秘めたる言葉 - 第34話

 終わった――。


 勢い余って口走った告白を、妹原に聞かれてしまった。


「し、失礼します!」


 妹原の顔なんて、怖くてもう見ることができない。俺は下を向きながら妹原と父親に一礼して、逃げるように家から立ち去った。


 とんでもないことをしてしまった。


 まだそこまで親しくないのに、しかも本人にではなく親ごしに伝えるなんて、無謀にも程がありすぎるだろ。


 それでも、妹原に学校に来てほしかった。


 妹原は、きっと学校に行きたがっているんじゃないかと思う。


 音楽のことで多大なプレッシャーを感じていて、同年代の友達とどんな遊び方をすればいいのかわからなくて、まわりに気を遣ってばかりいる。それが妹原だ。


 上月と弓坂の三人で話をしているときの妹原は、楽しそうだった。ミーハー女子軍団なんかに気を遣っているときとは全然違って、心から笑っているように思えた。


 本音を語ると、俺より先に三人に仲良くなられてしまって、歯がゆい想いをしてたけど、でもそんな妹原を見れて、俺は嬉しかった。


 妹原はきっと孤独を感じているから、気心の知れた友人がほしいんだと思う。だから学校に行って、上月や弓坂と仲良くしゃべりたいんじゃないかと、俺は思ったんだ。


 降りしきる雨の中、肌寒い夜道をとぼとぼと歩く。さっきから喉に違和感があるから、風邪を引いてしまったかもしれない。


 具合がもっと悪くなったら、明日は学校を休もう。――そんなことを考えながら早月駅に着くと、東口のエスカレーターのそばに上月の姿があった。


 あいつ、こんなところで何してるんだ?


 上月は俺に気づくと、ほっとしたような顔つきになったが、すぐにいつもの不機嫌そうな態度に戻してそっぽを向いた。


 服装は制服姿のまま。手には二本のビニール傘と、一枚の白いタオルを持っている。


「遅かったわね」


 全身ずぶ濡れのまま上月の前まで行くと、上月は待ち兼ねたように言った。


「あたしが止めるのも聞かずに走っていっちゃうんだもん。驚いたわよ」

「……笑いに来たのか」


 そう返すと、上月は少し気まずそうに視線を逸らした。


「別に。お母さんに迎えに行けって言われたから、来てあげただけ。そうじゃなかったら、何時間もあんたなんかを待ったりしないわよ」

「そうか」


 俺の沈んだ気持ちなどおかまいなしに上月は言い放つ。


 お前からしたら、俺なんてカメムシ一匹程度の価値しかないんだから、俺がいくらへこんでいようが関係ないんだよな。そんなことはわかっているさ。


 でも今は変に気を遣われるより、はっきりと言ってくれた方が気は楽になれるかもしれないな。


 堪えきれなくなった自嘲の笑みで、口もとが自然とほころぶ。何も話す気が起きないので、そのまま上月の横を通りすぎようとした。


 その俺の手を上月がつかんだ。


「待ちなさいよ! あんた、ずぶ濡れじゃない。そんな格好でいたら風邪引くわよ!?」

「うるせえな。そんなのお前には関係ねえだろ」

「関係なくないわよ。明日だってまだ学校あるんだから、熱が出たらどうすんのよ!」


 この状況で明日の学校のことなんか気にしてんのかよ、お前は。


「学校なんて休めばいいだろ。一日くらい休んだってだれも文句言わねえよ」

「はあ? なにそれ。そんなの、あたしが許すわけ――」

「うっせえな! 俺のことなんか放っとけっつってんだよ!」


 イラついてきたので強引に手を引き離すと、上月がびくっと反応して口を噤んだ。


「今はな、学校どころじゃねえんだよ! この姿を見ればわかるだろ。……それなのに、さっきから下らねえことでいちいち突っかかってきやがって。なんなんだよお前は!」


 妹原の家にいたときから苛立ちが溜まっていたから、爆発するともう我慢なんてできなかった。


「ああそうだよ! 俺がひとりで暴走して、すげえ迷惑かかってるのも知らずにいきなり妹原の家に押しかけて、そんでもって勝手に風邪引いたから明日学校を休むんだ。……わかってるよ。俺が身勝手で、全部俺が悪いっていうことくらい、言われなくてもわかってるんだよ」


 上月は何も悪くないのに、感情にまかせて八つ当たりして、俺は最低だ。


「でもな、俺だってだれかの力になりたくて、自分のできる精一杯の努力がしたかったんだ。それなのに、なんでこんなに責められないといけないんだよ」


 なんで俺は、上月にこんなことを言っているんだろう。


 妹原のことや、明日の学校のことなんて、ここで上月に言ったって何も解決しないのに。さっきから俺は、何をやっているんだろうな。


 それでも上月は、じっと俺の言葉を聞いてくれる。途中で口を挟まずに、下らない揚げ足をとったりせずに。


 そんな姿を見ていると、なんだかいたたまれなくなってくる。俺は上月に背を向けた。


「俺のことなんて、別にどうだっていいんだろ。だから、もう――」

「どうでもよくなんてない!」


 上月の悲愴な声が突然聞こえて、驚いて後ろにふり返った。


 上月は、目から大粒の涙を流して泣いていた。いつも強気で、俺に弱さなんて一度も見せたことのない上月が、両手で目を抑えながら、とめどなく。


「雫が、学校に来れなくなって……それだけでもつらいのに、あんたまで、風邪でたおれちゃったら……あたしは、どうすればいいの……?」


 ……上月。


 嗚咽で声にならない言葉が俺の胸を抉る。


 そうだった。俺が焦って暴走したのと同じで、上月もぎりぎりのところまで追い詰められていたんだ。だけどそれを見せずに、こいつはずっと気丈にふるまって……上月、すまない。


 上月は真っ赤に染まった顔で見上げると、俺をきっとにらみつける。そして手に持っていた二本の傘とタオルを投げつけた。


「ばかっ!」


 そのままエスカレーターのわきの階段を駆け上がって、上月は行ってしまった。



  * * *



 地面に落ちた傘とタオルを拾って、俺は近くの壁にもたれかかった。


 傘は二本とも白の透明なビニール傘だ。だが、よく見ると一本だけの部分に、レシートの代わりに貼られる黄色のシールがついている。もう片方の傘はきれいだけど、生地に少し砂がついていた。


 白のタオルは少し弾力があって、鼻を近づけるとかすかな花の香りがする。ふわふわとした肌触りが、沈んだ気持ちを優しく撫でてくれる。


 上月は、あいつなりに俺のことを心配してくれていたんだ。そうとも知らずに俺は、ひどいことをしてしまった。


 俺は、なんて謝ればいい。


 俺はあいつのことをなんでもわかっているつもりだったけど、何ひとつとしてわかっていなかったんだな。


 街行く人は、駅の片隅に座る俺のことなんて気づきもせずに、自分の目的地に向かって歩いている。若いやつも、年老いたじいさんも、中年太りのおばさんたちも、みんな。


 この人たちは、俺が今日どんなに過酷な一日を過ごしたのか、知る由もない。


 結局はその程度のことなんだ。自分に起きたことだから、大げさに考えてしまうけれど、赤の他人からすれば取るに足らない出来事ですらない。


 明日、ちゃんと学校に行って、謝ろう。あいつはあからさまに無視するかもしれないけど。面と向かって、ちゃんと。


 そして傘とタオルを返して、礼を言おう。仲間を大切にできない大人にはなりたくないから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る