番外12︰本物の上司な二人
ダンジョンから戻ったアガネアが短い睡眠を取っているときのこと。
ベルトラはアガネアの部屋を訪ねていた。
「どうにか無事に戻れましたね。仕事も無断欠勤しなくて済みましたし」
「そうね。あちらとこちらの時間の流れが同じだったらと思うと、ゾッとするわ」
ヘゲは自分たちの体験をアシェトに報告するため、レポートを書いていた。話しながらもペンを持つ手は止まらない。
「それで、どうしたの?」
「その。最後の方でアガネア殺そうとしたりしてましたけど、あれ、演技ですよね?」
「もちろん。狂ったりしたら脱出の可能性が減っちゃうじゃない。仮に出られたとして、おかしくなった頭でどうやってアシェト様のお役に立てるって言うの? 私が本当に正気を失うとしたら、アシェト様が滅ぼされたときよ」
「ですよね」
ベルトラの声には安堵が含まれていた。
「それにしても、なんであんなこと」
「ああでもしないと、こっちの気が晴れないでしょ」
「ですがあいつ、本気で怖がってましたよ。さっきも寝てすぐに、ヘゲさんの名前呼びながらうなされてましたし」
「あの娘はなるべく見ないようにしてるみたいだけど魔界は本来、狂気と暴力が正気や優しさと混ざり合った世界。ここで長く暮らすなら、あれくらいで怖がってちゃダメよ」
「そうですね。それはそうでしょう。けれどアガネアはおそらく、普通の人間です。慣れさせるにしても、あまり負荷をかけすぎないよう注意しないと」
「ずいぶん甘いのね」
「そりゃまあ、初弟子ですから」
ヘゲは口の端をほんの少しだけ曲げた。微笑んだのだ。
「私こそ、その言葉が聞けてよかったわ。ちゃんと一人前の料理人にするつもりなのね」
「はい。本人のヤル気はともかく、スジは悪くないし、仕事ぶりは真面目です。あいつは魔法も使えないし弱いから、ひとつくらい専門的な技術を持たせてやりたくて」
「ザレ町の聖女様はやっぱり独創的ね」
「変わり者の悪魔ってだけですよ」
「あなたはウチで、おそらく最も考え方やものの見方が人間に近い。アシェト様があなたにアガネアを託したのにはそういう理由もあるのよ。本人に確認したことはないけど、たぶん、きっと、確実に。あの方の言葉や考えは一見シンプルだけど、その裏には深い思考と何重もの意味があるの。アシェト様は説明されないけど、ずっとおそばで見てきた私にだけは解るの。ところで、サロエはどうかしら?」
ベルトラに緊張が走った。
「あいつを殺したらさすがのアガネアもショックが大きいんじゃないでしょうか。妖精悪魔とも敵対することに」
「ちょっと待ちなさい。そんなことしないわよ。あなた、私をバカだとでも思ってるの? あの娘がいるとほら、会話にも気をつけないといけないし、面倒臭そうな悪魔にはつきまとわれてるし、呪いのせいで変な空気漂わせてるし。どう接したものか決めかねてるの」
「ヘゲさんは正直、どう思います?」
「ダルいからなるべく穏便に帰ってほしい」
ベルトラが困ったような顔をしていることに気づき、ヘゲは微かに赤面した。
「そこまでぶっちゃけなくて大丈夫です」
「そ、そうね。まず、妖精悪魔を味方にできたのは快挙だわ。私たちの安全が脅かされたとき、協力を要請できるかもしれない。妖精だけに」
言ってから後悔したヘゲに、ベルトラは黙って手を差し出し、続きを促す。
「世話をする側になったことでアガネアにも成長が……ああ、待って。どの辺がなんて言わないで。解ってるから。悪魔はときに、何もないところに自分の見たいものを見てしまうものでしょ」
「それはつまり、成長して欲しいんですか?」
「ええ。そしてポンコツの世話がどれだけ大変か理解して、私たちに深く感謝するとともに、なるべく迷惑かけないよう気をつけてほしいの」
アガネアが成長するより先に、サロエのせいであたしたちがトラブルに巻き込まれて苦労倍増してますよね。そう思ってもベルトラには口に出さないだけの思慮があった。
「とりあえず、サロエにつきまとってる悪魔をどうにかしないと」
「殺すんですか?」
「そうしたいけど不用意なことをして、こじれたら厄介でしょ。それに、これはあの二人の問題だから基本的に干渉はしない」
ヘゲはそこで言葉を切り、それから続けた。
「でも状況把握はしておきたいから、まずは私だけで内々に話を聞いてみる。本当に見ざる聞かざるで気がついたら厄介事の火が背中を焼いてた、なんて事態は避けたいから」
そのときふと、ベルトラは以前ヘゲから情報を聞き出すときかなり苦労したことを思い出した。
「それ、あたしも同席させてください」
そうすれば、いざというとき自分で鮮やかに説明もできる。むしろベルトラとしてはそちらがメインだった。
「それは構わないけど。……そうね。私たちはもっと密に連携した方がいいかもしれない。なにせアガネアに手を焼かされてる、そう、いわば被害者仲間なのだから。仲間。といっても生活全般で苦楽を共にするようなものじゃなくて、非常に限定的な部分での、でも仲間だから」
「はぁ……」
この人、やっぱりアシェトさんに会えないかもって思ったときのショックで、ちょっとおかしくなってるんだろうか。
ぼっちの心をいまいち理解しきれないベルトラは軽く不安になる。
「じゃあ、そういうことで」
そう言うと、ヘゲはペンを置いた。
「書けたわ。どうかしら?」
ベルトラは書き上がったばかりのレポートを受け取ると、目を通した。
そこにはヘゲの活躍がさりげなく目立つように描かれた、大冒険サバイバル活劇が展開されていた。
ベルトラは不器用な生真面目さと悪魔的上下意識の板挟みにかなり悩んだすえ、心を決めて口を開いた。
「たとえばダンジョンに転移したところですが……。土下座して謝るアガネアをヘゲさんが慈悲の心で笑って許したように書いてますけど、あのとき鬼の形相で掴みかかろうとしたヘゲさんをあたしが必死で押さえてませんでしたっけ? ここはどういった意図が込められてるんでしょうか」
これは先が長そうだ。始業に間に合うだろうか。ベルトラは自分の性格を呪い、心の中でため息をついた。
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