3-2

 「お母さま? 心配しないでって言ったでしょう」

 会話をはじめた母子、その双方にため息が出てしまう。他人のことなどお構いなしの性格は、昔からちっとも変わっていない。

 三角綾は、杉本家の父方の兄の妻の妹の子供だ。杉本の家は資産家で親類縁者も多く複雑な家系だが、三角の家とは昔から親しくしている。

 ひとつ歳上の綾とも、赤ん坊の頃からのつきあいだった。

 「そうよ、英次郎のところにお世話になるの。ひと月ほど帰らないわ」

 「冗談じゃない」

 何を勝手に決めているのだ。

 受話器を奪おうとするが、ひらりとかわされた。

 「当分、電話しないでちょうだいね。わたしと英次郎の関係に水を差すような真似しないでくださいな。では、失礼します」

 乱暴に置かれた受話器と、鼻息荒い綾の顔を、交互に見比べる。

 「もう、しつこいったら! 出てきて正解だったわ」

 整えられた細い眉をつり上げ、綾は杉本に命じた。

 「のどが乾いたわ。英次郎、アイスティーでも出して」

 「アイスティーって……」

 「なかったらアイスコーヒーでもいいわよ。あら、なんだか……ものすごい小屋なのね。まさか、ここで寝てるの、英次郎」

 麦わら帽子で顔を扇ぎながら、室内を見渡す。

 「あら、アンティークな電話だこと。さすが、タクシーに乗車拒否されるほどの田舎ね……」

 「綾さん……」

 「あ、あそこはロフトになっているのね。藁なんか積んであったら寝るのも楽しそう。昔のアニメみたいでちょっと可愛いわね」

 「綾さん!!」

 「英次郎、トランクは?」

 外に置きっぱなしだ。

 文句を並べ立てたい気分を堪え、再び外へ出る。トランクを引きずって中へ戻ると、綾は呆れた様子で言い放った。

 「ねえ。どこに座ればいいのよ。あんな汚いテーブル、わたし、いやよ」

 ここに来た当初、彼も同じ感想を持ったことを思い出す。しかし。

 「汚くないです。古いからそう見えるだけです。わがまま言ってないで、運ぶの手伝ってくださいよ」

 「んん、荷物、どこに置こうかしら……」

 診療所の中は、大きく分けてふたつに区切られている。

 玄関から続くのは、椅子が並べてあるだけの、狭い待合スペース。

 それから、カーテンで仕切られた狭い診察室とベッド。診察はここで行われるが、二か月の間に不調を訴えて訪れてきた者は、まだいない。

 綾に汚いと言われた大きな丸太テーブルは広間の真ん中にある。ごはんを食べるのも、弥絵が勉強するのも、皆でお茶を飲むのも、このテーブルでだった。

 その先に、杉本の研究机と本棚。机の横には前任者の残した荷物が積み上げられている。

 狭い台所、信じがたいほど古びた風呂場と洗面所、トイレが奥にある。

 建物の端には、芝医師が寝室に使っていたとおぼしき小部屋がある。三畳ほどの隙間しかなく、老医師が残していった荷物が詰め込まれており、物置きのようになっていた。片付けるのには骨が折れそうだ。

 「広い客間なんてありませんよ……。ここがいやなら、明日帰ってください」

 「いやだけど帰らないわ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る