方法22-2:つまりはヒモとトイレの問題(使用上の注意に注意)
ふと目が覚める。上等なベッドでさぞやグッスリかと思ってたのに、どうやらワタシの体は巌のようにいかつい、優しさのかけらもない店のベッドに慣れきってたらしい。
時計を見ると14時。人界なら昼間だけど、魔界の感覚では午前2時だ。
なんとなくカーテンを開けると、昼の日差しが空と雲を照らしている。遥か下の方には広大な森が見えていた。
トイレ、行きたいな。
ワタシはなにげなく部屋を出ようとした。トイレは廊下の端にある。
おっと危ない。ヘゲちゃんのことを忘れてた。一人でトイレまで行こうとしたら、20メートルの範囲制限に引っかかる。
『へいへいよー』
ワタシはヘゲちゃんに念話で呼びかける。
………………。
…………。
……。
返事がない。ただの屍のようだ。
って、それじゃまずい。
あれ? おかしいな。もしかして寝てるとか? いやそんなまさか。あの独り不夜城と呼ばれ、どんな深夜でも平気で仕事の連絡をしてくる、おぞましい社畜生であるところのヘゲちゃんが寝てる、だと?
ワタシは何度か呼びかけてみる。やっぱり返事がない。
ひょっとして仕事もなく、ワタシが寝てる間は部屋からも出られないせいで、ヒマすぎて本当に寝ちゃったとか。
いやいやいや。ありえないでしょ。もし寝てる間に何かあったらどうすんのって話で。まさに今みたいなときとか。
念話で起こせないんだろーか。ワタシは強く念じてみる。
ダメだ。反応がない。考えてみれば念話って声の大きさをどうこうできるようなもんじゃなさそうだ。
どうしよう。
あ、なんかトイレ行きたい感が強まってきてる。夕食のときに調子乗って高そうな酒を飲みすぎたから? あ、あ、ヤバい。
ちらりと見るとベルトラさんは熟睡してる。
起こすか?
でも起こしたところでどうにかなるわけじゃない。
でもベルトラさんの馬鹿力なら距離制限の限界からワタシを抱えて、寝てるヘゲちゃんを引きずりつつ前に進めるかも……。
でも、そうなると出発のときみたいにワタシの腹へかかる力がハンパない。
下手したら抱えて前に出た瞬間、プシャアってなりかねない。何がとは言わないけど、朝陽を浴びて輝くサンシャインウォーター的な。
クソッ。ヘゲちゃんなんで寝てしまうのん? たしかにヘゲちゃんからすれば人間なんて近年知られるようになりはしたものの、まだまだその生態が謎に包まれてる神秘の生物みたいなものかもしれないけどさ。
なんて気をそらすのも限界に近づいてきた。そろそろ現実を直視するときだ。
ワタシは大急ぎで、かつなるべく音をさせないように部屋を出ると、隣の部屋のドアをノックした。
念話で起こせないなら、物理的に起こせばいい。こんな簡単なことにすぐ気づかないとは、我ながら情けない。寝ぼけてたかな。
しつこくノックしてると、ようやくドアが開いた。
鬼の形相のアシェトが立ってた。
まあ、チョロっと出たよね。
「てめぇ、人が1年ぶりに寝てたのに邪魔しやがって」
声に怒りがにじんでる。何もそこまで怒らなくても。
「私はな。寝るのが好きなんだよ。それが普段は忙しくてそれどころじゃないから、毎年せめて旅行の間だけは……って、どうした? 震えてんじゃねえか」
「大至急、ヘゲちゃんを」
ワタシの声に尋常じゃないものを感じたのか、アシェトはそれ以上何も言わず、ヘゲちゃんを連れてきてくれた。
「なに、こんな時間に?」
ぼんやりしたヘゲちゃんの手を引いて、強引にトイレを目指す。
あと少しというところでその手を離して、ダッシュでトイレへ駆け込んだ。
スッキリして外へ出ると、ヘゲちゃんがいつも以上に冷ややかな顔で待ってた。
「ごめん。急にトイレ行きたくなって」
「それで?」
「それでって、ほら。ヘゲちゃんが部屋にいたらトイレまで届かないでしょ……範囲制限のこと、もう忘れたの?」
「忘れるわけないでしょう。そんなことでアシェト様を起こしたの?」
「ワタシにとっては切実なことなんだけど。だいたいヘゲちゃんが起きないから」
「私は寝てない」
「じゃあ、何してたのさ」
「アシェト様の寝顔を見守るので忙しかったのよ。めったに見られないんだから」
くっそ! この女は。人がままならない肉体に翻弄されてたときにそんなことを……。
「呼ばれてたのには気づいてたけど、確認しても特に危険はなさそうだったでしょ。なんとなく話しかけてみたとか、寝られないから子守唄歌ってとか、そういうことかと思ったの。だいたい昼中にすぐそこのトイレに行くくらい、ミニチュア置いて行けばいいじゃない」
しまった! その手が! いやいや。もちろんそれは解ってたよ。まさか焦って忘れてたとか、そういうことではない。ないよ?
「あのね。そういう気の緩みが命取りになるんだからね」
ヘゲちゃんはため息をついた。
「いい? あなたでも解るように言うけど。まずミニチュア百頭宮を枕元に置く。次にベルトラを起こす。一緒にトイレに行く。この手順でワタシが出てくる? 出てこないでしょ?」
しまった! その手が! いやいや。もちろんそれは解ってたよ。まさか焦って忘れてたとか、そういうことではない。ないよ? (本日二度目)
「えーと。それは、その。あの、ほら。肌身離さず身につけてないと。もし部屋に置きっぱで盗まれたら大変でしょう?」
「大変? なにが?」
「なにがって」
「盗もうにも、そのミニチュアは私から20メートルしか離れられないのよ。もう忘れちゃったのね」
しまった! そうか! いやいや。もちろんそれは解ってたよ。まさか焦って忘れてたとか、そういうことではない。ないよ?(まさかの本日三度目)
返事に詰まるワタシ。ヘゲちゃんは口の端にじわーっと笑みを浮かべる。
「まあいいわ。あなただって、好きで残念な頭をしてるわけじゃないものね。だからそんなに顔を赤くすることないのよ」
ヘゲちゃんはワタシに背を向け、部屋へと戻っていく。ワタシはその背中を見送りながら腰を落とし、来たるべき瞬間に備えた。
グッと前へ引かれる感覚。
「きゃあっ!?」
よろけるヘゲちゃん。きゃあとか言いおった。ほほほーっ。
振り返ったヘゲちゃんが目にするのは腕を組み、ニヤニヤ笑いを浮かべるワタシの顔。
今からダッシュで戻ってきたヘゲちゃんにシバかれるわけだけど、気が晴れたから後悔はない。
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