15-2
血痕を見下ろして立ちつくす弥絵の背後に人影が立った。
振り向くと、続いて様子を見にきた三人がいた。
「英次郎……」
綾が震える指で指した先には、薄汚れた角材が無造作に転がっていた。赤黒い染みが付着しているのが傍目にも見てとれた。
「宣子さんが……」
「違うよ!!」
弥絵は大きな声で綾の言葉を遮った。
——宣子が角材で人を、おそらくは篠沢を、殴った。
線が細く穏やかでいつも兄の横で笑っていた非力な女性がそんなことを?
弥絵は宣子のことを知っているつもりだった。彼女が、人を殺そうとするような人間だとは到底思えなかった。
そこで唐突に、あの夢のことを思い出した。一志が弥絵に教えてくれたこと。「宣子はああ見えて、けっこう過激だから」。
——キレるとなにすっか判んないし。
「……嘘だ」
そういうことなのだろうか?
弥絵の頭は激しく混乱していた。考えが全然まとまってくれない。
「誰もいないみたいだ」
部屋をあらかた見回って、浪岡が戻ってきた。
「あたし、温室のほう見てくる」
弥絵は大人たちの脇を通り過ぎて外へ出た。
煙が出ているのはペインの温室だ。弥絵は再び走った。
サッシの扉は閉ざされていた。温室の横に赤い車が停められているのを見つけ、弥絵は思わず失意のうめきを洩らした。
あれは宣子の車だった。
引き戸の隙間から、薄く煙が洩れている。サッシの鍵は力任せに壊されていた。弥絵が扉を開けたとたん、内部から灰色の煙と熱気が溢れ出し、彼女を圧倒した。本能的な危険を感じ、思わず数歩退いた。
浪岡が駆けつけ、半開きになった扉を眺めてつぶやく。
「やばいなこれ。酸素のせいで炎がひどくなる。早く片づけないと」
額に汗を滲ませた浪岡は、扉を引くと温室へ突入した。
弥絵、そして綾も後に続いた。
煙は充満しているものの、入口付近にはまだ火が回っていなかった。部屋の奥に整然と並んだ花垣が、まだらに燃えていた。オレンジ色の炎が踊っている。
煙と熱気に怯みながらも目を凝らす。ひときわ激しく燃えさかっている区域があるかと思えば、火がまったく燃え移っていない花垣もあった。
「誰かいるか。いたら返事しろ!」
浪岡が大声を張り上げた。
「あ……あそこに!」
床に倒れている篠沢を綾が見つけた。浪岡とともに駆け寄り、助け起こす。
横目でそれを確認しながらも、弥絵はただ立ちつくし、燃えさかる炎に目を奪われていた。
ぺインが、燃えていた。
弥絵が、そして彼女の兄が、父が、村の人間があまねく育ててきた薔薇が。
燃えていた。次々と炎に飲み込まれ、紅とオレンジが溶け合って。
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