第2話 お前の力を必要としている人がいる。それで十分だろう
光が見えた。
それが陽の光だと理解するまで、時間はかからなかった。
ゆっくりと明るさを増していく光。自分の瞼が少しずつ、開こうとしているのだということに気づくには、時間がかかった。
そしてほとんど同時に身体を襲う重力。身の重さだと気づき、まだ命がこの世に繋ぎ止められている事実に辟易する。また戻ってきてしまった。今度は何を守れなかったのだろう。何を壊してしまったのだろう。何を失ったのだろう。その恐怖が、全身の重さと一緒になってのしかかって来る。
薄く開いた瞼の向こう。光の白い膜が、景色を包んでいる。わずかに揺れるているように見えるのは、あの真っ白なカーテンだろうか。いや、そんなはずはない。あれは失われたものだ。何もかも、無くなってしまったのだから。
「リディアさん!」
夢と現実の狭間を揺蕩う光の幕がゆっくりと晴れていく。そこにリディアは金色の光を見た。陽光のような、温かみを持った本物の光。金色の髪は緩やかなくせをもってうねり、彼女の優しい表情をさらに輝かせる後光のようにも見えた。
……シスター。
いつかと同じように、リディアは自身でも意識しないうちに、思いがけない言葉を口の中でつぶやいていた。似てなどいない。だが、確かに似ている。リディアは想った。この少女のことを、そして『シスター』のことを。
マーレイ近郊の都市遺跡群での戦闘から三日が経過していた。
今回は短い方だ、とリディアは自分が横になっているベッドの脇に立つシホの言葉を聞きながら思った。
アザミ・キョウスケの強襲を退けた後、クラウスの傷を癒したシホは、その場で意識を失ったのだという。後は治癒を受けたクラウスとその部下たちがシホと、そしてリディアを助け、マーレイまで運び込んだのだと説明された。
いま、リディアがいる建物は、マーレイの中でも大きな商家の一人で、天空神教の熱心な信者でもある人物の屋敷だという。貿易自治都市マーレイには、シフォアのような大きな神殿はなく、クラウスは兼ねてからこの商人を頼って、マーレイでの滞在先にするつもりでいたらしい。言われてみれば、いま横になっているベッドの寝心地も、見える範囲にある調度品の数々も、どれも安物には見えない代物ばかりだった。
「どうやって助かったのか、実はあまりよく覚えていなくて……全部クラウスさんのおかげなんです。ここまで来れたことも、こうして大きなお屋敷で身体を休めることができていることも。わたしの力ではないんです」
奇跡。
シホの力はそう呼ばれる。
しかし、そうではないのだと、シホは続けた。
「以前にも一度、あったんです。奇跡、と皆さんが呼んでくださる力を使って戦ったこと。でもその時も、わたしは何も覚えていなくて。その時もクラウスさんが助けてくれました。まるで他の誰かがやったことみたいに、覚えていないんですよ。自分の意思で使いこなすことができているのか、いないのか。それすら、わたしにはわからないんです。こんな力が、奇跡の力、なんて褒められるものなんでしょうか」
シホはリディアから視線を外し、少し俯いて話した。言葉の最後はほとんど呟きで、リディアに聞かせるというより、シホ自身が自身に問いかけているように見えた。
「おれは……」
シホはこれまでになく饒舌で、これまでになく柔らかい声音で話をした。おそらく、これが『聖女』ではない、シホ・リリシアという少女本人なのだろうと思える声音。だからだろうか。それとも『自分の意思で使いこなすことのできない力』という言葉に、何某かの共感のようなものを見出したからだろうか。リディアはシホの言葉に応えたい、と、言葉を紡いだ。
「おれは、どうだった」
「どう……とは?」
「クラウスがおれを助けてくれた時、おれの様子はどうだった」
シホは俯き加減のまま、少し困ったような顔をして、しかしその時の様子を話してくれた。もちろん、シホもクラウスから聞いた話だ、と前置きして。
「リディアさんは、戦っていた相手も、戦っていた周りも、リディアさん自身も、その…… ボロボロになっていたそうです。でも、リディアさんの身体は、周りの状況から考えられないほど、完璧に無傷だったそうです」
だろうな、とリディアは思った。
いつも通りだった。あの『声』に身を委ねた後、起こることだ。
「おれも、覚えていない。何があって、どうやって敵を撃退したのか。なぜ無傷で倒れていて、なぜここにいるのか」
シホは少し顔を上げて、リディアの目を見た。驚いたような色が、その瞳にあった。
「お前の力で救われた人間がいる。たとえ使いこなせているかわからない力でも、救われた人間にとって、それは奇跡、と呼べるんじゃないか」
おれは誰にこの言葉を聞かせようとしているのだろう。こんなに柔らかい声で。地金を晒したような、本来の声音で。リディアは頭の片隅でそんなことを思い、おそらく自分自身に言って聞かせているのだろう、と自答した。
「お前の力を必要としている人がいる。それで十分だろう」
「……そう、ですね」
シホが満面の笑みを見せた。その瞬間、リディアの脳裏を、つい先ほどまで見ていた映像が過ぎ去っていった。真っ白なカーテン。短い下草に覆われた緑の庭。そして、あの人。
シホの笑みはやはり、あの人に似ていた。
陽光のように温かい、あの人の笑みに、似ていた。
クラウスはいま、出かけているとのことだった。魔剣アンヴィ強奪を企てた黒幕、『死の商人』ギャプロン・テロッシに面会する機会を得ようと表立って行動する裏で、どうにかしてギャプロンの館内の情報を手に入れ、魔剣アンヴィと、それを奪ったローグの足取りを掴む算段をしているのだという。
「……すごい男だな、神殿騎士長は」
自分が三日三晩眠っている間に、クラウス・タジティは既に行動を起こしていた。シホの治癒を受けたとはいえ、あれほどの戦いをしておきながら、剣を交える戦い以外でも常に戦い続けている男の生き様に、リディアは感嘆のため息をついた。
息を吐いたところで、リディアは改めて自分が薄い着衣一枚だけでベッドに横になっていることに気が付いた。
「おれの上着は……」
「リディアさん自身もボロボロになっていたので……その……」
なぜか申し訳なさそうにシホは言う。着ていた外套は使い物にならなくなった、ということのようだった。
「そうか……」
「あの黒い上着は、リディアさんにとって大切なものだったのですか?」
シホが訊いてくる。それがわかってしまうような声音で話していたのだろうか。改めて、自分が常としてきた、周囲を遠ざける気配をいまの自分が纏っていないことに気づかされる。
「そうだな……」
大切なものだ。自分の存在意義に関わるほどの。
そう言いかけて、リディアはあることに気がついた。
「そうか、ここはマーレイだったな」
「え、ええ。そうですが……」
リディアは身を起こした。
めまいのような感覚がわずかにあったが、すぐに消えてくれた。
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