先輩の裏の顔 - 第43話

 今朝に上月からメールが送られてきたので、今日は帰りにスーパーへ買い物することになりそうだ。でも、その前に補習に付き合ってやらないといけないか。


 そんなことをぼんやりと考えながら帰り支度をしていると、


「ライト、今日は帰りにファミレスにでも寄ってかねえ?」


 俺の左隣の席に座るかつら文人ふみとののらくらとした声が聞こえてきた。


 ゴールデンウィークの後で、うちのクラスは席替えをした。


 俺は廊下から三列目の、一番後ろの席になった。この席は妹原が前に座っていた席だ。


 まさか妹原の前の席に移るなんて、数奇な運命を感じずにはいられないが、妹原の移動先は窓際の列の一番前の席だ。以前にも増して席が離れているので、おそらく運命でもなんでもない。俺のただの希望的な妄想だろう。


 山野と弓坂は廊下側の列の前から三番目。そして上月は窓際の後ろから二番目――弓坂が席替えの前に座っていた席に移動していた。


 すごく残念な感じに席がばらけてしまって少し寂しいが、替わりにうるさいやつらが俺のとなりにやってきた。それがクラスメイトの木田きだ圭佑けいすけと桂文人だ。


 木田は俺の同中おなちゅうで、いっしょに帰宅したりする仲だ。そして、そいつのつながりで桂とも仲良くなり今に至っている。


 そいつらから俺はライトと呼ばれている。俺の苗字の読みが、とある漫画の主人公の苗字と同じだったからという、非常に浅い理由で命名されたからだ。


 そして木田のあだ名はトップ下、桂の方はヅラと、なんのひねりもないあだ名が新学期のたびにつけられているらしい。


 木田や桂とファミレスに行くのは楽しそうだが、上月との予定があるから行くことはできないな。


「わりい、今日も用事があるんだ」

「なんだよ。ライトっちゃん、また上月とどっかに遊びに行くのぉ?」


 桂がからかう気満々な感じで言い返してきやがった。


 俺と上月の関係は木田から聞いているのだろうが、そんな安い挑発には乗らないぞ。


「そんなんじゃねえよ。洗剤と部屋の消臭剤が切れたから、帰りに買いに行くんだよ」

「へえ。ま、いいや。んじゃ、それじゃあな」

「ああ。わりいな」


 だらだらと教室を去っていく桂と木田を見送って、次に上月の方に目を向ける。上月も鞄を肩にかけて教室を出ていこうとしていた。


 これから学校の補習があるが、その後にまた図書館で勉強を教えてやらないといけない。


「上月」

「なによ」


 上月は、学校では話しかけるなと言わんばかりの不機嫌さで俺を見てくる。


「今日も図書館で勉強だからな」

「えっ。……今日も勉強やるの?」


 こいつの脳内の予定では、今日は学校の補習だけを受けて帰るつもりだったらしい。


「昨日二時間もやったじゃん」

「何をのんきなことを言ってるんだよ。来週の追試で悪い点数をとっちまったら、お前は終わりなんだぞ」


 今は俺の夕飯よりも来週の追試の方が大事なんだ。だから、ここは心を鬼にして対応だ。


 だがこいつは、そんなひと言で素直に食い下がるやつではない。俺に背中を向けると、面倒くさそうに鞄を肩にかけた。


「昨日あれだけ勉強したんだから、もうだいじょうぶでしょ。だからあんたは、あたしの補習が終わるまで家で待っていなさいよ」

「バカヤロー。昨日は俺が問題を全部解いてやっただけじゃねえか」

「うっ、まあ、そうとも言うけど」

「じゃあ聞くが、お前は追試の問題を全部自分ひとりで解けるのか? 解けねえだろ?」


 お前のためを思ってわざわざ言ってやっているのに、このどあほうが。こんな小姑みたいなことまで言わすな。


 すると上月は観念したみたいだが、替わりに俺を末代まで恨むような顔を向けてきた。


「へーへー。今日もあんたと図書館でべんきょーすればいいんでしょ。……わかったわよ。やりゃあいいんでしょ」


 そうだ。わかればよろしい。


「じゃあ、校門の前で待ってるからな」

「あーあ、めんどくさいなあ」


 上月がこうべを垂れて学校の補習に向かう。それを逐一見届けて、俺も教室を後にした。



  * * *



 四階の教室から階段を降りて昇降口へと向かう。


 人気ひとけのない放課後の階段を一段ずつ降りながら、何をやっているんだかなと思う。


 上月との補習なんて、付き合うのは昨日の一日だけにしようと思っていたはずなのに、あいつを見てたらするっと言葉が出てしまった。


 ……不覚だ。不覚すぎるぞ、俺。なんだかんだ言って、めちゃくちゃ気になっているんじゃないか。


 いや、違う。これは、あれだ。きっと老婆心のようなものだ。上月があまりにもだらしないから、不要な心配性が俺の心に芽生えてしまったのだ。


 自分に必死の言い訳をして、下駄箱からローファーを取り出す。見ると、つま先にいくつか傷がついている。


 ここに入学して、もう二ヶ月が経とうとしているからな。履き慣れてきた靴にだって傷くらいできるだろうさ。


 俺もお前もこうやって人生の傷をつけていくんだな。――と、だれもいない昇降口でニヒルな笑みを浮かべて、俺は校門へと向かった。


 遠くの校門にひとつの人影がある。目を凝らすと、それはうちの制服を着た男子生徒のようだった。


 なんだか、ものすごく嫌な予感がするぞ。なぜなら、校門の脇の花壇に腰掛けているそいつの身体から、大量の爽やかオーラが噴出されているからだ。


 ――中越先輩だ。あの人、こんなところで何してるんだ? 帰宅部の連中ならとっくに帰っているぞ。


 スマートフォンをいじっていた先輩は俺をちらりと見かけると、「チッ」とかすかに舌打ちして視線を元に戻す。――俺を見て舌打ちしたぞ。


 昨日の今日だから、間違いなく上月を待ち伏せしているんだろうな。


 昨日は別の女といっしょに歩いていたのに、さらにあいつに手を出そうっていうのか? けっ、ますます好きになれねえ。


 けど俺はこいつの後輩にあたるわけだから、一応教えといてやるか。


「あの、上月を待ってるんスか?」


 ちょっと緊張しながら聞いてみるが……無視かよ。上月の前だとわざとらしいほどに爽やかオーラを放ちまくっているのに、すげー嫌なやつだなこいつ。


 食堂での前言撤回。こんなやつとの恋愛は絶対に応援してやれないな。上月には悪いが。


「上月を待ってるのか知りませんけど、あいつなら来ませんよ」


 すると中越は目線だけを上げて俺を見てきた。だが睨まれても全く怖くはない。ていうか喧嘩なら買ってやるぞ。


「あいつ、今日も数Iの補習だから、一時間くらい待たないと来ないっスよ」


 そう言うと中越は鼻で笑って、またスマートフォンに視線を戻す。どうやら帰るつもりはないようだ。


 お前みたいな雑魚はいいから黙ってろってか。けっ、こんなやつに忠告しようと思った俺がバカだった。


 それからひと言の会話もないまま一時間が経って、向こうの昇降口から上月がひょこっと出てきた。そして珍しく小走りで駆け寄ってきて、


「透矢、ごめん。待った?」


 そこで、中越が動いた。


「やあ、麻友」

「あっ。先輩」


 ……すげえな。ここまで態度があからさまだと、怒りを通り越して絶句するぜ。


「なんで先輩がこんなところにいるの?」

「なんでって、麻友を待ってたからに決まってるじゃん」


 おいおい。そんなくさい台詞、人前でよく言えるな。


 上月もあまりに意外だったのか、引いているのが顔に出ている。くさい台詞なんてこいつは絶対に嫌いだからな。


「昨日ばったり会ってから、麻友のことが忘れられなくなっちゃってね。これからゆっくりと話がしたいんだけど、今日は空いてる?」

「えっ。……ううん。今日は透矢と、用事があるから」


 上月は俺に顔を向けてから、困った様子で首を横に振る。相手が妹原や弓坂だったら上月のスケジュールを譲ってあげてもいいが、中越に譲るのはあり得ないな。


 中越は「あちゃあ」とわざとらしく残念がると、いつもの爽やか笑顔を向けてくる。


「そっか。じゃあ仕方ないな」

「うん」

「じゃあ悪いんだけど、連絡つけられるように携帯の番号とメアドを交換したいんだけど、いい?」


 ポケットからさりげなくスマートフォンを出して、すみやかにアドレス交換に移行しやがった。


 ものすごくうざいし、今すぐにでもこいつのけつを蹴飛ばしてやりたいくらいだが、すげえな。この手の早さは。俺も見習いたいぜ。


 上月は困り果てた様子で、携帯電話のアドレスを教えようか迷っているみたいだったが、


「うん。ちょっと待ってて」


 鞄からスマートフォンを出して、中越とアドレス交換をした。その様子を俺はじっと観察しているだけだ。


「アドレスはフルネームで登録してるんだね」

「うん」


 中越はスマートフォンの画面を満足そうに見つめる。心なしか顔つきがいやらしくなっている気がするが、それは考えすぎだろうか。


「ありがと。じゃあ、あとで連絡すっから!」


 中越はスマートフォンを制服のポケットにしまうと、春風のような暖かさで学校を立ち去っていった。

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