線香花火 - 第95話

 上月と妹原と俺の三人で、最初は手持ち花火におとなしく火をつけて遊んでいた。しかし上月がだんだん飽きてきたみたいで、やがて手持ち花火を両手に持って振り回しはじめた。


「花火を両手で振り回すな」

「いいでしょ、このくらい。花火だってまだたくさん余ってるんだから」


 いや手持ち花火の残量を気にしているのではなくて、俺は火で火傷する危険性の観点から注意したんだが。しかし上月はいつものように聞く耳を持たないみたいだ。


 だが、花火に飽きる上月の気持ちがわからないわけではない。俺もかなり前から花火に飽きているからな。


 花火ってやりはじめはきれいで興奮するけど、それが終わるまで、単調にひたすらつづいていくだけだから、見ているうちに飽きてくるんだよな。


 そんな痛烈な意見を述べてしまうと、日本全国で日々精進と工夫をかさねている花火師さんに失礼極まりないな。しかし、花火に飽きているという自分に気持ちに嘘をつくこともできないのだ。


 弓坂と話していた山野がすたすたと歩いてきた。


「上月。このまま淡々と花火していても暇だから、線香花火で勝負でもしないか?」


 地面によっこらせとしゃがみ込んでいた上月が山野を見上げる。口をへの字に曲げて、


「勝負勝負って、あんたって本当に勝負するの好きね」


 気だるそうに言った。


「別にかまわないだろ。お前だって暇なんだろ?」

「うるさいわね。ていうか、勝負するんだったら未玖とふたりですればいいじゃない」

「弓坂とだと勝負にならないだろ。ガチで勝負するんだったらお前が適任なんだよ」


 山野にとって上月はていのいい暇つぶしなんだな。男における上月の位置づけなんて、所詮はその程度だろう。


 上月はわざとらしくため息をついたが、「しょうがないわね」と重い腰を起こして山野の後についていった。太々しく文句を言っていたわりには勝負するんだな。


 見た目はまあ、そんなに悪くないんだから、もう少し素直にしていれば男子からもっと好かれるのに。バカなやつだよな。


 あいつのために何度ついたかわからない嘆息を「はあ」とついていると、


「麻友ちゃん、行っちゃったね」


 俺の右斜め後ろから艶かしい声が聞こえて、胸の真ん中が爆発しそうになった。


 俺に声をかけてきたのは、妹原だ。――ていうか妹原とふたりきり!? だとっ。


 思わぬシチュエーションに、心臓の鼓動がバンドのドラムの音みたいに早くなる。妹原とふたりきりでいるのは未だに慣れない。


 真夏の夜に好きな子とふたりで花火するなんて、幸せすぎて頭がどうにかなってしまいそうだ。妹原の服装が浴衣じゃないのだけは残念だが。


 浴衣を着た彼女とふたりで花火大会なんかに行ったら、心臓のこのどきどきはどこまで早くなるのだろうか。その日は無事に家まで帰宅することができるのだろうか。


 少しはなれた向こうの庭で、山野と上月が線香花火をつかった何やら下らない勝負をはじめている。その様子を少し羨ましそうに眺める妹原の表情が儚くて、抱きしめたくなるほどきれいだ。


 上にゆるやかに伸びる長い睫毛に、かすかに赤みを帯びている頬。そして天然の宝石のように輝き揺らめく瞳。


 彼女を形成するすべての要素が、俺の胸の深いところをじりじりと焼き焦がして、もどかしくさせる。そんな気持ちに支配されるのが幸せであり、同時にすごく不安でもある。


 どうして嬉しい気持ちと不安な気持ちが同時にあふれてくるのだろうか。俺の頭はおかしくなってしまったのだろうか。


 妹原の目がゆっくりと左に動いて、俺と目が合ってしまった。とっさに顔を背ける。


 このまま沈黙が流れるのはかなり気まずい。しかも顔がポットみたいに熱くなっているから、見られたら相当恥ずかしい。


「お、俺らも、線香花火すっか」

「う、うん」


 妹原のややぎこちない返事が背中から聞こえてきた。


 地面に放ってある花火セットの中をごそごそと漁って、線香花火を探す。底の方に線香花火のセットが透明のポリ袋に入れられていた。


 胸がどきどきしている今に思うことじゃないけど、線香花火って花火セットにかならず入ってるんだよな。線香花火の需要ってそんなに多いのだろうか。


 線香花火の一本をとって、妹原にわたす。もう一本とってから、百円ライターで妹原の持つ花火に火をつける。


 線香花火の先端が火でくるくると丸まって、豆粒ほどの火球ができあがる。ばちばちと松葉のような火花を散らしはじめた。


「わあ、きれい」


 妹原が線香花火の火を嬉しそうに眺める。


「八神くんは、線香花火って好き?」

「えっ、どうかな。ふ、普通じゃないか?」


 予期せぬ積極的な問いに唇がふるえるぜ。


「線香花火って、わたしは好きだな。夜空に打ち上がる花火もきれいで好きだけど、線香花火ってわたしのそばでしずかに火を出してくれるから、見ていると気分が落ち着くの」


 そうだったのか。俺は一度も感じたことのない大人な感覚だ。


「お、俺もっ、線香花火は好きだぜ。夏の花火って感じがするもんな!」


 日本全国で線香花火をつくっている花火師のみなさん、無駄に拳をにぎりしめたりしてすみません。線香花火の需要がないという意見は今すぐに撤回します。


 妹原が俺の顔を見上げてくすくすと笑った。


「八神くんは、大勢の友達と花火して盛り上がってる方が好きそうだけどな」

「ん、ま、まあ、そういうのも、嫌いじゃないな」


 俺の好みをみごとに言い当てられてしまった。言い淀むと妹原が口に手を当てて笑った。


「八神くんって、正直だよね。そういうところが友達に好かれてるんだと思う」

「そ、そうか?」


 褒められて嬉しいような、悲しいような、ちょっと複雑な気分だ。


 妹原がまた向こうにいる上月を見やる。上月は線香花火を五本くらい集めて、下品な火の玉をつくりだしている。


「麻友ちゃんも、きっとそうなんだと思う」

「あいつは、そんなやつじゃねえよ」


 手がかすかに揺れて、線香花火の火球がぽとりと落ちる。二本目の線香花火を取り出して火をつける。


 妹原は、俺が上月のことを好きだと勘違いしている。だから、俺がここでいくらがんばっても、妹原は俺の気持ちに気づいてくれない。


 四月から無計画なアプローチを開始して、妹原と仲良くなったのに。友達になって、夏休みにプライベートで遊びにいける仲にまでなったのに、俺の恋は前進している感じがあまりしない。


 むしろ人ひとり入れないほどに近いこのわずかなすき間に、決して交わることを許さない隔壁が存在しているような気さえする。


 妹原は俺のことを、やはり友達としか思ってくれていないのだろうか。そう思うと、胸が前と後ろから強烈な力で圧迫されているような気分になってくる。


 会話が途切れて気まずい沈黙が流れる。手のそばで火花を散らす線香花火をしげしげと見つめるしかない。


 妹原は、告白したり、恋人をつくる気はないのだろうか。それとも俺や山野が好きなタイプじゃないだけで、他に好きなやつがいるのだろうか。――なんて考えるとまた胸が苦しくなってきた。


「妹原は、好きな人とか、いないのか?」


 意思に反して口が動く。妹原がはっと俺を見上げる。妹原の持つ線香花火から火の玉が落ちた。


 妹原に二本目の線香花火をわたした。


「ごめんなさい。男子から聞かれたの初めてだから、びっくりしちゃって」

「あ、ああ。すまん。つい、気になったから」


 妹原の線香花火に火をつけた。


 妹原はうつむいて、燃えはじめる線香花火をじっと眺めて、


「特定の人は、いないかな。音楽で忙しいから」


 そうだったのか。俺以外の意中の男がいなくて、少しだけほっとする。


「でも恋はしたいと思うよ。麻友ちゃんや未玖ちゃんを見てると、羨ましいなって思うし」


 恋愛自体には興味あるのか。妹原のしずかな言葉には妙な説得力があるから、ひと言でなぜか納得させられてしまう。


 この先を聞くのは怖いが、同時にすごく知りたいと思う俺がいる。妹原に聞こえないように生唾を呑み込んだ。


「じゃあ、どんなやつが好きなんだ? 山野みたいなやつは、タイプじゃないと思うけど」


 言葉の端々に棘が含まれているような気がするが、許してくれ。


 妹原はうつむいたまま、線香花火の火をじっと見つめる。答えづらい返答について考え込んでいるのだろうか。


「どんな人が好きなのかな。あらためて聞かれると、わからないかも」

「そうか」

「ありきたりな答えになっちゃうんだけど、優しい人が好きかな。わたしの話をじっと聞いてくれる、優しい人が」


 妹原は自分の話を聞いてくれる人が好きなのか。俺の心の中のメモ帳にしっかりと残しておく。


「あとは、静かな人がいいかな。わたしはおしゃべりするのあんまり得意じゃないし、賑やかなところに行くのも苦手だから」


 これも重要な要素だな。こくりとうなずきながら、心にしっかりと刻んでおこう。


 線香花火の火の球が落ちて辺りが暗くなる。妹原が静かに息を吐いた。


「わたしみたいな地味な女の子の話なんて、聞いてても面白くないよね。わたしも麻友ちゃんや未玖ちゃんみたいに可愛くなれたらいいのになあ」


 妹原は自分が面白くない女子だと思っているのか。これは励ましてあげなければっ。


「そ、そんなことはないだろっ。妹原だって、その、上月や弓坂に負けてなんていねえよ」


 やばい。唇がふるえて声がうまく出ない。妹原に気持ち悪がられていなければいいが。


「妹原だって、学校でもてもてだろ。妹原のことが好きな男子だって、きっといるはずだぜ」


 きみのことが好きな男子はここにいるぞ! とは決して言えないけど。気分的には胸を張って言いたいくらいだ。


 妹原は俺の間抜けな姿を見て、しばらくきょとんとしていた。けど不意に口に手をあてて笑った。とても女の子っぽい笑い方だと思った。


「うん。そうだといいな」

「そうだぜ。絶対に間違いない」


 なにせ、きみのことが好きな男子一名がここに存在しているんだからな。


 妹原がうつむいて、少し気恥ずかしそうに言った。


「ありがとう。八神くん」

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