第48話

「始め!」


 香織の言葉と同時に、晶は身体全体を使って踏み込み、鋭い突きを放つ。


 一瞬にして槍先が自らの喉元に迫ってきた隆輝は、慌ててそれをかわすが、晶は間髪入れずに槍を繰り出していく。


 初手を奪われ完全に防戦一方になった隆輝は、晶の攻撃を必死に捌きつつ、晶の隙を伺おうとするが、体格で劣るにも関わらず晶はその槍を自由自在に操り、文字通り付け入る隙を与える事はなかった。


 予想以上の圧力の前に、隆輝は後退するしかなかったが、晶は容赦する事もなく槍を振り下ろしていく。

 その一撃を隆輝は竹刀で受けるが、その衝撃は凄まじく、思わず竹刀を落としそうになる程であった。


 まともに受けるのは危険と判断した隆輝は、時間と共に槍の動きに対し目が慣れてきた事もあり、槍の軌道を読んで身体ごと避けながら、あるタイミングを計る。


 その場にいる誰もが、このままでは間違いなく隆輝が負けると思っていたが、その隆輝は、晶の槍先が自身に向かって伸びてきているにも関わらず、意を決して一気に踏み込むと、槍先を寸でのところでかわし、晶との距離を一気に詰めた。


 晶は一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐに冷静さを取り戻し、そうはさせじと槍を振り回すと、柄の部分を隆輝に向けて叩き込む。


 かろうじて隆輝はそれを竹刀で受け止めると、そのまま槍の戻りと同時に竹刀で槍を押し込み晶に最接近する。


 隆輝に押し込まれながら、晶は逆に押し返そうとするが、やはり体格差もある事から、晶も力では敵わないと判断し、体捌きを使い隆輝の力を分散させようとするが、隆輝もそれに流される事なく力を抜いて上手く体勢を維持した。


 そんな中、不意に2人の視線が合うと、晶は厳しい表情で隆輝を見る。


「どれだけ人を馬鹿にすれば、気が済むんですか?」


「えっ?」


 隆輝は晶の言葉の意味が分からずにいたが、気にしている余裕など無く、晶の槍に集中する。


 つばぜり合いのような体勢はしばらく続いたが、やがて晶はその距離を嫌い、この試合で初めて自ら後退し隆輝との距離をとった。


 2人は間合いを保ちながら静かに息を整え集中するが、そこで隆輝は構えを中段から上段に移行する。


 今までの構えよりも明らかに隙が多いその構えに、晶は隆輝に挑発されていると感じ、槍を持つ手に力が入る。

 そして距離を詰めようと一歩を踏み出すが、次の瞬間に隆輝から発せられた掛け声に、晶は出した足を思わず引いてしまう。


 隆輝の掛け声は場内はおろか剣道場の外まで響き、剣道場の観衆を更に増やす事となった。

 またその気合も晶の動きを止めるのには十分で、隆輝は上段に構えたまま動かず晶を見つめる。


 一方の晶は自分が隆輝の気合に飲まれている事を気付きながら、それを認めたくない気持ちが強く、槍を振り上げると一気に駆け出し間合いを詰める。

 そして渾身の力で隆輝目掛けて槍を振り下ろすが、隆輝はそれに合わせ、槍が身体に当たる寸前で半身をずらしながら横移動すると、晶は力を抑える事が出来ず、槍先は床を叩いた。


 すぐに隆輝は槍目掛け竹刀を振り下ろすと、槍は晶の手から離れ床に落ち、その音が場内に響き渡る。

 隆輝はそのまま流れる様に、呆然とする晶に対し間髪いれず踏み込むと、晶の頭目掛け竹刀を振り下ろした。


「めえええええんっ!」


 思わず晶は目を閉じて身を屈めるが、予想された痛みや衝撃は感じず、恐る恐る目を開けると、隆輝の竹刀は額から3センチ程度の位置で止まっていた。


「勝負あり!」


 香織が声と共に白旗を上げると、剣道場の周りから拍手が巻き起こった。


 隆輝は竹刀を左手に持ち替えると開始線に戻るが、晶は立ち尽くしたまま動こうとせず、隆輝と香織は思わず顔を見合わせる。


「桂木、礼だ」


 その言葉にビクリと反応した晶はゆっくりと開始線にやってくるが、その表情は悔しさに満ちており、唇を噛みしめ目からは涙が溢れており、それを見た隆輝や香織は驚き、場内の空気も途端に重くなる。


「れ、礼!」


「ありがとうございました」


 その後も晶は立ち尽くしたままで、隆輝も流石に声を掛けるのを躊躇うが、観衆の中にいたアイリが晶に近寄り肩を抱くと、成美の付き添いもあり、そのまま更衣室へと消えていった。


 その間、隆輝には、観衆からひそひそと自分を責める小さな声がいくつか聞えてくるが、流石に反論する気にはなれなかった。


「試合に勝って、勝負に負けるとはこういう事なのかしらね」


 香織の言葉に、隆輝は何も言えず苦笑した。


「しかし、今日頭に血が上ったのは、飛沢ではなくて桂木だったか」


「俺は、そんなに怒らせるような事をしたんですかね」


 隆輝のその言葉に、香織は晶が怒っていた理由を隆輝自身が理解していない事にに気付き、一瞬呆れたような表情を見せるが、すぐに笑みをこぼす。


「まあ、桂木の場合は、ある意味慢心からと言っていいから、これは良い薬になるかも知れないわね」


「どういう事です?」


「その内分かるわよ」


 香織はそう言うと、隆輝の肩をポンと叩いて、更衣室に入っていき、残された隆輝は釈然としないまま、しばらくその場で立ち尽くしていた。

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