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□ □ □ □



 冥府の官吏のお兄さんの謎の訪問から一夜明け、私、ただいまちょっと不機嫌真っただ中におります。


 別に、朝起きたら綾芽がいなくてさびしかったとか、そういうんじゃありません。えぇ、違うんです。


 毎朝毎朝、私の方が目をますのが早いから、綾芽が起きる時に寒いだろうなと思って、湯たんぽがわりになってやろうと布団ごとずるずる引っ張っていく健気けなげな良い子なのに。


 今日! 綾芽は私をおいて、あろうことか先に部屋から出て行ってた! 酷い裏切りを見た!



「ふぬ! ふぬ! ふぬ!」



 丁度良い時に薫くんや料理番のお兄さん達がうどんのめんをこしらえるというから、それに便乗してありったけの思いを込めてみしめている。



「……ねぇ。そんな気持ちで作ったものが美味しくなると思ってんの?」

「そ、そうだ、そうだよね。わたしとしたことが、なんたりゅこと」



 いつの間にか背後に立っていた薫くんから耳元でささやかれた言葉に、私の目は完全に覚めた。



「ご、ごめんねぇ!」



 必要以上にぺしゃんこになってしまったもう向こう側がけて見えそうなくらいうっすい麺の生地きじを寄せ集め、頬ずり……は、衛生面を考えてしないけど、優しく優しくこね直す。この哀れな生地への、私にできるせめてもの罪滅つみほろぼしだ。


 時間が足りないからと薫くんに取って替えられた生地をラップに包み、足元にく。そして、もう一度足踏みの開始だ。



「薫さん。めんのつゆ、これでいいか味見てもらっていいですか?」

「……これ、昆布こんぶじゃなくてかつお?」

「はい」

「鰹だけじゃなくて、昆布も入れて。鰹、どれくらい入れた?」

「全員分なので、五つ掴みです」

「そう。じゃあ、昆布も同じ五きれでいいよ」

「分かりました」



 料理人のお兄さんと薫くんが話している間に、誰かから肩をトントンされた。振り返ると、別のお兄さんがうどんの麺を一本はしまんで私の顔の前に出してくる。



「あーん」

「ひゃー! あー!」



 なんと! つまみ食いさせてくれるんですか!?


 ちなみに、私は薫くんからつまみ食いはご飯がきちんと入らなくなるから駄目と禁止されている。そんな私にこっそりほどこしてくれる優しいお兄さんに、私は小さな声で歓声を上げ、言われるがままに口を開いた。



「……ん? んー」

「どうかな?」

「んー。かたいものがすきなひとはこれくらいでだいじょーぶ。でも、わたしはもうちょっとやわらかいほうがいいなぁー」



 小さな子の離乳食ばりの柔らかさとまではいかないけどさ。



「味は?」

「ふふん」

「あ、いや、雅ちゃ……」

「ここのおりょうりで、おいしくないものがあるわけがない!」

「つまり?」

「おいしいにきまってる! ……え?」



 気のせいじゃなければ、途中から別の声が話に入ってきてたような。そしてそして、さらに言えば、その声は……。



「さっきもつまみ食いしてなかったっけ?」



 腕組みをして私を見下ろす薫くん。

 こんな時はあの夏生さんよりも怖い。ホント怖い。



「あ、あれはぁ……そのー、えっとねー……そう! あじみ! かおるおにーちゃまとおなじように、あじみてつだってたの!」

「味見? 何食べても美味しいとしか言わないんだから、味見の程度が知れてるでしょ」

「そ、そんなことないよ!? ね!」



 麺をくれたお兄さんに助けを求めると、両手をパチンと合わせてきた。


 え? それは何? ごめんねのポーズ?



「綾芽さん達がやってるの見て、雛鳥の付けみたいだなって、やってみたいなって思ってて。……ごめん!」



 お兄さん、今じゃない。やってもいいけど、むしろ可愛がってくれるなら大歓迎だけど、分かる? 今じゃない。


 だってほら、薫くんを見て。ちゃんと見て。さっき一瞬私が怒らせたけど、あのお兄さんがタイミングよく話をそらしてくれたでしょ? それが今や、私だけでなくお兄さんも冷たい目で見られてるよ?



「それなら出来上がった時に言われるだけで十分。で? 他に言い訳は?」

「ぐぬぅ。……ない、ことも、ない」

「いやにねばるね。それで?」

「これはおてつだいのごほう……」

「びにはならないよ。別に用意されてるかもしれないでしょ」

「え?」

「ご褒美っていうのは、与える相手が選ぶもので、もらう相手が選んだものは、ねだりって言うんだよ」

「それって……もしかして、もしかしたりしてっ!?」



 それはご褒美が別に用意されてるってことでオーケーですか!?


 薫くんの言葉に期待がより一層高まっていく。



「さぁね。ちゃんと言いつけ守れて、きちんとご飯も食べ終わったら、もしかしたらあるんじゃない?」

「おにいさん、わたし、もうつまみぐ……じゃなかった、あじみはできません。ほかのおにいさんたちも、きょうはのーせんきゅーです。みんなおいしい。おいしいから、ごはんのときにたべるから。……はやくつくろ?」



 真面目にキリッとした顔で言ってみました。


 こねてーこねてーこねこねてー。おいしくなって、ちょうだいなー。


 即興で歌まで作って歌いながら足踏みを再開した。


 その時、滅多めったに鳴らない食堂の電話が鳴った。今時珍しい黒電話だ。一番電話に近い場所にいたお兄さんが受話器をとった。



「はい、玉梓たまずさです。……あぁ、君か。……え? はい。分かりました。すぐに向かわせます」



 電話を切ったお兄さんは受話器をすぐに置いたかと思えば、厨房の中にいる薫くんの名を大声で呼んだ。



「どうしたの? なんだって?」

「西で負傷者多数とのことです。ここからも手当の心得がある何人かと、それから……」

「この子も?」 

「すでに現場にいる元老院の雷焔殿からの指示だそうです」



 奏様が私を呼んでる? もちろん行きますよ! 手当のお手伝い!



「あと、迎えは……」



 お兄さんが少し困った顔を浮かべた次の瞬間。



「やれやれ。祭り以外の仕事が増えるのはごめんなんだけどなぁ」

「我々が門をつなげますので、どうぞご心配なく」



 廊下から二人組が食堂へ入ってきた。


 肩をすくめ、ずれたモノクルの位置を直すのは元老院のおひとり、カミーユ様。そして、その副官であるコリン様だった。お二人はこの間、彼らのボスである元老院長様からこの件が綺麗に片付くまでこの世界にとどまることを余儀よぎなくされ、東の屋敷にしばし逗留とうりゅうされている。


 そのお二人がいう門は奏様がいつも出すあの赤い門のことだろう。確かに、あれならすぐに行ける。いうなれば、どこでもドアと同じ原理だ。



「さぁ、早くご準備を」



 コリン様に促され、私と、何人かの料理人さん達はコックコートやソムリエエプロンを脱ぎ、準備をするために急ぎ足で厨房を後にした。



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