恋愛対象じゃないけど、特別な存在 - 第71話
一週間の停学が梅雨明けの梅雨前線のように過ぎ去って、また平常通りの学園生活が戻ってきた。
停学で学校に来られなくなると、普段の学園生活がいかにすばらしいものなのか、奥歯が痛くなるほど噛み締められるな――と感傷に浸ることはなく、登校するや木田と桂には散々と不良扱いされるし、女子には上月と山野との妙な三角関係をこれでもかと疑われるという、かなりぐだぐだな結末だった。
おネエの松山からは、「せんせい、八神くんに会えて、ほんっとうに嬉しいわぁ」と抱きつかれそうになるし。もう少し真面目に心配してくれる仲間はいないのかっ?
妹原と弓坂は、俺が松山さんに抱きつかれそうになるのを楽しそうに眺めてるしな。俺はいつからいじられキャラに認定されたんだ?
というわけで、あんな事件があった後でも俺たち三人は無視されたりいじめられることはなく、むしろ学校中で英雄扱いすらされている感じだった。
だが、その日の帰りに俺は松山さんに呼び出されて、上月といっしょに職員室へと向かった。
そして松山さんの口から、中越のことを聞いた。
中越は、先週いっぱいで他校へと転校することに決まっていたらしい。
あいつは昔から窃盗や暴力事件とかを起こしていたみたいだけど、今まではあいつの親父が幅を利かせていたから、学校と警察はすべて目をつぶらされていたのだ。
けれど、今回は弓坂の親父さんという最強のカードが俺たちと学校側にあるから、中越の親父は最後まで息子のフォローをさせてもらえなかったようだ。……弓坂の親父さん、恐るべし。
中越の転校先は知らされていないが、もしかしたら他県の遠い学校に転校させられるかもしれないと、松山さんは言っていた。
今さらあんなやつに同情する気はないが、他県に行かされるというのは、さすがに可哀想だな。俺みたいなやつの顔なんて、あいつは二度と見たくないのだろうが。
教室に戻ると、うちのクラスの生徒はだれもいなかった。カーテンのかかっていない窓から夕日が差し込んで、椅子や机を鮮やかな
今日はめずらしく朝から晴れていたから、夕日がすごくきれいだ。けど、だれもいない放課後の教室って寂しいな。無感動な俺でも思わず感傷的になってしまう。
……柄になくさっきから何を考えてるんだかな。腹が減ってきたから、意味のない感想なんかに頭を捻っていないでさっさと家に帰ろう。
机のフックにかけていた鞄をとって、よっこらせと教室の扉に向かうと、
「ねえ」
後ろから上月の声が聞こえた。
窓際に立つ上月は、あふれんばかりの夕日を背に受けて輝いていた。茶色の髪はまるで金糸のようで、サマーセーターから露出した白のブラウスも、肩のラインから袖口にかけて美しい光を放っている。
けれど逆光を受けた身体は影のようにくすんでいる。上月の表情をつかみとることができない。
「なんだよ」
「……うん」
上月は鞄の紐を両手でつかんで、力なく返事する。こいつがこんなにおとなしくなるのは、かなりめずらしい。
どうしたんだよ。なんでそんなに弱々しくなってるんだよ。
「透矢は、怒らないの?」
「は?」
「だって、あたし……あんたにひどいことばっかりしてたんだよ」
それはまるで
上月は言いづらいのか、首を何度も横にふって、喉につまった言葉を無理やり引っ張り出そうとする。
「それなのに、どうして怒らないの。あたしのせいで、危ない目に遭って、停学にまでなっちゃったのに……」
お前は、そんなことをずっと考えていたんだな。
上月は口が悪いし、意地も悪いし、何かにつけてむかつくやつだし、いつもふざけんなって思ってる。
けど、とても真面目なやつだ。
今もこうして俺みたいなやつのことを、じっと真剣に考えてくれている。だから俺も、放っておけないんだと思う。
弓坂に言われた通りなんだ。なんだかんだ言って俺は、こいつのことが気になって仕方がないんだ。
「我慢されるの、あたしは嫌なのっ。だから、怒ってるなら――」
「そんなの、わからねえよ」
こいつの泣きそうな顔は見ていられない。俺は後ろの机に座ってうつむくしかなかった。
「俺だってお前になめられて、最初はかなりむかついたよ。もう一生口利かねえって、今考えたらバカみたいだけど、そんなことも思ったりしたさ」
こんなこと、いつもだったら口が裂けても言いたくはない。けど今は、言うしかない。
「でも宮代から色々聞いて、お前が中越に連れていかれて、気づいたときにはそんなくだらねえ意地なんて全部吹き飛んでて、お前のことを必死になって捜してた」
そうだ。俺だってよくわからないんだ。
俺が好きなのは妹原だし、こいつは友達なのか、友達以上に想っているのかすらよくわからないけど、俺にとっては、その……大事なやつなんだ。
だから、この間みたいなひどい喧嘩をしたって、結局は見捨てることなんてできない。でも、それでいいじゃないか。
自分の本当の気持ちを正確に理解している人間なんて、きっとひとりもいないんだから。
俺は決然と顔を上げた。逆光に照らされた上月の顔は、笑っているのか、それとも悲しんでいるのか。ここからではやはりわからない。
「だから、もういいじゃないか。俺だって急に切れたりして、お前には悪いことをしたと思ってる。だから、その、今回は痛み分けだ。サッカーでいえば一対一の引き分けだ」
なぜか不意にサッカーが思いついたので、それっぽくたとえてみる。上月は机の端に腰かけて苦笑した。
「なによ、それ。全然たとえうまくないじゃない」
「うるせえ」
学校の成績がよくたって、文学的な才能なんてひとかけらも俺にはないんだ。妙な期待は持たないでくれ。
それでも上月は肩の荷が下りたのか、しばらくうつむいて無邪気に微笑んでいた。そんな仕草が、迂闊にも可愛いと思ってしまった。
そしてまた俺を見つめて、
「ねえ」
「今度はなんだよ」
「透矢は、あたしに、サッカーやってほしい?」
そんな質問を前ふりもなくしてきた。
「なんだよ、それ」
「この前ね、栞にお願いされたの。先輩またサッカーやってくださいって」
「でも、そんなこと言ったって、うちの高校にはそもそも女子サッカー部なんてないだろ」
「ね。それなのに、困っちゃうよね」
上月は妹想いの姉のようにつぶやく。
「ねえ。あたしは、どうすればいいかな」
そんなこと聞かれたって、なんてこたえればいいんだよ。
あんなつらいかたちでサッカーを辞めてしまったんだから、上月はきっと今でもサッカーに未練があるんだと思う。
しかもこいつは中学一年からレギュラーになれるほどの実力を備えていたんだから、むしろ未練が残らない方がおかしいんじゃないか。
でもサッカーを再開させるんだったら、女子サッカー部のある他の高校に転校しないといけなくなる。遠い名門校になんて転校されたら、夕飯どころか、会うことすらままならなくなってしまう。
そうなったら、上月のつくる飯は食べられなくなってしまうし、夜にふたりでだらだらすることも、バカみたいに喧嘩することもできなくなっちまうんだ。
上月がまたサッカーをやりたいって願っているなら、俺は友として上月を送り出すべきだ。
だけど、それでいいのか。俺は。俺は――。
上月は真剣な面持ちで、俺の返答をじっと待っていた。けれど、不意にくすりと笑って席を立った。屈託のない笑顔だった。
「なんてね。嘘よ。二年以上もろくに運動してなかったんだから、今さら身体がなまっててサッカーなんてできるわけないじゃない」
そんなことはないだろ。運動会のリレーも、体育のバレーボールだっていつも一番に活躍してるじゃないか。
「お前は、サッカーやりたくないのか? 中学でもすげえうまかったんだろ? 二年間のブランクはあるかもしれないけど、今からはじめたって遅くはないんだし」
俺の口が心に反してぺらぺらと動く。
上月は俺のわきを通りすぎると、背中を向けて言った。
「もう昔の話よ。サッカーには、未練なんてないの」
そんなの嘘だ。うちのテレビでサッカーの試合を欠かさず見ているやつが、未練がないはずはないだろ。
でも、そんな単純な考えで意見することはできない。上月のサッカーに関わる問題は、もっと複雑で深刻なんだから。
俺がマネキンのように押し黙っていると、上月が鞄で俺の尻をぼんと叩いた。
「いてっ。何すんだ」
「質問はもう終わり。部活の人たちがもうじき帰ってくるから、あたしたちもそろそろ帰るわよ」
ふり向くと、上月はかったるそうに肩を竦めていた。いつものイラッとするあの態度で。
でも、なんでだろうな。今はこいつの悪びれた態度を見ていても、怒りがこみ上げてこない。むしろ嬉しいと感じる自分がいるくらいだ。
とても不思議な気分だ。
「お前、嫌なやつなのか、いいやつなのか、よくわかんねえな」
すると上月はむっと口をとがらせて、頬を
「……いいやつに決まってるでしょ」
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