16-1
桜の舞う季節、杉本は都内の閑静な住宅街を訪ねた。
芝太郎と会うのは二か月ぶりとなる。上京したての弥絵を伴い、病室を訪ねた冬の日以来のことだ。
手術はつつがなく成功し、その後、老医師は娘夫婦の家へ身を寄せていた。
応接間のソファで向かい合い、お互いに深々とお辞儀をする。
「お加減はいかがですか」
「小康状態というところかね」
温厚そうな丸眼鏡の老人は穏やかに微笑んだ。少し痩せたような気がしたが、瞳の優しさは変わっていなかった。
「面倒な役目を負わせて済まなかったね」
「いいえ」
「杉本くんには大役を負わせてしまった」
「大役だなんて。逆に、ペインの研究成果、僕が手柄を横取りしてしまったみたいで恐縮しています……」
長らく気になっていたことを杉本は告げた。
専門家代表として慣れない記者会見に出席してしまったために、取材の申し込みや事務連絡など、すべてが杉本の所属する医師会へ入ってくる手筈になってしまった。
「芝さんがいちばんの功労者なのに、僕ばかり目立ってしまって」
「いや、私は表に立ちたくなかったから都合がよかった。しかし、その分迷惑をかけただろうね……」
静かに見つめられて、杉本は曖昧に言葉を濁した。
騒動に振り回され疲れ果てたのは確かだった。しかし、面と向かって肯定しては礼儀に欠けるだろう。
最終的には深く関わることとなったが、彼はペインや集落の歴史について熟知しているわけではない。世間からの様々な質問に対し、的を射た回答を用意できずに戸惑ってばかりいた。
本来ならば彼よりももっと詳しい、問題の中心に存在していた者——たとえば篠沢が説明に当たるべきだったのだろうが、彼は「毒のことは知らなかった」と言い張った。もちろんそんな言い訳が通るはずもなく、彼は世間の非難を浴びて雲隠れしていた。
「篠沢くんも大変だろうね」
「いや、あのひとは元気ですよ……心配する必要がないくらいに」
思わず本音が出た。
「居場所を知っているのかい?」
「はあ……実は、縁あって僕の遠縁が
いまごろは三角家の屋敷で快適に過ごしているだろう。つくづく運がいいというか、悪運の強い人間だと思う。
「怪我はもう完治しましたし、いまは会社の後始末に奔走しているみたいですね」
温室は全焼した。ペインの栽培は中止され、篠沢の会社は解散した。
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