第4話 人は、人の作り出したものに負けはしない

 肌にびりびりと、痺れるような独特の感覚が伝わる。それだけで、クラウスの怒声に呼応するように、強大な魔力がクラウスの手元へ収束しているのがわかった。


 リディアが跳躍した刹那、紫色の光が輝き、リディアがいた場所からクラウスのいる場所までの直線状を、光が貫いた。雷鳴が小鳥の囀りに思える程、猛烈な轟音が響き、数軒の廃屋が文字通り爆散した。


 飛び上がりながら、リディアはクラウスを見た。未だ屋根の上に留まっているクラウスの右手に握られたアンヴィは、紫色の靄のようなものに包まれていた。それが魔剣に収束し、あふれ出た魔力の姿だ、と理解する前に、クラウスが剣を上段に振り上げた。こちらを視認し、狙いを定めたのか、紫の靄が光を発した。次の瞬間、クラウスがその剣を振り下ろす。


 リディアは次の白壁を蹴った。


 再び、炸裂音が響き、アンヴィから発せられた破壊の力を宿した魔力が、数軒の家を瓦礫へと変える。


 辛うじてその悪意の光を避けきったリディアは、跳躍の勢いそのまま、再び屋根に上がると、目にも映らぬほどの速さでクラウスとの距離を一息で詰めた。


「クラウス!」


 リディアは『統制者』を袈裟懸けに振り下ろす。その時、『統制者』が紅い靄のような光に包まれていた事には、もちろん気が付いていた。リディアの意思ではなかったが、魔力が収束していた。だからこそ出来る一太刀。リディアはそれを見舞った。


 高速移動から放たれた神速の一刀だが、クラウスはそれを引き寄せたアンヴィで、事も無げに捌いて見せた。だが、それはリディアの思惑通りでもあった。


 傾けたアンヴィの刃に沿って、流れるように勢いをあらぬ方向へと逸らされた『統制者』とそれを握るリディア。ここでクラウスがアンヴィを旋回させ、がら空きになった肩口に一刀を浴びせられてしまえば、その一撃で敗北は決まってしまう。だが、それでもリディアは無理に態勢を変えるようなことはしなかった。流されたまま、紅い刃はクラウスの足元の屋根を打ち付けた。


 次の瞬間だ。『統制者』が降り降ろされた屋根からその家屋全体に、まるでひび割れのような、『統制者』と同じ紅い色の光が走った。さらに次の瞬間、その二階建ての家屋が紅い光を放ちながら爆発した。屋根の上にいたクラウスも、リディアも、『統制者』の破壊の力を宿した魔力が生んだ炸裂に巻き込まれる形で、瓦礫ともども地面へと落下する。


 再びの轟音の中で、クラウスが驚き、呻く声が聞こえたが、こうなることを予測して剣を振ったリディアは、あくまでも冷静に対処した。捌かれた剣の勢いをさらに利用し、空中で前転するように身を翻すと、器用に両足から着地した。黒い外套と同じく、フィッフスが仕立てた高い強度を誇る黒革の長靴が、軋みを上げる音を聞き、衝撃を両脚に感じながら、着地の勢いを完全に殺したリディアは、瞬く間に踵を返し、崩れ落ちる瓦礫と粉塵の中を一直線に駆けた。


 その先には、突然足場を失った動揺から、空中で立ち直り、器用に瓦礫の上に着地したクラウスの姿があった。地面に降り立って間もないクラウスは、まだ万全の状態ではない。それを見定めて、リディアは一気に攻撃を畳みかけた。


 上段から一撃。横薙ぎの二撃。さらに剣を引き寄せ、鋭い突きの三撃。どれも一撃でクラウスを戦闘不能に出来る三連撃だった。


 対してクラウスは、不安定な足場の上にいながら、完璧な防御を見せた。常人では見ることも出来ない速さの紅い斬撃を、一撃一撃、確実に受け止め、最後の突きも、アンヴィの腹で止められた。


 クラウスがにやり、と嗤う。


「いいぞ、いい速さだ。それでこそ『死神』だ」


 触れ合った鋼が、きりきりと音を立てる。 豪雨がリディアを、そしてクラウスを濡らす。雨粒はぶつかり合った刃も濡らし、刃の輪郭に沿って、雫が滴り落ちる。何か一つ、力のかかり具合が変化すれば、崩れてしまうであろう剣の、切っ先と腹を通した力の押し合いはこの瞬間、完全に拮抗していた。


「クラウス……神殿騎士長……お前は……」


 リディアは力んで合わせた歯の間から、絞り出すように言葉を吐き出した。シホの為でも、フィッフスの言葉のせいでもない。強いて言えば、クラウスに仲間意識を覚えたからという言葉が近いが、それとも違う。リディアは自身の中に姿を現した、得体の知れない感情に、名前を付けるように言葉を紡いだ。


「お前は……戻れ。シホの下へ。騎士団の仲間の下へ。お前まで、お前のような人間まで、おれと同じ道を進むことはない……」


 クラウスが魔剣アンヴィを手にしたあの夜、ギャプロン・テロッシの屋敷で叫んだ自身の言葉を、リディアはもう一度、クラウスに伝えるつもりで絞り出した。


 クラウスとの決着を避ける理由。


 クラウスをシホや皆の下へ帰してやりたい、と考える理由。


 それがこの言葉に全て現れていた。


 百魔剣に『喰われ』たクラウス。


 直後の混乱で、暴れまわったクラウス。


 リディアが『聞い』たクラウスの欲の声。


 シホに、父親に、誰かに必要とされたい、誰かにとって特別な自分でいたい、と叫ぶ声。


 クラウス・タジティ。


 お前は、だ。


「くどいぞ、リディア・クレイ。この戦いに言葉などいらん」

「黙れ、アンヴィ」


 鋭く、強い声が、雷鳴と共に轟いた。クラウスが、いや、アンヴィが、驚いたような表情をクラウスに作らせた。


 おそらくいま、クラウスは夢を見ているはずだ。自分が『統制者』と契約した時のように。リディアは自分の過去を思い出し、いまのクラウスの状況を推察した。混濁した意識はほとんどの理解力を失っているはずだが、それでも覚醒している部分も残っているので、薄ぼんやりと何が起こっているのかはわかっている。そんな状態のはずだ。


「おれは、クラウスに話している」


 リディアもまた、幼き日、誰かに認めてもらいたい、必要とされたい、と願い続けていた。『統制者』を手にしたのは偶然だったが、それでも似たような感情を操作されたことには変わりない。


 だからこそ、リディアはクラウスを皆の下へ帰したいのだ。


 帰ることが出来る、と証明してほしいのだ。


 証明したいのだ。


 一度、百魔剣に『喰われ』たとしても、戻ることの出来る道があることを。そして、そうして救い出すことが出来ることで、戻れない道を選んだ自分の生き様が、間違いではなかったことを、証明したいのだ。


 だから……


「クラウス、戻れ。戻ってこい……!」

「馬鹿にするなっ!」


 ふいに、身体が浮き上がるような感覚があった。剣と剣の間で保たれていた拮抗が破れた。瞬間、強烈な圧力が加わり、リディアはそれに押される形で後退した。『強烈な圧力』は常人の理解の範疇で想像できる力ではなかった。すぐにリディアの足は地面を離れ、宙に舞って弾き飛ばされるように後方へ飛んだ。背面にあった白壁に叩きつけられ、したたかに背中を打ち付けたリディアに、さらにクラウスが突進して来る。リディアはどうにか『統制者』を振り上げ、防御の姿勢を取ったが、それは意味をなさなかった。


 突進して来たクラウスは、『統制者』の切っ先を掻い潜り、自身の体重と筋力の全てを乗せた当身を繰り出した。剣での攻撃を予測していたリディアは避けることが出来ず、また受け身を取ることも出来ず、まともにその肩と背中を使った当身を受けた。リディアの身体はすぐ背後にあった白壁に再び叩きつけられ、今度はそれだけでは収まらず、老朽化した漆喰の壁を打ち破った。それも一件だけではなく、リディアの身体は数軒の廃屋を突き抜けて、初めにクラウスと対峙した石畳敷の大通りまで飛ばされた。


 石畳の上に転がり、しかし、リディアはすぐさま起き上がった。胸の骨が軋む音を上げ、明らかな異常が起こっていることを伝えたが、いまはその痛みに身を任せている時ではなかった。


 見上げると、アンヴィを振り上げ、飛び掛かって来るクラウスの姿があった。


 寸でのところで後方に身を翻したリディアは、その追い打ちを回避した。アンヴィが石畳を貫く、固い音と、炸裂音のような音がないまぜになって響き、雨の中で水滴が弾けた。


「貴様、本当にこの男を救えるとでも思っているのか。『統制者』が『統制者』の仕事をせずに、このおれを抑え込むことができるとでも思っているのか!」


 アンヴィがクラウスの声を借りて叫び声をあげる。


 リディアは徐に『統制者』を中段に構えた。


「人は、人の作り出したものに負けはしない。絶対に、負けはしない」


 リディアはいつか、フィッフスが話してくれたことを思い出していた。


 それは先日、シホにも話していた事だ。


 旧王国時代の媒体ミディアムには、ある種の善意を感じるんだよ。魔法を人々にとって身近で、使いやすいものする、そうした善意が感じられるのさ。


 孤児院を後にして数年、フィッフスとその夫に育ててもらっていた頃、彼女から何度も聞かされた言葉。それは百魔剣を生んだ旧王国時代の遺物、媒体を研究し続けるフィッフスの実感であり、真実に思える言葉だった。


 だとするならば。


 百魔剣とて、そうなのではないか。


 ある種の善意に裏支えされた、『もの』なのではないか。


 百魔剣とて、その時代に生まれた、『もの』でしかないのではないか。


 それならば。


 善意ある、『もの』だと言うのであれば。


「ましてクラウスならば、負けはしない。あの男ならば、人々に愛されているあの男ならば、貴様ごときに負けたりはしない」

「ほおう、ならば、どうする? おれがこの男である事実は変わらんぞ?」


 下卑た笑みを浮かべて、アンヴィが笑う。リディアはただ静かに刃を立てて、自分の顔の中心に近づけた。


「貴様だけは、封じる。もちろん、おれの意思で、だ」


『統制者』を抑えて、アンヴィも抑える。


 おれの力次第だ。


 クラウスだけではない。


 おれも、自分の限界を超える。


 越えて見せる。


 だから、お前も、出てこい。


 戻ってこい。


 自分の限界を超えて来い。


「『統制者』おれに力を貸せっ!」


 立てた刃が赤く煌き、『統制者』がリディアに答えたようだった。

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