第50話: Overturn.

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 男に待望の瞬間が訪れる。


「まさか、こんなやり方があるなんてな。なぁオーナー? 」

 オーナーはええ、と口端を吊り上げながら笑った。


 駅回りのガード下を抜けた奥、立ち並ぶ雑居ビル。その地下には小さな映画館があった。だがこの映画館、ただの映画館ではない。


「ようこそ、シアターカニバルへ」

 迎えられた新たな贄にオーナーは決まってそう言う。

 ちなみに祭りという意味ではない。それはカーニバルである。カニバル。それは【人喰いの】という意味だった。


 シアター・カニバルは、映画という文化が始まったころの無声映画から、最新の大ヒット作までありとあらゆる作品を取り揃えていた。物騒な名ではあるが、シアター・カニバルは望めば何でも見れる映画館でもあり、映画好きにとってここはオアシス同然だ。

 だがオアシスの周りには灼熱の砂漠が広がっていることと同じように、何にでも大概は裏と表がある。


【チケットの100枚目―――つまり最後のチケットを買った者は新たな贄となる。贄は次にチケットを売り捌くまでこの館を出ることは断じて許されない】

 このルールがカニバルと呼ぶ所以である。


「最初は『すべての映画が見れるなら大ヒット作を上映すれば余裕だろ』って思ってたけど、今は世知辛い時代なんだな。結局あれから、10年だもんな」


 最後の映画を上映中、男は独りの時間を過ごすのも退屈なのでオーナーと雑談を交わす。雑談を交わしながら男は外に出たら何が食べたいかを考えていた口端から涎がつーっと垂れた。男は制服の袖でそれを拭う。


「ちなみに前の奴はどうやってここを出たんだ? 」


「ああ、前の贄は抜け出ることなく、息絶えましたよ」

 ちょうどそこでね、と言いながらオーナーは男が座る隣の席を指さした。


「首吊りか? 」

 退屈しのぎに男はその与太話にのった。


「いえ、首を掻き毟って出血多量でね」


 男は半信半疑で隣の席にはじめて目線を持っていく。

 見ると革張りの背もたれにはシミが広がっている。それが血の痕に見えなくもなかった。男の頭の中は霧がかり、体中の毛穴から汗が噴き出す。デスクチェアにもたれていた背中を触ると湿っていた。

 オーナーの目の奥を覗いても答えは出ない。狼狽する男にオーナーはその視線から逃れるように瞼を細めて、冗談ですよと微笑んだ。

 男は驚かすんじゃねぇよ、と吠えて、そのあとは一言も発せず映画を見届ける。そして振り返ることなく映画館を抜け出て行った。


「また、いらしてくださいね。いつでもお待ちしておりますから」

 小さく手を振りながらオーナーは映写室から男の背中を見送った。



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 10年という長い月日が経ち、当時高校3年だった彼はもう28歳だ。普通に考えれば大学を卒業し、就職してから2-3年は経って会社にも慣れ始めてきている頃だ。

 その期間がまるきりない男は仕方なしに実家へ帰った。そして最寄り駅から2つ離れたショッピングモール内の書店でアルバイトを始めた。


 劇場内の地下売店ではジャンクフードなどが提供されるため餓死することは無いし、シャワー室もあるため衣食住にはさほど困らない。さらに男は劇場内の階段などを使って適度な運動も行っていたため、さほど体重増減はない。だが10年もたてば、容姿もある程度変わってくる。男が実家へ帰った時、最初、両親にすら「10年ぶりに息子が帰ってきた」ということを信じてもらえなかった。

 やっと納得してもらえたと思えば次は10年間失踪していた男が突然現れたことで取材が殺到し、それによって男のスケジュールはどんどんと圧迫され、バタバタと足音を立てながら男は慌ただしく時間の中を走っていった。はたと気づけばあの劇場を脱出してから、あっという間に3ヶ月がすぎていた。


 書店員の仕事にも慣れてきた頃、男は初めて本のPOP作成を頼まれた。紹介する作品を読んで、ターゲットに合わせて文章を作成し、そこにキャッチコピーを添える。慣れ始めてきた書店員の業務よりもこの作業の方が男には馴染んでいた。


 何故なら、既存の作品のPOPを作成する、つまり作品のプロモーションをするという行為は男があの劇場で幽閉されている間、毎日繰り返していたことだからだ。

 大ヒット作でも客席が満員にはならないと知った彼は1週間悩んで次はポルノ作品を上映することにした。その結果、サラリーマンや、近所の学生は集まったものの、客層を絞りすぎてこれも失敗。次は昔の名作選、その次はアクション特集、有名な監督ごとに作品をまとめたりと、様々なプロモーションを試みてきたが結局、客席が満員になることはなかった。

 それは男の力不足ということもあるが、そもそもこの映画館の知名度不足という点が強いようにも思われた。

 駅近くにあるのならまだしも、ガード奥でさらに雑居ビルの地下だ。それに地下階段はいつも薄暗いし、シアター・カニバルの看板のネオンライトは切れかけている。

 男はそのことをオーナーに訴えたが、オーナーは「簡単に抜けられたらつまらないでしょ」といつものように微笑みながらあしらうだけだった。


「上映が終わり、劇場が空になるまでに100枚売ればいいんです。簡単じゃないですか」


「よく言うよ」

 まだ高校生だった頃の会話がよみがえり、男はふと懐かしくなった。


 映画館自体のネガティブイメージをも背負って奔走してきた男のプロモーション力は確かなものだ。社会に出てもその力は存分に振るわれた。

 やっと報われた気がして、男は恨みしか感じていない日々をゆっくりと受け入れ始めた。


「この人の紹介わかりやすい」

「紹介文が面白くてつい手に取っちゃう」


 大勢の好評判が集まり、男は瞬く間に人気の書店員になった。その頃男が務める書店には彼のおすすめ作品が並ぶコーナーまで作られた。


 多くの太鼓判をもらう内に男は世間ズレという劣等感から解放される。まだアルバイトだが一人の社会人としての自信が男の中で芽生えた。そんな頃だった。


「正社員にならないか」


 店長からそう言い渡された男はその時、飛び上がる思いだった。店長の手を握って「はい」と頷くだけで立派な大人の一員になれるんだ。そう思うと、午後からの仕事も手がつかなくなる。

 これで世間から認められて大きな輪からはみ出さずにすむ。男はやっと普通への切符をつかみとれる直前まで来たが、なぜだかそれがすぐにできなかった。


「すみません。2-3日時間をください」

 その日のバイト終わり、男はバツが悪そうな笑顔を作って店長にそういうと、店長は驚くこともなく、無理に自分の意見を押しつけることもせず、

「急な話だし連休あげるからその間に考えてきなさい」

 そう言って男の肩に手を置いた。

 悩んだ末、結局、男は正社員になる道を諦めた。それは男の中に何処かから湧き上がってきたかもわからない野心があったからだった。


<cut3>


 決意から数年が経ち、男は今、大学にいた。

 大学生活を送る理由は失ってしまったモラトリアムを取り戻すためではない。男はいくつもバイトを掛け持ちし、資金を集めて大学の映像研究学部に入り、映画監督になろうとしていた。

 まずは信頼の置けるスタッフ、もとい仲間作りから始まった。あの日々の中で売り子をしていく内に勝手に身についたコミュニケーション能力が生き、男の周りには瞬く間に仲間が集まった。

 だができあがったコミュニティがすぐ機能し始めることはなかった。それを男は仲間との衝突やあるいは議論の中で学び、4年間という長い年月のなかで徐々に最適なメンバーが揃っていった。大学4年の春。男の元に残ってくれたメンバーは5人だった。


 一人目は大学当初からずっと男とつるんでいたカメラマン。

 二人目は神経質なディレクター。

 三人目は鼻につく言動がなにかと多いプロモーター。

 四人目はだらけ癖と女癖がひどい脚本家。

 最後の一人はいつも飄々としている主演女優。


 この和にいる時、男は躊躇いなく歯車の一部になることができる。だから遠慮なく本音も言えた。

 音響や衣装を真に任せられるスタッフも揃っていない。個々人の素行から考えればこのメンバーは最良ではない。だが男には最適だった。

 ちなみにこのメンバーは無類の映画好きで全員がシアター・カニバルの存在を知っていて、そのうち何人かは実際に訪れたこともあった。これも男にとっては好都合だった。


 大学4年の秋、周りの同期生はモラトリアムから醒めるようにほとんどが創作活動を行うことなく就活を始めた。だが世間から外れることに一度慣れてしまったせいか、それとも決意が相当堅いのか、誰が何を言おうとも男は諦めなかった。


「俺と来てほしい」

 まるで海外の転勤先へ彼女を誘うように男はメンバーに頭を下げた。いつもたまり場となっている空き教室の隣では質疑応答を練習する同期生の声が聞こえる。


「今がどんな時期だかわかってるし、どうしたいかは自由だ。でもついてきてほしい」

 どのメンバーも押し黙る中、教室には男の声だけが響く。

 ちらほらと内定先が決まるものが出始めた時期だった。メンバー内にはその時期だからこそ現れる亀裂が走っている。

 互いに目配せをするが、誰も口を開こうとしない。相反する強い気持ちがどのメンバーの心にもあってそれのせいで「はい」とも、「いいえ」とも口にできない。結局、深海のように重く、深く、そして暗い沈黙が其処にあっただけで議論は1mmも前に進まなかった。


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 卒業式が開けた二日後、男はシアター・カニバルの前にいた。男の目の奥は未だに煌めいている。男とは対照にチケットカウンター前にいる少年の目は濁りきっている。

 少年の目を見ていると、自殺者がいたという噂になんだか真実味を感じる。

 久々に見ても何一つ変わることがない。相変わらずネオンライトは切れかけているし、外観も寒々しいままだ。秋風がビルの間を抜けていき、亡霊のように呻きながら男の横を通り過ぎた。


 チケットカウンターに向かい、男はポケットから財布を取り出す。


「あ、お客さん? 」

 迎えた少年は夢遊病者のように虚ろな眼をしている。


「今日は何がやってんのかな? 」


「ああ、きょうは……何でしたっけね? 」

 渇いた笑いとともに少年の身体がカラカラと揺れる。薄い皮を伸ばして貼り付けただけのような指先が震えていて、テーブルを見るとどうやら男が最初の客のようだ。


「なぁ、ちゃんと食ってんのか? 」


「放っておいてくださいよ。僕はどうせここから一生出られないんだ」


「そんなことないだろ。努力をしてみたのか? 今は無駄だと思うことも後になれば貴重な経験になることだって―――」

 もうとっくに限界が来ていたんだろう。少年はその瞬間簡単に壊れた。

 俺だってやってきた。必死だった。今だってなんとかしようとは思っている。少年は哭きながら男に訴えた。その訴えを男はすべて聞き入れ、そしてある提案をした。


「その席を替わってくれ」と。


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【100枚のチケットを売り捌くまでこの館を出ることは断じて許されない】

 というルール。

 そして、

「劇場が空になるまでに100枚売ればいいんです」というオーナーの一言。男は長い幽閉生活の中であるカラクリに気がついた。


 つまり「なにも一回の上映だけで満席にする必要はない」ということだ。


 男の作戦はこうだ。

 まず、「どんな映画でも上映できる」という謳い文句を少ない常連客を通じて方々に徹底的に宣伝する。限定100組と売り込むことも重要だ。

 そうしてできあがった予約リストを使って一組ずつアポイントメント、または上映してほしい作品を聴いて上映予定を組む。

 後は予定に沿って映画を流し、絶え間なくそれを続ければ、この幽閉生活から抜け出すことができるというわけだ。

 順序立てて説明したが、つまるところ、劇場が空にならなければ、もっと言えばたえず一席でも席が埋まっていれば、何本上映しようともチケットの枚数はカウントされ続けるというわけだ。


 男は少年にそのことを教え、その日一本好きな映画を見て去った。少年はそれを早速実行に移す。だが達成するにはそれなりの時間がかかる。昔、男がそうだったように。


 男はその間広告塔となった。それはもちろん少年になんとか人並みの生活を送ってもらいたいためでもあったが、それ以上になにかしていないと不安で仕方がなかったからだ。


 結局、あの教室で何の答えも出なかった。あの日の光景を思い出すたびに男は裏切られた気持ちになり、堪らなく折れそうになる。

 それでも男は抱いた野望がたとえ「無謀だ」と否定され続けても、膝を折ることはなかった。それはあのメンバーで最高の作品が作りたいという夢に恋焦がれてきたからだ。


 少年がやっと悲願を達成するその日、男の気持ちは張り裂けそうなほど緊張しているわけでもなく、やさぐれているわけでもなかった。男は店長に頭を下げたあの日のことを思い出していた。


 初めて作成したPOPを店長に褒められた時、男の中にかすかに芽生えたのは自分は照らしているだけの存在であるという嫉妬と焦燥だった。それは男の中で日に日に膨らんでいく。

 男は悩んだ。

 このまま書店員として暮らしていけば、収入も安定する。そうすればその先で当時付き合っていた彼女と結婚できたかもしれない。そしたら今まで何にもしてあげられなかった両親に生まれた子供を見せることができたかもしれない。大切な人がいて守るべき子供がいて支えるべき親がいる。それはそれで尊い一生だ。

 分かっていた。憧れてもいた。だができなかった。

 あの日頭を下げた時、初めて作ったPOPを褒められた時、もっと言えばシアター・カニバルから去った夜にかすかに感じた嫉妬心。それが分岐点に差し掛かった時、男を導いてしまったのだ。


「来るといいですね、皆さん」

 すっかり生気を取り戻した少年。見るとなかなか精悍な顔立ちをしており、男は少年の横顔を見て、何となく安堵していた。


「だな」


「怖いですか? 」


「どう、かな……」


「僕は怖いですよ、これからが」

 初めてシアター・カニバルを抜け出した日の男の心と少年の心は今、重なっているのだろう。高揚感半分、心許なさ半分といったところだろうか。


 社会人を数年経験した後、大学に入って気づけば男は35歳になっていた。もういまさら再就職なんて絶望的だ。

 また書店員に戻ればいいかもしれないが、もう今まで通りはいかない。きっと今戻れば男は理想の姿と現実とのギャップを激しく感じ、絶えず悩み続けることになるだろう。考えれば考えるほどチャンスは今しかないように思える。


「だめだわ。やっぱ俺も怖い」

 男はそう言って笑おうとしたが、ふいに涙がこぼれる。最後の組、5人分のチケットが少年の手には握られている。上映するのは卒業制作にとメンバーで撮った出来の悪いホラー映画。


「あれ、なんか―――話し声しません? 」


 男は涙をぬぐって鼻をすすって目を凝らす。納得できないラストを、これからを覆し続ける為に。


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