8-1

 「お祭りなんて、何年ぶりだろう」

 杉本は夜の雑踏をぐるりと見回した。見渡すかぎり、至るところに人がいるのが新鮮だった。

 この国でもっとも人の多い都市からやってきたというのに。

 たった三か月ほどで過疎の感覚にすっかり馴染んでしまった自分を思うと、苦笑が洩れた。

 夜のとばりに包まれ、連なる赤い提灯ちょうちんが濃紺色の空に映えている。

 神社への道を大勢の人間とすれ違いながら、ふたりはゆっくりと歩いてゆく。

 「東京ってこういうお祭りないの?」

 弥絵が首に下げたハッカパイプを吸いながら訊ねた。ミントは苦手だけどハッカは美味しいと、不思議なことを言いながら、先ほど買い求めていたものだった。

 「いや、あったんだろうけど。僕は行かなかったから」

 「楽しいのに」

 「……そうだね」

 人込みは苦手だったし、誘われる機会もなかった。幼い頃も、家族で遊びに出かけるということはまったくなかった。連れていかれるのは晩餐会や式典など、子どもには退屈なところばかりだった。

 まともじゃないな。

 再度苦笑いを浮かべた杉本は、漂ってきた甘い香りに気づいた。

 右手にあったその屋台を見つけ、指差してみせる。

 「弥絵ちゃん、ベビーカステラっていうの、食べる?」

 「いらない」

 「食べたいなぁ」

 どういう食べ物なのかまったく知らないが、このにおいには心をくすぐられる。

 「買ってきたら?」

 「半分こしようよ」

 パイプを口にくわえたまま、弥絵が曖昧に頷いた。

 杉本はいったん屋台の方角へ足を向けたが、ふと思案して振り返る。

 首をかしげる弥絵を数秒見つめ、やおらその手を引いて歩き出した。

 「なっ……、なに?」

 引っ張られた弥絵は慌てた様子でついてくる。

 「はぐれたら困るでしょ。おいで」

 「こんな近い距離で、いきなりはぐれないよ! 手、離して」

 「人が多いから危ないよ」

 「危なくないよ!」

 訴えを聞き流して歩を進めた。握った右手が大きく振り回されるのも意に介さない。

 ここで弥絵を見失ったら、車を出して送ってくれた長浜にまた迷惑をかけることになる。帰りを待ち合わせている花売りの場所まで、ひとりで無事に戻れる自信もない。

 数十歩で目当ての屋台に辿り着いた。目の前の菓子を見て、思わず歓声をあげる。

 「うわあ……。美味しそうだね」

 丸くて小さなきつね色の菓子が、細長い機械の中で焼かれていた。型から出したばかりのものが、次々とスコップですくわれて袋に詰められてゆく。しばらく見とれてから、売り手の男たちに声をかけた。

 「ひと袋、ください」

 「あいよ。焼きたて三百円」

 財布を取り出す隙に、右手が離れた。ちらりと見ると弥絵はそっぽを向いてしまっている。

 小銭と引き換えに紙袋を受け取った。

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