先輩と上月が気になる? - 第41話

 上月が中越先輩と呼んだ男は、馴れ馴れしく上月に近づいてきた。俺の方は目もくれずに。


「あ、やっぱり上月じゃんか。ひっさしぶりだなあ」


 中越先輩とやらは韓流スターのような甘いマスクで微笑んでくるが、なんなんだこの男は。上月の知り合いなのか?


「先輩こそ、なんでうちの高校にいるの?」


 上月はきょとんとした顔で先輩を見上げている。とりあえず、再会の歓びよりも驚きの感情が勝っているみたいだが。


 そんな拍子抜けした顔が面白かったのか、先輩はおもむろに手を伸ばして、


「先輩だなんて、律儀だなあ。昔みたいに響輔きょうすけって呼べばいいじゃん」


 そう言って上月の肩に手を乗せて……って、おいっ! 何勝手に触ってやがるんだこの野郎!


 俺だって、上月の肩なんか滅多に触ったこと(というか当たったこと)ないんだぞ。それなのに、このイケメンは、再会後わずか二秒で触るという離れ業を早くも披露しやがって。


 くっ、いいなあ……じゃなかった。いいからその汚らしい手を早くどかしやがれ! ――そんな俺の念力が届いたのか、中越先輩は小憎らしい笑顔のまま手をそっと離した。


「麻友がうちの高校に入学してたなんて、知らなかったよ。あれ、でもうちの高校のサッカー部は男子しかないよ?」

「あっ、うん」

「麻友の才能だったら、高校でも余裕でエースになれると思うけど。……もしかして、サッカー辞めた?」


 上月のことをさりげなく下の名前で呼んでいるのが非常に気に食わないぞ。……じゃなくて、上月が前にサッカーをやっていたことまで知っているのか?


 もしかして、この中越さんという人は、上月がサッカー部にいた頃の先輩か?


「……うん」


 上月は力なくうつむく。表情は陰り、しぼんだ花のようにしおれてしまっている。


 それに気づいた中越先輩は、少し気まずそうに頭の後ろを掻いて、


「あっ、と。ごめん。友達が待ってるから、今日はこの辺で」

「うん」

「ここじゃ込み入った話はできないから、今度ゆっくりと聞かせて。じゃあな!」


 そう言って、いけ好かないイケメン先輩は片手を上げて、風のような爽やかさで立ち去っていった。……俺には一度も目を合わせずに。



  * * *



 それから程なくして図書館に到着したが、机に数学の教科書を広げてからも上月はおとなしかった。


「それじゃ、さっさと終わらせちまうぞ」

「うん」


 俺が指示すると、上月は力ない声で応じる。珍しく不平不満を一言も漏らさない。


「教科書は、二十四ページだな。ノートも開いてるか?」

「うん」


 上月は大学ノートを素直に開いて、シャーペンを右手に持っている。先っちょのしんまで二ミリほどちゃんと顔を出している。


 素直に応じてくれるのは、とても嬉しい。嬉しい……のだが、こう素直すぎると逆に気味が悪いぞ。嵐の前の静けさみたいじゃないか。


 なんなんだ? この異様な素直さは。


 中越といういけ好かない先輩に会ってからだぞ。上月がおとなしくなったのは。もしかして、あの野郎に一目惚れとかしちまったんじゃないだろうな。


 いや! そんなことは断じてない。上月がよりによって、あんな軽薄そうな先輩野郎に心を奪われるなんて、そんなこと断じてあるわけないじゃないか。


「透矢」


 そうだ。こいつは、見た目は……その、髪を少し染めたりしているが、中身はとても硬派なやつなんだ。十五年間寝食を共にした俺が言うんだから、間違いない。


 でも待てよ。上月の好きなタイプは、たしかバリバリのスポーツマンだったよな。


 そして、あいつはきっと元サッカー部の先輩だから、運動神経は並外れているんじゃないだろうか。サッカーもめちゃくちゃうまかったりして。


「ねえ」


 バリバリのスポーツマンで、先輩で、イケメンで、そして背まですらっと高い。


 なんということだ。冷静に見つめなおしてみると、上月が好きになる条件がきれいにそろっているじゃないか。


 これではまるで、上月の好きなタイプをそのまま体現しているみた――。


「透矢ってば!」


 そこで上月に腕を引っ張られて、俺は我に返った。


「あ、ああ。すまん。呼んだか?」

「呼んだか、じゃないわよ。ノート広げて待ってるんだから、早く問題解いてよ」


 上月は白紙のノートを広げて待っている。表情もいつもの少し不機嫌そうな感じに戻っていた。


「ああ、そうだったな。……それで、ええと、どの問題を解けばいいんだっけ?」

「これよ! この展開公式の問題!」


 上月がシャーペンの先で教科書の問題を指す。あまりの筆圧の強さに芯の先がポキっと折れたぞ。


「そうか。まずは展開公式の問題だったな。どれどれ」

「もう、何ぼけっとしてんのよ。しっかりしてよね」


 それを今日のお前に言われたくないが、俺がぼけっとしていたのは事実だ。


 しかし、あの中越という先輩。あいつの存在はまずいんじゃないか? だって、ルックスと中身がめちゃくちゃ上月のタイプなんだぞ。


 ……いや、それのどこがまずいんだ? 俺が好きなのは妹原であって、上月ではない。それだったら別に、こいつがどんな男と付き合おうと、俺には関係ないじゃないか。


 さっきから俺は何をもやもやと考えているんだ? これじゃあまるで、俺が上月のことを好――。


 そこで不意に耳たぶに激痛が走り、俺はまた我に返った。


「いたたたたっ!」


 上月が俺の左の耳たぶを思いっきり引っ張っていやがったのだ。


「ぼけっとすんなって言ったばっかりでしょ。いいから早く問題解きなさいよ!」

「あ、ああ。すまん」


 上月が眉間に五本くらいのしわを寄せて激昂しているから、そろそろ真剣に問題を解かなければ。


 しかし数学の問題と向かっても、頭に浮かんでくるのは中越先輩のことばかりで、問題に集中することができない。


 ああ、なんでこんなに気になるんだよ。


「あの中越とかいう野郎は、何者なんだよ」


 我慢できなくなったのでつぶやいてみると、


「えっ、先輩……?」


 上月はきょとんとして俺の顔をまじまじと見てきた。


 なんなんだよ、そのあからさまな驚きようはよ。


「先輩って言ってたけど、あれか? サッカー部の頃の先輩なのか?」

「あっ、うん」

「中学んときの先輩か?」

「ううん。小学校のリトルチームの頃の先輩」


 小学生のときの先輩だったのかよ。それは、ばったり再会したら驚くよな。


 上月はペンを止めると、少し沈んだ表情で本棚に目を向けて、


「先輩はね、小学生のときに同じチームでプレイしてたんだけど、先輩が六年生のときに隣町に引っ越しちゃったの」

「そっから一度も会ってなかったのか」

「うん。先輩がまさかうちの学校にいるなんて思っていなかったから、驚いちゃって」


 それは、驚くだろうな。俺だって小学生の頃のかつて好きだった子にばったり再会したら、踏ん反り返るほど驚くだろうからな。


 ということは、ここから恋に発展するのは、可能性的にも充分にあり得るんじゃないか。


 あんないけ好かない爽やかメンズを、俺が「お義兄にいさん」と呼ばなければいけなくなる日がいずれ来るのか? そんなこと、断じて認めるわけにはいかないぜ!


 上月はうつむいて、うれいを帯びた表情でノートを見つめているが、内心はまんざらでもないんじゃないのか。そんなことを思うと、なぜか胸に強烈なダメージを受けてしまう。


 すると上月は俺の視線に気づいたのか、突然にやりと小悪魔な笑みを浮かべだした。


「あれ、もしかしてあんた、先輩にやきもち焼いてるのぉ?」

「や、やきもちなんか、焼いてねえよ」

「うそぉ? さっきから気持ちが安定してないみたいだけど、なんでそんなに動揺してるのかなあ?」


 くっ、ここぞとばかりにいじり倒してきやがって。けど反撃の言葉は何ひとつとして浮かんでこない。


 しかも顔が急に熱っぽくなってきやがったし。こんな羞恥プレイはとても耐え切れないぜ。


 上月は、ぐうの音も出ない俺の顔を眺めると、満面の笑みで言った。


「先輩のことは別に好きじゃないから、心配しなくてもだいじょうぶよ」

「う、うるせえな。つうか心配なんてしてねえし」

「うそぉ? じゃあなんでそんな感じになるの? いつもの透矢くんじゃないんじゃない?」


 くっ、嫌らしく問い詰めやがって。勝ち誇った女王様みたいな顔がこの上なくむかつくぜ。


「うるせえな。下らないことして遊んでるんだったら、補習止めて帰るからな」

「はいはい。わかったわよ。すぐ終わらせるから、早く教えてよ」


 上月は聞き分けの悪い弟の意見を聞き流す姉のように言うと、安堵の表情でシャーペンを持ち直した。

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