第7話 仮面

 怒られる。


 それを思い出した。だから協力者である豪商の屋敷へ帰るシホの足取りは重かった。とても素敵な出会いがあり、それをクラウスにも教えたいと思ったが、そのクラウスに怒られる要素しか、いまの自分が持ち合わせていないことを思い出して、シホの足取りは重くなった。


 しかし、待っていたのは、意外な反応だった。


「アンヴィは、確かにギャプロン邸にありました」


 帰るなり、シホはリディアと共に、屋敷の応接間に通された。そこで待っていたクラウスは、変装の為身に着けていた北方商人の身なりのまま、そう話し始めた。シホが給仕服を着ていることや、無断で街中へ外出したこと、同道していたリディアの存在には微塵も触れることなく、淡々と、自身に起こったことのみを知らせた。


「ですが、ただ置かれていたわけではありません。あるものが実際に自ら武器として身に着けています」


 これも変装用の仮面を外し、応接間の背の低い机の上に置いたクラウスは、綺麗に整えられた黒髪を一度だけ掻き上げた。


「……ローグ、か」


 受け応えたのはリディアだった。クラウスは何も言わず、応接用の低い革張りの椅子に腰かけた。


「……あれが、あの小男ならば、な」


「……それはどういう……」


「かなり大柄になっていたんじゃないか?」


 シホはクラウスの言葉の意味を測りかねたが、リディアにはクラウスが見てきたものがそのまま見えているようだった。フィッフスから受け取った黒く、長い外套を身にまとい、紅い剣をその外套の中に納めたリディアは、口調までもが『死神』に戻っている。


「……そうだ。かなり大柄で、鍛え上げられた肉体、それに頭髪も豊富になっていた」


 小柄で、半ばまで後退した頭髪を撫でつけた中年男性。片腕を失い、その腕を再生させ、人間とは思えぬ奇声を上げながら、『紅い死神』と対等な、超越的な戦闘を繰り広げた、アンヴィ強奪の首魁。それがシホの見たローグという男の姿だった。それが大きく変わっている、というのだろうか。


「アンヴィの影響だな」


「やはり、あれはそういうことなのか」


「ああ、おれもこれまでに何度か見たことがある。魔剣によっては、主になったものが、その力を振るうに相応しい肉体を手に入れる……というより、手に入れさせられる、といった方がいいかもしれないな。ローグほどの変貌は見たことがないが、アンヴィの魔力を考えれば、不思議なことではない」


「相応しい肉体、か。確かに、そうかもしれない。あの大きな鼻と、蛇のような目がなければ、わたしも同一人物だとは思わなかった」


 淡々としたクラウスと、やはり淡々としたリディアの情報交換は素早く、淀みなく進められていく。加わることができないシホは、しかしなぜか、二人が真剣に、同じ目的の為に話をしている姿を見ながら、笑顔が浮かんでくるのを抑えることができなかった。


 この感情を何と言ったらいいのだろうか。


 クラウスはリディアを危険視し、自分たちの障害となるならば斬るとまで言い、シホがリディアとの共闘を申し出た時も、一度はそれを咎める声を上げた。その後はシホの考えを実現する為に動いてくれていたが、果たしてそれがクラウスの本心なのか、シホにはわからない部分があった。


 クラウスはいつも、自分の本音を押し隠してしまう。そういうところがあることを、シホは知っていた。この二年の間、クラウスはいつも傍にいてくれた。だからこそ、シホにはわかるのだ。クラウスは本心を隠してでも、物事を前に進めることができる。だからこそ、教会内部や王国貴族たちの、複雑で困難な社交界を、あの若さで切り抜けることができるのだ。机の上に置いた仮面のように、クラウスは常に一枚、心に目的を達成する為に必要な『顔』を纏っていた。


 だからいま、クラウスとリディアが対等に、同じ目的について話し合っている姿を、シホは単純に嬉しいと感じていた。それがクラウスの本心からの行動かどうかは、まだ分かりかねるところだったが、それでもシホにとって、どちらも大切な人だから、その二人が、何かの目的の為に力を合わせてくれることが嬉しい。


 と、そこでふと、シホはリディアが、いつの間に自分の中でになったのか、と自問して、顔が熱くなるのを感じた。紅潮した頬に手を当てて、二人には見られないように、そっとリディアの後ろに隠れた。


「ギャプロンは、わたしと他の取引相手を招待して、今夜、大きな食事会を開く。ローグはギャプロンの私兵の長として彼を護衛している。おそらく、この夜会にも姿を見せるはずだ」


「おれやシホもそこへ同席して、アンヴィを封じる機会を狙う、ということか?」


 それは、何気ない言葉のように聞こえた。


 リディアが言ったことは、シホにもわかった。クラウスも、そういう計画を立てようとしているのだろう、とわかった。だからシホはクラウスを見た。そういう言葉がすぐに出るであろう、と思って。


 その時見た、クラウスの目に、シホは戦慄を覚えた。


 これまで見たことがない、残忍な輝きが、その目にあった。


 全身が粟立つ。胸の中に見えない何者かの手が押し込まれ、内臓を鷲掴みにされたような、そうとしか表現のしようのない感覚が、シホの身体を支配した。寸前まであった、熱に浮かされた感覚は一瞬で遠のき、シホはその場に膝をついてしまいそうなほど震えた。


 しかし、それはほんの一瞬の出来事だった。本当に見たのか、見ていないのかすら定かではなくなるほどの、刹那と言っていい出来事。身が震えた直後には、クラウスの目はそれまで通り淡々とした、常に冷静な彼本来のものに戻っていた。


「……そのつもりだ。ただ、ギャプロンの私邸には、当然ローグを頂点にした私兵部隊がいる。こちらの戦力が限られる以上、全面的な衝突は、出来ることであれば避けたい」


「お前たちは顔を知られている可能性が高い」


「わたしの部下たちは大丈夫だろう。わたしはまた変装をして、商人としてその場に潜り込む。リディア殿には、わたしの部下と共に同道していただきたい」


「わかった。いいだろう」


「後はわたしと部下で調整しておく。夕刻、ここを出よう」


 クラウスは立ち上がり、話の終わりを告げた。シホはほとんど口を出すことができず、またほとんど意見を求められることなく、『領主』の一振り、魔剣アンヴィとの二度目の直面を迎えることになりそうだった。


 部屋を後にしながら、シホはいまさらながら違和感を覚えた。


 魔剣との戦いで、クラウスから意見や発言を求められなかったのは、これが初めてではなかっただろうか?

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