第91話 放課後の練習
「黒塚っち、おはよう」
登校中に校門でばったりと出くわしたのは黒川だ。
こんな時間に会うなんて珍しい。いつもは朝練だと思っていたけれど。
そんなことをまだ緑の葉っぱが生い茂る銀杏並木を歩いて昇降口へと向かいながら聞いてみたところ。
「もうクラブは引退したよ?」
と、そんな答えが返ってきた。
「そうなんだ」
「文化祭でクラブからの出店があるから顔は出すけどね」
そういうものなんだ。まぁ僕は帰宅部だから関係ないけれど。
「あ、そういえば今日って水曜日だね」
靴を履き替えて教室へと向かっていると、今度は黒川がふと思い出したように曜日を確認していた。
「そうだけど」
水曜日って何かあったっけ?
両腕を組んで思い出そうとしていると、間髪入れずに黒川がこちらを向いてニッと笑う。
「音楽室で合唱の練習じゃん。黒塚っちの伴奏楽しみにしてるよ」
「あー、そういうことね」
うーん。まぁ楽しみにしてくれているんならそれはそれでいいか。
校歌の伴奏はそれほど難しくないから、楽譜を見ながらでもなんとか弾ける。
課題曲のほうはもともと弾ける曲なのだ。メロディーが歌声になるので、伴奏に徹した譜面にアレンジしてあるけれど。
あとは間違えないように反復練習と……、欲を出せば間奏を伸ばしてピアノソロを入れるかどうかかなぁ。
そんなことを考えながら教室に入ると、黒川とはそれぞれの席へと別れた。
「あ……、あの!」
すでに時間は昼休み。僕はいつものように早霧と二人で購買部へと向かい、お昼ご飯という戦利品を手に教室へ戻るところだった。
声を掛けてきたのは知らない女子生徒だ。ジャージは学年で色が分かれているのですぐに判別がつくけれど、制服は学年共通なので何年生なのかもわからない。
「はい?」
僕は早霧と顔を見合わせつつも、女の子に向き直る。早霧も軽く首を横に振っていたので知らない子なんだろう。
僕とそうそう変わらない身長をした、大人しそうなボブカットで眼鏡をかけた子だ。
後ろにも二人、似たような身長の女子生徒がいるけれど、そのうちの一人が「……知ってる人?」と眼鏡の子に耳打ちしている。
「もしかして……、雑誌に出てる、
恐る恐るこちらを窺うように、一言ずつ区切って出てきた言葉は僕に向けられている。
……えーっと、その名前は……、って、ええっ!!?
まさか学校で知らない人から、モデルの名前で声を掛けられるとは予想していなかった。
驚いて思わず隣の早霧に顔を向けると、面白そうにニヤニヤした表情に変わっている。というか肘で僕をつつかなくてもいいから!
「あー、はい、そうですけど……」
僕は女子生徒に向き直って観念して認めると、彼女は目を見開いて両手を口元に当てる。
「う、うわっ! すごい! ほ、本物だ!」
そして耳打ちをしていた子とは違う女子生徒と手を取り合って、二人一緒になってはしゃぎだした。
「えーっと……?」
いやなんだかもうすごい恥ずかしいんですけど!? 急激に顔が熱を帯びてくる。
幸いにして人通りの少ない廊下だからよかったものの、これが購買部の中とかだったらと想像すると恐ろしい。
「あの……、いつも雑誌見てます! がんばってください!」
「応援してます!」
女子生徒の二人は僕にそう告げると、早足にきゃあきゃあ言いながら去って行った。
もう一人いた子も僕に軽く会釈だけして二人を追いかけていく。
「ぷっ……、くはははは!」
そんな様子を見ていた早霧が腹を抱えて笑っている。
冷めやらない顔を早霧に向けると、僕は何も言わずに教室へと歩き出した。
何がそんなにおかしいのさ。
雑誌が発売されてからしばらく何もなかったので安心しきっていたけれど、昨日菜緒ちゃんに言われた通りのことがもう起こってしまった。
まぁあれから無事に放課後になったし、こうして音楽室に来るまでにも何もなかったけれど。
「じゃあ最初は校歌から。……黒塚くん大丈夫?」
僕は音楽室のグランドピアノに座り、声を掛けてきた文化祭実行委員の
クラブからの出し物がある一部の生徒を除いて、ほとんどの生徒が音楽室に集まっていた。
音楽室が使えない普段は、校歌の伴奏曲を入れた誰かのスマホで再生して合唱の練習をしていた。
課題曲も僕が動画サイトから見つけたデータをスマホに入れて流していたのだ。だから僕の伴奏で歌うのがこれが初めてになるかな。
「じゃあいきます」
校歌はできるだけみんなが練習していた曲と同じように弾いていく。
前奏からはじまり、僕の伴奏にみんなの声が乗ってくる。
校歌は変なアレンジとかはするつもりは今のところはないので、問題なく最後までピアノの伴奏は弾くことができた。
校歌もみんな歌詞を覚えてきたほうだろうか。大きく詰まるようなところなく、歌いきれたように思う。
……僕はあんまり歌詞は覚えていないけれど。
「黒塚やるじゃねぇか!」
「上手だねぇ、黒塚くん」
「カッコいいじゃない」
みんな概ね不満はないようで、僕はちょっと安心した。
だけど問題は課題曲かな。
「じゃあ次は課題曲だけど……、黒塚くん大丈夫?」
またもや同じことを聞いてくる桜夜さん。だけど今度は表情に不安が出ているのか、眉が中央に寄っている。
渡した動画サイトの音楽は、校歌の伴奏より難易度が高いというのは、音楽をよく知らない人が聴いてもわかると思う。
桜夜さんもおそらくそれを心配しているんだと思うけれど。
「僕は大丈夫だけれど……」
けれど僕の心配はそこじゃなかったりする。動画サイトの音楽は、ピアノソロではないのだ。
動画サイトの音楽を聴いて歌っている皆は、僕のピアノソロでいきなり歌えるのかな。
「……わかったわ。とりあえず、やってみましょう」
「うん」
やってみなくちゃわからないよね。ダメだったら自分の演奏を録音しよう。
そして僕は課題曲の演奏を始めた。
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