5-3
扉が開く音がした。続いて人間が入ってくる気配。
厭味のひとつも言ってやろうか、それとも無言の抗議としてだんまりを決め込むか。弥絵は雑巾を握りしめて真剣に考えた。
仕切りのむこうで音がしている。重い荷物を引きずり移動させているような音、続いて紙をめくる音。何をしているのだろう。
医師と綾さんだったら、診療所に入るなり、彼女が一方的に喋りはじめているはず。暑いとか退屈だとか、いつものように文句を並べたてて。
……あのふたり……じゃない?
弥絵は雑巾を持ったまま、そっとついたてから顔を出した。
広間を見渡すと、杉本の机周辺に黒い人影が見えた。杉本よりも大きな影だった。
その人物は弥絵に背を向けたまま、芝医師が残していった荷物の箱を無遠慮に開けていた。机の背後には大量のダンボールが不安定な角度で積み上げられている。杉本が、地震があったら下敷きだなあと苦笑いしていた箱の山だ。それを男は崩しはじめていた。
中身を床に次々と放り、おざなりに戻して詰め込み、また次の箱を開ける。なにかを探しているようでもあった。
動く男の横顔が目に入り、弥絵は緊張する。
篠沢康平だ。
あいつ。
「なに、してるんですか」
思わず強い調子で叫ぶ。
篠沢は驚いた様子で振り返った。弥絵を認めると馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「なんだ、いたのか」
「勝手になにしてるのって、聞いてるんですけど」
憤慨した弥絵は篠沢のほうへ大股で歩み寄った。
いつもならこんな奴のそばに寄るのもいやで、寄合所に村民が集められる配給時にも兄の影に隠れていた。集落を支えているのは確かにこの男だが、嫌いなものは断じて嫌いだった。
こいつはあの花と同じ。うわべだけ綺麗でも、近づいたらひどく危険なもの。
「それ、芝じいの荷物です。勝手に開けたら、あたしが怒られますから!」
弥絵は怒鳴った。興奮のあまり語尾が震える。
「どうしておまえが怒られるんだ」
言いながら彼は手を休めない。
「留守中のこと、任されてるからです」
「なんのために杉本医師がいると思ってるんだ。それに、芝さんはもう帰ってこないよ」
「そんなこと……っ」
あっさりと言ってのける篠沢に対して、目の前が赤くなるほどの怒りを覚えた。
心の底では弥絵自身畏れていたことだった。極力考えないよう、封じ込めてきた想いだった。
彼女は唇を噛みしめた。まだ握りしめていた雑巾を床に叩きつける。
「芝じいは帰ってくるもん! 勝手に触んないでっ」
篠沢に近づく。威圧的な視線を受けたが、力を込めて睨み返した。崩されたダンボールの山を戻しにかかる。
「邪魔するな、弥絵」
気安く呼ばないでよ、と叫びたいのを堪え、手近の大きな箱を持ち上げた。重たくて腕が震える。
そのまま運ぶのは無理だと悟り、いったん下ろして息をつく。押す格好で床の上を滑らせることにした。
篠沢は呆れた目をして弥絵を見下ろしていたが、やがて視線を年代物の木の本棚に向ける。
現在は杉本の書籍も所蔵している本棚から、専門書や書類を引き抜き、乱暴に机に積み上げはじめた。
「ちょっと、やめてって言ってるのに」
篠沢に掴みかかろうとするが、片手で止められた。食い下がって左腕をぎゅっと掴む。
「離せ。いい加減にしろ」
苛ついた口調で言い、篠沢はたやすく弥絵を引きはがした。両の手首をきつく捕えると彼女に厳しい視線を浴びせる。
「いいか、ここは俺の村だ」
彼は現村長の息子で、花卉産業を牛耳る統括者だった。それに加え、この土地一帯は大方が村長の所有地であるため、俺の村だという言い方もあながち間違いではない。しかし弥絵は真っ向から否定したかった。
「あんたの父さんの村でしょ……!」
それを聞くと面白そうに口を歪める。
手首を掴む彼の両手に力が籠った。痛いけれど口に出すのはまっぴらだ。
「俺の村だ。少なくともこの集落は俺のものなんだよ、弥絵。言ってみれば、おまえも俺のものだ」
冷たい眼光が弥絵を射す。整った顔立ちが至近距離まで近付く。鳥肌がたった。
「ふざけないでよ! 馬鹿みたい!!」
「馬鹿はおまえだ。冗談に決まってるだろう。おまえみたいな
「離して……!」
叫んで、力の限り腕を引く。手首がちぎれるかと思うほど痛かった。
「なに、やってるんです!?」
声の方角を振り向くと、診療所の扉が開いていた。
驚いた顔の杉本がこちらに駆け寄ってくる。後ろに綾の姿も見えた。
「医師、たすけて」
安堵のあまり泣きそうな声が出てしまい、恥ずかしくなった。泣くものかと唇を噛む。
篠沢は舌打ちをすると弥絵を突き放した。弥絵は赤くなった手首をさすり、よろめきながら杉本の許へと逃げる。
「篠沢さん。どういうことです」
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