんな事にはならなかったのに! あの子が居なくなったら私は……!」

「大丈夫です、涼香さん、大丈夫ですから。それでいいんですよ」

 その悲痛な絶叫につられて涙ぐみながら、俺は涼香さんを抱きしめ続けた。涼香さんは俺から逃れようとじたばた藻掻いたが俺は手を離さなかった。顔を涼香さんの爪がかすった。皮膚が切れる感じがする。それでも良かった。俺なんかどうなってもいい、この人が現実を直視出来るようになってくれるなら。

「あの子が、竜太郎が居なかったら私はどうすれば……!」

 泣きじゃくる涼香さんに、俺は思わず口付けてしまった。

 涼香さんは一瞬停止したが、すぐに唸って顔を背けた。

「何? 貴方も私とセックスしたいの? ならそう言えばいいじゃない!」

「違います、違うんですよ涼香さん」

「だったら何でこんな事するの?」

「それは……」

「イツキ、どうした?」

 悲鳴を聞いたコウが駆けつけて来たが、涼香さんの様子を見ると驚いていた。涼香さんはきれいな顔をぐちゃぐちゃに歪めて泣き続けていた。

「大丈夫だ。竜太郎さんは?」

「まだ分からないが、命に別状は無いらしい」

「竜太郎が……竜太郎……」

 涼香さんはこれまで貯めてきた物が一気に核爆発を起こしたように泣いた。コウは軽く息を吐いてから集中治療室の方へ戻って行った。

「涼香さん、涼香さん」

 俺は彼女の肩を揺らして俺を見るように顔を上げさせた。涼香さんはまだ呆然と涙を流していたが、それは突然コールドスリープから覚醒して戸惑う人のようだった。

「大丈夫です、竜太郎さんは大丈夫です。でも、泣きたかったら泣いていいし、笑いたかったら笑ってもいいんですよ。俺は受け入れますから。俺は大丈夫ですから」

 涼香さんが俺を見る。その時初めて、彼女の黒くて美しい瞳に俺の姿が映った気がした。



「両親が亡くなる前から、私はこうだったの」

 涼香さんがぽつりと言った。目の前には呼吸器を付けられ輸血されている竜太郎が居る。呼吸はもう落ち着いてきている。医師と看護師が慌ただしく処置をしている中、ピッピッという脈の音が妙に響いて聞こえた。

 泣きやんだ涼香さんは今度は俺から離れなくなり、医師の許可を得て二人で集中治療室に入った。警察が来てたけど、事情聴取は何とか後にして貰った。

「感情表現が下手とかいうレベルじゃなくて、離人症じゃないかなんて言われた事もあったわ。でも違うんだと思う。自分でも、私はこういう人間なんだって納得して生きてきた。感情なんか表に出さなくてもいい、表に出すだけ厄介だって、幼い頃から悟ってたっていうと大げさだけど。私、両親が死んだ時泣かなかったの。それより竜太郎の事を守らないとって思ってたから」

 俺は黙って頷いた。

「でもさっき仁科君に言われて、私は逃げてるのかなって気付かされた。全く、直視したくないわね、そんな自分。貴方、結構な事をしてくれたわ。どうしてくれるの?」

 俯いて竜太郎の手を握ったまま涼香さんは自嘲的に笑った。

「責任は、取りますよ」

 俺は言った。

「この世は嫌な人間や嫌なものでいっぱいだけど、直視していかなきゃいけない、受け入れないといけない。それは辛い事です。俺だって今回の件で怒り狂ってて、同時に絶望してます。涼香さんが辛いなら、俺が引き受けます。支えますし、守りたい」

「何それ、プロポーズみたいね」

 俺らは少しだけ笑い合って、竜太郎の意識の回復を待った。

『雲海で叫ぶ声は誰の耳にも届かず』

『その体温だけがリアルなんだよ』

 一秒一秒がえらく長かった。医者が何か言う度にビクリとした。看護師が口にする専門用語全てが悪い意味にしか取れなかった。

 二時間ほど経った後、医者が普通の病室に移して良いと言った時の安堵といったらなかった。

 竜太郎を乗せたストレッチャーが外に出ると、コウが駆け寄ってきた。

「大丈夫なんですか?」

「ええ、あとは意識の回復を待つだけ」

「本当に……本当に良かった……」

 俺は驚いた。コウが目に涙を浮かべている。冷静さを欠きながらも二時間ここで待っていたんだ、当然といえば当然か。

 誰も居ない二人部屋に搬送された竜太郎は、点滴を打たれながらも安らかな顔をしていた。俺ら三人は無言でその寝顔を見ていた。涼香さんは右手で竜太郎の手を握り、左手は俺のTシャツの裾を掴んでいた。

『私達、ちょっと似てると思わない?』

 しばらくすると警察の人間がやって来た。この前話した刑事も居て、俺とコウを見ると驚いた顔をする。

「また君達の知り合いか?」

 中年で禿げたその刑事が訝しげに俺とコウを見遣る。

「はい、友人です」

「発見者は?」

「私です」

 涼香さんが毅然と言った。

「お話しを伺いたいので後ほど署までご同行願えますか」

「分かりました」

「涼香さん」

 俺が小声で呼びかけると涼香さんは微笑んだ。

「ありがとう、もう大丈夫」

 力強く言う涼香さんは、やっぱりとてもきれいだった。



 家に帰ると、リヴィングで親父が新聞を読んでいた。

「親父、ただいま」

 親父は新聞を脇に置いてタバコを一本取り出した。俺もソファに座ってタバコを取り出す。

「こんな遅くまで例の事件の犯人探しか?」

「いや、今度は友達が犠牲になって……」

 ライター片手に親父が目を見開く。

「また犠牲者が出たのか?」

「うん、墓場の奥の林でね」

「そうか……。命に別状は無いのか?」

「さっきやっと集中治療室から出た所だよ」

『水をくれ、喉がカラカラなんだ』

 親父はタバコの煙を吐き出しながら俯いた。

「もう犯人探しは警察に任せた方が良い。こんな事になって、次に狙われるのはおまえかもしれないんだぞ?」

「上等だよ。返り討ちにしてやる」

 俺が言うと親父は再び顔を落とした。

「頼むから無茶はしないでくれよ? 俺も母さんも晴奈も心配してるんだ」

「分かってる」

 それから俺らは無言でタバコを吸い、親父は寝室に行った。もう夜中だ。母親も晴奈も寝ているだろう。俺はキッチンで晩飯の残り物をざっと食ってから自室に戻った。

 そういえば今朝来たメールに返事をしていない。ベッドに転がって携帯を取り出し、メールを確認する。すると新着メールが一件あった。霧島ダメ人間先輩からだった。


『やあ少年、今朝は失礼。携帯が見事復活を遂げたのでお知らせするよ。それから、事件で大変だとは思うがリフレクターズのライブの予習にCDを貸したいと思ってる。俺は所用でこれから大井澄に戻るから、そっちが片付いたらウチに来ると良い。事件の事は上乃辺にも吉野にも言わないから安心したまえ』


 メールが来たのが今から約四時間前。もう先輩は大井澄に着いてる頃だろう。俺は簡単な礼のメールだけした。

 となると吉野のメールにもしらを切り通すしかない。俺はカチカチとボタンを押して、あくまで俺自身は事件には無関係だと送った。

 問題は唯莉だったが、俺は関係を絶つ為の文章を練っている間に眠ってしまった。

 そして俺はまた夢を見る。でもそれはこの前みたいなカオスなもんじゃなくて、何故かダメ音の部室に涼香さんが居て、何故か一緒にマニック・ストリート・プリーチャーズを聞いていた。サードアルバム、歴史的な鬱アルバムだ。1994年の作品で、当時精神を病んでいたリッチー・ジェームズ・エドワーズがほとんどの歌詞を手掛けた。その後リッチーは失踪、インドやドイツで曖昧な目撃情報があったが結局見付からず、十二年くらいしてからイギリスの裁判所が死亡認定をした。

「詳しいのね」

 涼香さんが微笑みながら言う。褒められた俺はなんだかくすぐったくなる。

「これ、十一曲目、気に入ったわ。歌詞が良い」

 俺は記憶を辿って「The Holy Bible」の十一曲目を思い出そうとする。思い出してぼんやりと驚く。


   "Die In The Summertime"

          

  錆びた爪で自分の両足を引っ掻いたとしても

  悲しい事にすぐに傷跡は消えてしまう

  髪を染めたとしても色はすぐに抜け落ち

  固定した理想なんか俺には一生涯無縁なもの

  子供時代の写真だけが俺に取り戻してくれるんだ

  清浄さや心の穏やかさを

  規制の中でおずおずと生き続ける俺

終日、河に小枝を投げ込んでるようなものさ

  邪道ばかりを這い回ってきたせいか

  俺にはかすかな創造の跡しか見えやしない

  I wanna die, die in the summertime

  俺の人生に口を開けた傷は大地にさえ汚点を残し

  俺の心の脈拍ほどにも動かない

  窮地に追い詰められた小動物みたいなもの

  本気で慈善精神を信じるなら

  物乞いの足でも洗ってみるがいい

  俺には創造の余地なんか見えやしない

  I wanna die, die in the summertime

  邪道を這い回ってきたせいか

  俺にはかすかな創造の跡しか見えやしない

  I wanna die, die in the summertime


 この曲はリッチーと共に歌詞を書いていたニッキー・ワイヤすら苦い顔をするほど暗い曲だ。涼香さんの趣味も分からないな。

「私にも色々な面があるって事よ」

 涼香さんがふんわりと笑う。

「お願いだから、私の全てを理解した気にならないでね」



「イツキ、起きろ」

 コウの声がする。

「もう九時だぞ。さっき竜太郎さんが意識を取り戻したんだ、起きろ」

 俺は茫洋としたまま身を起こす。もうちょっと夢の中で涼香さんと一緒にマニックスについて語りたかったな、と思ってからコウの言葉を理解する。

「竜太郎さんが? 無事だったのか?」

「ああ、大丈夫だ。それどころか墓場で怪しい奴を目撃してた。俺らも行こう」

「分かった、五分で出るから下で待ってろ」

 俺は着替えを済ませて下に降りて、冷たい水で顔を洗い軽く髭を剃った。

『そろそろ真相を打ち明けても良い頃合いだろう』

 リヴィングではコウと親父が話していた。

「あれ? 親父なんで居んの?」

「今日は土曜だろ。父さんも休みたいさ。それより、今恒一君にも言ったが、本当に危ない事はやめた方が良い」

「大丈夫だって。コウ、行こう」

「おじさん、お邪魔しました」

 外に出ると早朝だってのに日光が物凄い悪意を持って降り注いできていた。たまったもんじゃない。俺とコウは大通りでタクシーを捕まえて中央病院へ急いだ。

『日本人離れしてるよね、顔的に』

『目覚めたのが化け物だったらどうする?』

 せいたんの意識はまだ戻らなかったが、一応顔を出した。おばさんはほとんどやつれていたが、それでも頑なにせいたんのそばを離れなかった。

 それから俺らは竜太郎の病室へ向かった。入り口に警官と涼香さんが立っていて、遠巻きに他の入院患者達が様子を伺っていた。野次馬どもめ。この様子じゃ吸血鬼の第三の犠牲者が出たとすぐにニュータウン中に広まりそうだ。

「涼香さん、おはようございます」

「おはよう。竜太郎は元気よ。まだ記憶が断片的だけど、須賀君に電話で言った通り不審者を見てたの。もうすぐ似顔絵を描く人が来るみたい」

 涼香さんが言うと刑事二人が部屋から出て来た。

「もうすぐ似顔絵描きが到着しますので、またお話しを伺いに来ます」

「分かりました」

 禿の刑事は俺らを見てまた渋い顔をしたが、俺らにやましい事なんて無い。

 看護師の許可を得てから病室に入る。竜太郎は少し青白かったが、俺らを見ると笑顔を浮かべた。

「竜太郎さん、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。ちょっとダルいけどね」

「まさか竜太郎さんまでこんな目に……」

 コウが俯くと、竜太郎が言った。

「いや、それは僕が悪いんだ、自業自得だよ」

 俺とコウは驚いて顔を上げる。

「どういう事すか?」

「実は昨日電話があったんだ、僕の携帯にね。非通知で、ボイス・チェンジャーを使った妙な声で、『姉を殺されたくなければ誰にも言わずに一人で林まで来い』ってね」

「なんでその時俺らにひとこと……!」

「いや、本当に恐かったんだ。ボイス・チェンジャーを使ってたとはいえ、相手はまるで町内放送みたいに無感情にそう言ったんだ。その口調には背筋が寒くなったよ。これまでのイタズラ電話なんか比じゃない。コイツならやりかねない、直感的にそう思って……」

 俺もコウも何も言えなかった。九崎伸二は犯人の笑い声を聞いていた。竜太郎はその口調に戦慄した。一体、犯人はどんな奴なんだ?

「姉さんに見付からないように林まで行ったのは覚えてるんだ。人気は全然無くて、いつも動物の死骸を埋めてる場所に居たら、墓場の方から妙な声が聞こえたんだよ」

「声?」

「ああ。何だか唸ってるような、すすり泣きしてるみたいな、とにかく変な声で、そっと様子を見に行ったんだ。そうしたら白髪交じりの中年が、墓場の隅で座り込んで泣いてるのが見えた」

「泣いてた?」

 俺とコウは顔を見合わせる。

「うん、多分あれは泣いてたと思う。でもその後の記憶が曖昧でね……。その男から離れようとして林を走ってたら後ろから殴られたみたいで……」

 そこまで言うと竜太郎は頭を掻いた。

「その結果がこれだよ。だから言ったろ? 自業自得だって。最初から君達に話してたらちゃんとそいつを捕まえられたかもしれないのに……」

「いや、竜太郎さんは悪くないですよ!」

「そうですよ、仕方ない」

「失礼、警察の者だが」

 禿刑事と、スケッチブックを持った男が部屋に入ってきた。

「花村さん、墓場に居た男の人相を教えて下さい。こちらがその通りの絵を描きます。君達はもう出て!」

 禿に追い出された俺達は廊下に居た涼香さんと合流して、近場の椅子に腰を下ろす。

「聞いたでしょ? 犯人は私を使って竜太郎を脅迫したのよ」

 静かに言う涼香さんの拳は震えていた。俺はそっと肩に手を置く。

「あー、俺飲み物買ってきます。何か要ります?」

 コウがそう言って立ち上がった。気を遣ってくれてるのか。

「じゃあ俺ウーロン茶」

「私は微糖のコーヒーをお願いするわ」

「分かりました」

 コウが去ると、涼香さんはまたそっと俺のシャツの裾を掴んだ。

「これは怒り……なのかしら。犯人の事を考えると、もうどうしようもない感じがするの。頭がカーッと熱くなって、手近な物に当たってしまいそうで自分が恐い」

『涙なんかね、滲んだってすぐ乾くんだよ』

「俺もですよ」

 そっと、涼香さんの手に自分の手を重ねる。

「俺もせいたんがあんな目に遭った時からずっと、腹にマグマが貯まったみたいに全身が熱くなって、それが今もずっと続いてます。自分の手で犯人を捕まえないと気が済まない。でも、竜太郎さんが無事で本当に良かった。今はその安堵の方が強いです」

「ありがとう」

 涼香さんはほとんど聞こえないくらいの音量でそう言った。

「すぐ署に回せ! 大至急だ!」

 禿刑事が檄を飛ばしながら出て来た。スケッチブックを持った若い刑事達が走り去っていく。俺らは思わず立ち上がった。コウも戻ってきた。

「似顔絵、出来たんですか?」

 コウが尋ねると禿が頷いて、破いたスケッチブックの一枚を突き出してきた。

「この顔、見た事ないかね?」

『さあ、始めようか。忌まわしきゲームを』

 俺は開いた口が塞がらなくて、でも同時に全身が震えだして、思わず後ずさる。コウも目を見開いて喫驚していた。

「何? どうしたの二人とも」

「君達、この男を知ってるのか?」

 鉛筆でざっくりと描かれたその中年男性は、どう見ても俺の親父だった。

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