第9話 夜会
絢爛豪華。
部屋の装飾や、出される飲食の品は、王族のそれと引けを取らない。だが明らかに異なるのは、場の雰囲気だ。この場さえも後々の商売に反映させようという駆け引きが公然と飛び交っている、リディアも初めて見る種類の夜会だった。
生き馬の目を抜く商売の世界で、他者より少しでも富を得るための新しい情報を、まったく無駄に思える会話からでも掘り当てる。そうした意識の集中、リディアがよく知る戦いにも似た緊張感が、この場にはある。それをわかっているのか、それとも本人たちは気づかずにしているのか。そんな商人という人種たちが集う優雅な立食の夜会は、ギャプロン邸の一階に設けられた舞踏用だという仕切りのない巨大な一室で始まっていた。
「おお、いらしたか」
「お招きいただき光栄です、ギャプロン殿」
そんな貴族とも騎士とも異なる世界に、仮面を着けたクラウスは信じられないほど簡単に馴染んでみせた。隣で見ていたリディアは、表情にこそ出さなかったが、その適応力は驚愕に値するものだと感じていた。ギャプロン邸の正面玄関に馬車を横付けし、扉を開いた瞬間から、クラウスは完璧に北方の商人、カラエフ・ストラエフになっていた。この室内に入るまでにも、既に二組の男女の商人と挨拶を交わし、架空であるはずの存在を、あたかも現実のもののように受け答え、和やかに受け流して来ていた。
決して、自分には真似できるものではない。
ふと、そんな言葉が浮かび、クラウスに対してそう思うのは何度目だろう、と考えた。
「これほど豪華なものだとは思いませんでした」
「何を仰る。この程度、そなたの土地では珍しくはないのではないかな」
「いえいえ、わたしのような田舎商人に、このような社交の場は似つかわしくありませんよ」
顔の上半分を覆った仮面の下で、クラウスの口元が笑みの形を刻む。クラウスに歩み寄って来た恰幅のいい男を、クラウスがギャプロンと呼んだ。
この男がこの館の主、魔剣アンヴィを強奪した黒幕であるギャプロン・テロッシ。リディアは自分でもわかるほどの緊張が身体を包むのがわかった。と、そのリディアを制するように、クラウスがギャプロンとリディアの間に、それとなく身体を移した。
「で、そちらは?」
「わたしの護衛と見習いを兼ねている者たちです。みすぼらしい身なりで申し訳ございません」
もしかしたら、とリディアは思った。クラウスは隣にいながら、こちらに不必要な緊張が走ったことに気づいたのかもしれない。だから身を挺して自分を守ってくれた。それほどの注意力を、クラウスは常に周囲にも張り巡らせている。やはり、真似できるものではない。
「とんでもない。皆、とてもお綺麗な方々ばかりで、羨ましく思いますぞ。特にそちらの、黒髪の女性」
クラウスに同道したのは、リディアを含めて三人。
クラウスの部下であるカーシャという赤髪の女騎士と、エオリアという小柄な、一見するとまだ子供にも見える童顔な女騎士だ。いずれも女性ばかりを選んだ理由は聞いていないが、夜会という場に馴染ませる為だったのかもしれない。二人とも、何が起こっても動ける為の余裕を残した衣装で着飾っている。リディアは普段通りの黒い外套に、夜会用の宝飾品を身に着け、長い髪を頭の後ろの高いところで結い上げることで、一応、場への対応と、変装を兼ねていた。
「黒髪の」
「そう。彼女。名は」
仮面のクラウスが、わずかに顔をこちらに向けた。カーシャは燃えるような赤い髪をしており、エオリアは茶色の髪を頭の両横で結っている。黒髪の女性、というと……自分しかいない。
「フィン・マドラスと申します、ギャプロン様」
「フィン……?」
「ギャプロン殿、この者はこのような容姿に身なりですが、男なのです。幼少の頃、捨てられていたのを、わたしの父が拾い、育てました」
元々用意していたのか、それとも即興か。いや、偽名を用意し、こちらに与えていたのだから、元々そうした物語まで、クラウスは用意していたのだろう。リディアの後を受けてギャプロンに説明した声は、そうした状況も想定の範囲内だと告げる、ひどく落ち着いた言葉運びだった。
「そうかそうか。いやいや、しかし、それでも美しいものは美しい。……どうだね、カラエフ殿、この者、わたしの下に置かぬかね?」
なるほど、とリディアは思った。ギャプロンは、その手合いだ。これまでの傭兵稼業の中でも、男色趣味を持つものには出会ってきたし、そういう対象として見られたことも数えきれない。後半の台詞を小声にして、クラウスに耳打ちした仕草が醜く、過去にリディアの身体を求めた男たちを彷彿とさせた。
「まあ……考えておきましょう」
「今後の商売も、悪いようにはせんよ。今夜の終わりにでも返答を聞かせてくれ。今夜は長くなるからな、じっくり考える間はあるだろう。あれのお披露目があるので」
「……お披露目、と申されますと?」
リディアからギャプロンへと向き直ったクラウスの声が、そうとわからない程度に固くなった。
「そなたも気になっていただろう、わたしの収集品の一部だよ。最近、とびきり珍しいものが手に入ってね」
魔剣アンヴィ。
口には出さなかったが、リディアはその姿を思った。
舞踏の弦楽器の音楽が鳴り響き、大部屋の中央で男女が踊り始める。煌びやかな服装が、木の葉が風に揺れるように舞い踊る。クラウスとギャプロンの肩越しに見えたその優雅な映像の向こうに、リディアは小柄な、蛇のような目をした男の姿を幻視した。
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