3日のこと。
@hitohitohito
第1話
私たちが、初めてその家の空気に触れたのは2年前の夏。
二人で住めるなら…ってこと、できれば煩わしいご近所付き合いの少ないところ…って言ったのに
「シェアハウスはいかがですか?」と、一点の曇りもない笑顔で聞かれた時は、二人とも「この人大丈夫なの?」と疑った。いや、疑ったを通り越して、呆れた。
「あの……シェアハウスって?」
「一軒のお宅を数名でシェアすることですよ?ご存知ありませんか?」
いやいやいやいや………ご存知ありませんかも何も、それは条件にないでしょ、聞いたのは「シェアハウスの意味ではなくて、何故にシェアハウスを提案する?」という嫌みにも似た感情だし。
「見に行こうよ。」
興味本位のミカの一言で、私たちは営業車に乗せられて、所謂、高級住宅街に連れてこられた。
最近流行りの家はない。
昔から、丁寧に使われてきたことが伝わるお宅ばかり。
煉瓦も庭も屋根や壁の色も風合いも、あたたかくて、人の暮らしぶりが伝わってきた。
ここには、携帯もパソコンも…何も必要ないんだろうな、と。新聞やラジオから流れる情報と音楽。生活の音。あとは、自然の音たち。
一軒の前に車を停めると、運転席からくるりと顔を向けて、これまた満面の笑みで
「着きました。シェアハウスと言っても、今はご婦人がお一人で住まわれています。
シェアハウス計画は、その……大屋さんになるであろうご婦人と私で進めている計画なんです。」と、自信があるんだかなんだかわからないけど、とにかく彼のワクワクが伝わってくる話しぶりだった。
そして、それ以上に、ミカの瞳はキラキラしてた。
「あー、こりゃダメだ。好奇心スイッチ入りまくってる。」
私だけは冷静に、客観的でいなくっちゃ。気持ちを引き締めて車から降りる。
アスファルトから照り返してくる熱と目の前の緑の涼やかさがあまりにもアンバランスで、不思議な感覚に襲われた。
他のお宅に比べると、敷地は広いようだけど、手入れが不十分な印象があって、ご婦人の一人暮らしが伝わってきた。
不動産屋さん……後にシュウさんと呼ぶことになるんだけど、大矢修さんは、慣れた手つきで錆びた鉄門を開けると、能天気な大声で「こんにちはー!大矢です。」と呼んだ。
「大家さんのことを大矢さんが大家さーんって呼ぶのね。」ミカが呟く。
現れたミチさんは、きれいに整えた白髪の上品なご婦人だった。
かなり年齢は重ねているだろうけど、背筋をピンと伸ばし、柔らかな笑顔で出迎えてくれた。
凛としているけど、それはご自身の中にあるものであって、その分、表出しているものは、しなやかで柔らかかった。
自分の祖父母と同じか…もしかしたら、上かもしれないのに、そんな事は感じなかった。
慣れた手つきで美味しいハーブティーと手作りのスコーンを出してくれた。
うちの祖父母は、スコーンなんて知ってるのかなぁ…なんて思いながら、焼きたてののスコーンを頬張った。美味しい。
「………してらっしゃるの?」
「え?」ぼーっとしすぎた。
「そうなんです。彼女は、ミサは美大を卒業してから、ポスターとかのアルバイトして、好きな絵を描いてます。」
「ミカさんは?」
「私は、インテリアデザイナーの専門学校に通いながら、居酒屋でアルバイトしてます。そこによく一人で飲みに来てて仲良くなったんですー。
居酒屋なんて、インテリアと関係なさそうでしょ?それがあるんですよ。いかに、リラックスしてもらうかとか…あとね、導線って言ってね………」
何も聞かれてないのに、ミカは喋った。とにかく喋った。
それを、大家さんと、大矢さんは「ふーん。」とか「へえー。」って、初めての物語を聞く子どもみたいな顔で聞いてた。
私は、その光景があんまりにも居心地が良くて、夢の中にいるような気持ちになった。
普段、情報に取り囲まれているわたしたちにとって、何もないところで、他愛もない話をする時間は、とても贅沢で豊かなものだった。
私とミカが出会ったのは、3年前。
仕事が…と言ってもバイトだけど、うまくいかなくてむしゃくしゃして寄った小さな居酒屋。
そこにミカがいた。
一目会った瞬間に、好きだ、って思った。
自分が同性愛者だってことにそのとき気づいた。
いや、気づいていたのは、もういつか忘れたくらい昔のこと。でも、避けてた。逃げてた。
そこにミカが現れた。
完全に白旗だった。
ミカは、恋愛なんて、相手が男でも女でもいいと思ってる。と笑って手を繋ぐ。
性の前に心があるんだそうだ。
性別だの年齢だのに邪魔されるのはもったいない、と言う。
人を愛せるって、素敵なことだと思わない?
そういう感情から逃げてきた私には、受け入れがたい言葉だったけど…涙が止まらなかった。それを、まるで大事なものを紡ぐようにして、柔らかなハンカチで集めてポケットにしまいこんだミカ。
ミカが笑ってる、喋ってる、その姿を見てたら、この時が止まらないで欲しいと思った。
ミカが幸せならいいと思った。
私の気持ちなんかどうでもいい。
犠牲にしてもいい。
ミカためなら、いくらでも我慢する。
でも、ミカは「それじゃあ私は幸せじゃない」と言う。
二人で幸せになるということは、依存して、どちらかが我慢することではないのだ、という。
お互いが一人でも幸せでいられるから、二人になったときに、もっともっと幸せになれるんだ、と。
そんな巡り合わせある?と、聞いたら「だから、世界中に沢山の人がいるんだよ。幸せは幸せを呼ぶんだから!!」と。
ミカによって、私は育ててもらっている。
自分の幸せを決めるのは自分。
まだ、ミカのために、とは思っているけど、幸せじゃなきゃ支えられないことに気づかせてもらった。
3人のおしゃべりを聞いていたはずなのに、また、一人で考え込んでいた。
すると、それまで、ニコニコと話を聞いていただけの大屋さんのミチさんが立ち上がって叫んだ!
「ミカさん、ミサさん、私はミチ。これって運命じゃない?
ミが3つよ!!!!どう思う?しかも、今日は3日!大矢さんっ!!!」
8月3日。
そんな夏の日、私たちは、ここへ住むことを決めた。
ここは、本当は、ミチさんの息子さんたちがマンションにするか、土地を売ろうとしていたお家。
お袋も歳なんだし……
手入れも金がかかるし……
まぁ、テレビなんかでよく見る光景。
最初は、大矢さんも売買の関係で関わったらしいけど、ミチさんの話を聞くうちに、ミチさんの想いを優先させたくなってしまったらしい。
ミチさんの旦那さんとの想い出がたくさんつまったこの家を守りたい。
この家を守ることで、最後に、子ども達に伝えたいことがある、って。
不動産屋としてはダメだけど、人間としては良いことしたじゃん、と慰めると、キミたちに誉められてもなぁと力なく笑う。
でも、本当は満足してるんだと思う。
大矢さんは、早く終わった日、近くまで来た日、休みの日は、ほとんどここで家の修繕をしていた。
ミチさんの手料理を食べ、時には泊まることもあった。
独身なのかと思ったら、一応奥さんはいるらしい。でも、そこに、彼の居場所はなくて、子どもの私立の入学のためだけ……名義貸しだよ、と悲しく笑ってた。
お受験終了後に提出する離婚届や、保険なんかの書類もしっかり準備してあるらしい。
受験まで、あと2年もあるのに。
「お受験は生まれた時から始まってるんだぞ!」とちょっぴり知ったかぶりをする大矢さんがかわいい。
ミチさんの子ども達は、有名私立校に進んだらしいけど「学校に入って、終わっちゃったのね。何を学ぶか、が目標なのに、いつの間にか、どこに入るか、にすりかわってたみたい。」と悲しげに言っていた。
大矢さんは「俺はね、難しい式を解く前に、目の前に落ちてるハンカチを拾える子になって欲しかったんだよね。でも、仕事に夢中になってたら、汚いから触らないって。触っちゃいけないってさ。」と呟く。
大矢さんの奥さんも、ここに遊びに来て、ミチさんの話を聞いたらいいのになぁ、と思ったんだけど。
ミカに止められた。
それぞれが選んだ道だよ。と。
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