雨坂小晴のちょいと小噺きいとくれ

幕間 マスクが怖い☆!

 こほん、私だ。

 かねてから人間は感情に振り回されることが多いなとは思っていたが、角館里子ほど感情をその身に委ねる人間はいないであろう。性分ゆえ誰よりも熱い情熱を内に秘めてきた。しかしそれは秘めたままであった。


 感情は時には吐き出さねばならない。


 過去には嫌がらせを受けたにも関わらず自分の気持ちを吐き出せず自己嫌悪に苛まれていたが、雨坂学研が開発した『デイライト』というAI発声端末、すなわち、しょうこというもうひとりの里子が気持ちを代弁するという役割を担ってきた。里子が小学校を卒業する頃には既にその必要はなくなっていたが、克服したきっかけは里子が6年生の時に起きたある事件で、どうやら鍵はキャッチャーマスクにあるようだ。


 さて今回の小噺は――。


「マスクがこわい!」


 というサゲなのだが勘の良い方は誰の発言だか慧眼のことであろう。


 *




 私は完全に敗北した。

 旧雑賀漁港再開発計画を中止させるどころか、計画を推し進めるため雨坂の片棒をかつぐことになってしまった。


 だが私に訪れたのは失意ではなく、雨上がりの太陽のような暖かくも柔らかな希望だった。


 負けて嬉しいなどあってはならないが、負けて手にしたものが大きければ大きいほど負けたという価値に高値がつくのだ。とまあ値踏みするほど私はできた人間ではないが、まだ成長できるという確信は持てた。


 父さまは末恐ろしい。


 もっくんと親しげに談笑する父親の横顔を見て、誇らしくもあり、同時に、同じステージに立てるのだろうかという不安もよぎった。普段の父さまは娘の私に優しくして下さる。甘えさせても下さる。しかしこうした雨坂を背負った場面で見る父さまの顔にしばしば身が震え上がる。それを懸命に堪えている私がいるのだ。父親は恐れの象徴と家制度の名残りが深部を大地の怒りの如く激しく揺さぶるのだ。


 やはり私は父さまが怖いのだ。


 私は談笑中のもっくんに訊ねる。


「なあもっくんよ」


「……え?何でしょうかあめあがりさん」


「貴様には畏敬という機能はついているのか。よくもまあ父さまと親しげに会話ができるものだな」


 我ながら意地が悪い。それは父さまも感じたのか。


「小晴、パパだってそこらへんのいち父親だ。娘の大事な友人と会話をすることにくだらない障壁は必要ないのだよ」


「これは失礼しました。と父さまは仰るがもっくんはどうなのだ?」


 もっくんは表情筋を器用に操ってしばし考える。答えなど決まっているだろうが、私はもっくんの自分の言葉が聞きたい、聞かせてほしい。


「最初は怖かったですよ。オールバックだし、和装の下には昇り龍の入れ墨がありそうだし、僕なんか到底近づいちゃいけないんだって。でもね、あめあがりさん」


「うむ」


「光史朗さんも僕と同じ目線になってくれる優しい人です。あめあがりさんと同じくね……あ、でもあめあがりさんはもうちょっとおしとやかに、、、いてっ!」


「最後のは余計だ、曇り顔猿之助。貴様にだけは言われたくないのにわざわざ言いおって慮外者、おのれこの私がじきじきに縛り首に処してやる」


 この凡庸を極めたるもっくんめ。その中身のないすっからかんの頭をしめてやる。名付けて小晴式ヘッドロックだ。


「いたい、いたい!気持ちいい!いたい!いたい!いたい!」


 こいつめ痛がる割にはへらへらしおるな。もうちょっと強めに締めねばならぬか。


「いたたたた!ギブ!ギブ、あめあがりさんギブ!限界です、やばいやばいやばい、これ以上はやばいですって!」


「なにがやばいだ、非を詫びよもっくんめ」


「ごめんあめあがりさん、ごめんなさいってば!ほんとにもうやばいんですって!」


 私は締める腕の力を緩めもっくんを解放した。しゃがみこんで頭部を押さえては真っ赤な顔で私をちらちらと見る。


「うう、今はあめあがりさんが一番怖いですよ」


「……ふん。貴様が余計なことを言うからだ」


 と言うと、父さまは声をあげて笑った。


「良きかな、良きかな。私が生きている間に次世代の後継者の顔が拝めそうだ」


 はて、父さまの仰る意味がわからない。今のやり取りのどこに後継者の要素があったのだろうか。


「おい凡人!お前、羨ましいぞ!この星野にもとくと味あわせろ!」


 ソウだ。もっくんを押しのけ、私の前にわざとらしく立ち塞がる。そういえばこやつの求婚に返答はしていないが、まあよい、すぐに忘れる。


「羨望とは恐れ入る。怖いものなしの貴様がよもや欲求の下僕となるとは。徳左衛門の気品は邪な泥で塗りたくられているようだな」


「否!星野の気品はかの太陽よりも熱く、流星よりも気高く、そして木星よりも冴えている!そこのエロ凡人と一緒にしないでほしいねこはるちゃん」


「後ろの父さまにも同じことを言えるのか?」


 ソウはぎょっとして、恐る恐る父さまを見ては、何やら父さまに耳打ちをして何度も何度も頭を下げる。


「打ち合わせは終わったか。やはり父さまは怖いのであろう?愛右衛門の当主だものな」


「この星野に怖いものなどあらず!」


「ほう。先程は父さまの雨坂硯に跪いていたではないか、ソウよ、貴様は権威をとても恐れているのでは?」


「そんなことはない!守護騎士ディバインナイトの名の下、そんなことする前に硯をベロベロに舐め回して使えなくしてしまうね!」


 おい気品とやらはどこへやった。


「とにかく!星野に怖いことなんてない!この凡人のようにひれ伏すだけの人生なんて嫌だね。星野が恐れることはただひとつ、星野がホワイトホールの寵愛を受けられないってことさ☆」


 この阿呆め。

 大仰にしておけば押し切れると思うなよ。とそこにすっかり元通りとなった里子が申し訳なさそうにやってきた。マスクは坂本が散々投げられた末、やっとこさ外したようだ。


「皆さまお待たせしてすみません。りこ、今までなにをしていたのか記憶がないもので……りこってば役立たずさんです」


「そんなことはないさ里子ちゃん、君は存分に星野のために働いてくれた。星間戦争は終わった、さあ星野の星雲よりも煌めく胸に飛び込んで……いや待てよ」


 ソウの顔つきが変わった。というか目元は緩み、鼻の下が伸びている。さすがの私でもこやつの下劣な臭いは嗅ぎとったぞ。


 私はあえて訊ねた。


「おいソウ。怖いもの、できたのではないか?」


「っ……そうさ!たった今!宇宙開闢と同じくして星野に畏怖すべき対象が芽生えた、これはまさに……ビッグバン☆!」


「ほーーーーーう。しかしてその正体はなんだ?」


「…………ック。……ちゃんの」


「聞こえぬぞ。はっきり申せ」


「ヘッドロックだよこはるちゃん!里子ちゃんの!」


「……………」


 慮外者。と言う気すら起こらん。


「おい里子。耳を貸せ」


「ん?なーに、こーちゃん」


 ひそひそ話を聞き取りやすいよう里子は大きな体躯を屈めた。私は二言三言伝えると、大きな目をパチクリ。


「うん、わかったよこーちゃん」


 里子は快く頷き、ソウを床に寝かしつけて目隠しを施し、里子愛用のハンドタオルを鼻に押し当てるよう指示した。そこまで見届けた私は密かに坂本を呼び寄せる。


「やれ」


「へいへい」


 坂本は面倒くさそうに返事をすると、丸太より太い腕でソウの頭部をがっちりと固めた。私はというと、二度と不細工な舞いを見れないよう4の字固めだ。


「あ、あ、里子ちゃんの、ユニヴァースが、星野の叡智な頭脳を柔らかく抱き寄せる。あ~里子ちゃんは結構筋肉質なんだね☆」


「私は特別に貴様の脚をマッサージしてやる」


「ほんとかいこはるちゃん!いやあ星野は幸せ者だ」


 その幸せの中で死●。

 坂本に無言の合図を送ると同時に締め上げた。


「ぐえー!り、里子ちゃん固くて力強い!こはるちゃんもそ、それマッサージとは違うんじゃないのかな」


「どうだソウまだ怖いか!克服したらやめるぞ!」


「こ、こ、怖いね!せっかく怖くなったんだ、せめて宇宙開闢の時から地球生命誕生まで粘らせてもらうよ☆」


「左様か、では出力をあげろ」


「いででででで!里子ちゃんいい!すごくいいよ!いででででで!さ、最高に幸せだね☆」


「克服したか!せねば●ぬぞ」


「いででででで、ぐぬぬぬ……した!したよ克服した!!」


 坂本の腕とは知らずにタップしたのを見た瞬間、私達は技を緩めた。息遣いの激しい星野の顔は紅潮して頬が綻んでいるが、その表情ときたら生理的な嫌悪感でしかない。


「ソウよ」


「はあはあ……なんだいこはるちゃん?」


「里子にはな、ある秘密があってだな」


「聞こう☆」


 私は里子に聞こえぬようソウの耳元で囁く。


(里子のやつはなマスクを被るとボリュームが増すらしいぞ)


「な、なんのだ」


「……胸の」


 と言うとソウはとんでもない速さで身を起こした。


「こはるちゃん!この星野にまた新たに怖いものが生まれたよ☆」


「ほう。今度はなにが怖いのだ?」


 ソウはその場で床に穴があくほど回転した後、手足を大きく広げて言った。


「マスクが怖い☆!」


 *


 こんなの古典落語に失礼だ。

 さっさと次の章へ行くのだ。

 時間をとって済まなかった、饅頭こわい。


 【雨坂小晴】

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