8-3

 それからふたりで、ぶらぶらと歩いた。

 金魚をすくってみたり——一匹だけ取れたが飼えないので水槽に戻した——、人込みの中で遠目に神楽を眺めたり、拝殿に手を合わせたり、いろいろと買い込んで立ち食いをしたり、祭りの雰囲気を存分に満喫した。

 時計の針が十時を指したところで花売りの露店に戻り、ほかの住人と合流してから帰途についた。

 診療所では一志と宣子が留守番をしてくれているはずだ。

 送ってくれた長浜のワゴンに別れを告げて、小屋の扉を開けた。

 「ずいぶん遅かったのね」

 入るなり綾の声が飛んでくる。彼女は杉本が出かける三時間も前に、篠沢の運転する車に乗って、どこぞへと出かけていった。

 人がいるところで大声では言えないが、あとで釘をさしておかねば、と彼は思った。

 にこにこと手を振る宣子の向かいに一志も座っている。杉本は軽く頭を下げてテーブルへ向かった。

 「留守番ありがとう」

 「はい。楽しかったですか?」

 「うん、おかげさまで」

 弥絵もやってきて、兄の隣の椅子にちょこんと腰を下ろした。総勢五人がテーブルを囲む。

 綾が机の上にあった大きめの紙袋を手に取り、だしぬけに言った。

 「遅れてしまったけど、あなたにプレゼントよ」

 僕に?

 と思って見ると紙袋を渡されているのは弥絵だった。

 「あたしに?」

 本人も不思議そうな顔をして紙袋と綾を見較べている。

 「今夜に間に合わなかったのが悔しいわ。せっかく可愛いの、見つけたのに」

 「なんですか……?」

 「開けてみて。それで、よかったら着せてあげるから。ひとりじゃ無理でしょ」

 皆の視線が集まる中、テーブルの上で弥絵は袋を開けた。

 包みから出てきたのは、薄黄色の地に暖色系の水玉模様が散った、まっさらな浴衣だった。

 「どうしたんです、これ」

 「すごーい。可愛い柄ね」

 「いいでしょう。ねえ、気に入った?」

 杉本と宣子、そして綾が口々に喋る中、上条兄妹は浴衣を見つめたまま無言でいた。

 得意げに微笑む綾とは対照的に、弥絵は困惑の表情を浮かべている。

 「……あの……。なんで?」

 「だって、浴衣、持ってないって言ったじゃない」

 「言いましたけど、欲しいなんてひとことも……」

 「あら。欲しくないの?」

 困ったように弥絵の眉が下がる。素直に喜んでいいのか迷っているふうだった。

 「弥絵ちゃん、もらっておきなよ。綾おばさんはお金持ちだから、プレゼントが趣味なんだよ」

 本当は、あげるよりももらうほうが趣味だったはずだが、ここで言う必要もないだろう。

 おばさんって誰のことかしらと綾はうそぶき、杉本を軽く睨みつけた。弥絵に視線を移すと、うってかわって優美に微笑む。

 「女の子へのプレゼントに、理由は要らないの。それにね、置き土産でもあるのよ。そろそろ帰ることにしたから」

 その台詞を聞き、一同が綾に注目した。

 「居心地は悪くなかったけれど、やっぱり限界だわ」

 買い物に市街へ出たら、すっかり里心がついてしまった、と言う。

 杉本は胸を撫でおろした。ひと月も居座られ、ほとほと疲れ果てていたのだった。

 「あと三日ほどでおいとますると思うわ」

 三日といわず明日にでも。そう思ったが下手な発言で気を変えられては困る。彼はおとなしく黙っていた。

 「そんなわけで、お世話になったお礼なの。よかったら着てみる?」

 ふるふると首を横に振った弥絵を、面白そうに綾は眺める。

 「だって、きょうでなければ来年の夏まで着られないわ。あなたが着たところ、見たくて買ってきたのに」

 「わたしも見たいな。着付けしてあげるから、おいでよ」

 宣子までがはやし立て、戸惑う弥絵の背中を押す。ふたりは台所に引っ込んだ。

 それから三十分ほどして、三人が待ちくたびれた時分、ようやく弥絵は姿を現した。

 三つ編みをくるりと輪にして、頭の上にピンでまとめている。少々不格好だが間に合わせにしては上出来だ。宣子の腕がいいのだろう。

 唇に紅まで差してもらった弥絵は、いつもより大人びて見えた。

 とても可愛いと、杉本は思った。

 「この格好でお祭りに出たかったねえ」

 彼は心からの台詞を言った。

 「また来年よね。ほんと、可愛い。弥絵ちゃん」

 宣子は自分の按配あんばいした姿を検分するように、上から下まで弥絵を眺める。

 一志は相変わらず黙ったままだが、妹の姿をひたと見据え、満足げに口の端を緩めているように見えた。

 「綾さん。……ありがとう」

 頬を染めた弥絵の言葉を聞き、綾は嬉しそうに微笑んだ。

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