妹原と、あとシャーペンレーザー - 第8話

 今日から午前中だけだが、いよいよ授業が開始されるらしい。入学早々にこんなことを思うのはよくないが、かったるいな。


 八時前に出発する電車に乗って、空いていた真ん中の椅子に座って十分ほど。窓から差し込む日差しが暖かいから、ものすごく帰りたくなってくるが、そこはぐっと我慢だ。


 通学途中に同中の林田はやしだ小早川こばやかわに声をかけられて、桜の散る川沿いの通学路をだらだらと歩くとうちの学校だ。


 昇降口で上履きに履き替えて四階へ。


 うちの学校は一年生の教室が最上階の四階にあって、学年があがる度に下の階へと下がっていくシステムを採用しているので、今日から一年間はこのかったるい階段を昇っていかなければならない。


 県の税金でエスカレーターをつけることはできないのだろうか。


 妹原せはらの席は教室の一番後ろなので、後ろのドアから教室に入る。妹原は、来てるな。今日も前のドアにたむろしている取り巻きに手をふっている。


 上月こうづきはあのミーハーたちのことを「きもい」で切り捨てていたけど、妹原はどう思っているのだろうか。朝のホームルームの前にキャーキャー騒がれるのは、やはり迷惑なのだろうか。


 でも挨拶するついでに聞きに行く勇気はないから、後ろ姿だけしっかりと拝見して素通りだ。


 少し高鳴る鼓動を感じながら窓際の席に行くと、


「あ、ヤガミン。おはよぅ」


 すでに登校していた弓坂ゆみさかが挨拶してくれた。


 弓坂は俺の本命じゃないけど、女子に挨拶されるのって、いいよな。


「よ、よお」


 昨日は普通に会話したけど、クラスで改めて拝見すると緊張してくるな。弓坂も国民的アイドルのように可愛いから。


 女子に耐性のある山野やまのだったら、弓坂に気の利いたトークのひとつでも言えるのだろうが、俺にそんな技術力はないので素通りだ。すまない、弓坂。


 すると弓坂の方から、


「昨日はどこに行ってたのぉ?」


 今日も先手をとられてしまった。


「あ、ああ。買い物だ」

「お買い物?」

「そう。スーパーに、行ってたんだ」


 俺が壁にもたれながら返答すると、弓坂がブロンドのような明るい髪をゆらして首をかしげた。


「ヤガミンはぁ、スーパーにお買い物に行くの?」


 そうだよな。高校一年の男子がひとりでスーパーに行くのはおかしいよな。


 しかし上月とふたりで行ったとは絶対に言えないわけで。


「うちは、その、親がいないから、あれだ。自分でスーパーに行かないとダメなんだ」


 とっさに言い訳が思いつかなかったから、微妙な受け答えになってしまったが、


「そうなんだ」


 弓坂は俺の家庭の事情を察して、しゅんとしてしまった。弓坂、またもやすまない。


 弓坂となんとなく気まずい雰囲気になってしまった頃合に、遅刻ギリギリのタイミングで山野が登校してきた。


「何やってんだ? お前ら」



  * * *



 一時間目から現代文と化学の授業を立て続けに受けさせられたが、今日は先生の自己紹介に授業時間の大半を費やしたので楽だった。


 あとは三時間目のホームルームをこなせば今日は終わりか。明日は土曜だから休みだな――と悠長に構えている場合ではない。


 今日の学校ももう少しで終わってしまうが、どうやって妹原に近づけばいいのだろうか。


 妹原の席は廊下側から三列目。窓側の列の前から三番目にある俺の席とはかなり離れている。


 ここでおもむろに席を立って妹原に話しかけたら不審者確定だ。


 だからといって遠くの席からいきなり呼びかけても、それはそれで不審者だ。そんなリスクを背負えるほど、俺の心は強くない。


 昨日は山野の話を聞いて、がんばればいけるんじゃないかと希望的に思っていたけど、現実はそんなに甘くないじゃないか。まず席が遠すぎるんだよ。


 一ヶ月くらい経てば席替えをするだろうから、奇跡的に席が近くになることに賭けるしかないのか。


 でも普通に考えたら、そんなに都合よく話が進むはずはないだろう。


 初回の席替えに失敗したら、次の席替えまで待つしかない。しかしそれも失敗したら……これ、本当に成功するのか? なんかもう絶望しか感じなくなってきたぞ。


 こんなことを考えてもらちがあかないから、現代文の教科書を見ているふりをしながら妹原をながめていよう。


 妹原は、右隣の女子と会話してるな――て、あいつは上月じゃないか。あいつの席は妹原のとなりだったんだよな。


 くっ、うらやましいぜ。あの席だったら朝から夜まで妹原と会話できるじゃないか。


 席が遠いから話の内容はよく聞き取れないが、仲いいな。あのふたり。上月は乱暴なやつだから、優等生でおとなしめな妹原とは合わないような気がするが。


 そう思っていると、上月と一瞬目が合ってしまったので、俺は教科書でさっと顔を隠した。


 うわ、やべえ。あれ絶対気づいたよ。上月は運動神経が高すぎるせいか、反射神経も人並み外れているんだよ。頭に高性能なセンサーでもついてるんじゃないのか?


 落ち着いてきた頃合を見計らって、俺は教科書を目線の高さまでゆっくりと降ろして、上月の様子をチラ見してみた。上月は「麻友まゆちゃん?」と首をかしげている妹原に目を向けずに鞄をとり出して、中をごそごそと漁っている。


 そして中から筆箱をとり出して、あれはシャーペンか? 先の鋭く尖ったペンをおもむろにとり出した。


 なんだ? ノートに絵でも描くのか? ――と暢気に考えていると、上月が身体の向きを変えずに突然右手をふりかぶった。


 なんだ? 一体何をする気なんだ?


 上月が『シャッ』という擬音が入りそうな速さで腕を降り下ろして、シャーペンを放射。そいつが超高速のレーザーのごとしのスピードでまっすぐに俺の眉間に飛来して――て、マジかよ!


 俺は即座に死を覚悟したが、とっさに首を限界までひねった。


 ダンッ! というものすごい音が耳元から聞こえたので、俺は恐る恐る目を左に向けてみた。


 上月のピンク色のシャーペンが、俺の左耳から一センチ離れた位置に、突き刺さっていた。コンクリートの壁に、弓道の矢みたいにグサリと。


「ち、外したわね」


 口に手をあてて絶句している妹原のとなりで、上月が心底残念そうに舌打ちした。

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