柔の真髄
なのに。
当の紗姫ひめさまは、やたらと不満そうな顔で口を引き結び、こっちを睨んできた。珍しく、軽口も叩かず。
その様子に正信は、眉をひそめる。
「ど、どうしたんだよ、お前? ホントのこと言われて、言葉も出ないとか……?」
「っさいっ!」
パン、という音と、衝撃。そして遅れてやってくる、痛み。しばらく気づかなかった。
頬を、張られたことに。
「アンタなんて、めっちゃくちゃにみんなにやられて死んじゃえばいいんだから! てか死んじゃえっ!!」
喚き、トレードマークの青い長髪をひるがえし、紗姫は去っていった。それを正信は呆然と見送る。張られた頬に手をやる。そこは熱を、持っていた。
後ろから土井が言った。
「どーかしたのか、紗姫のやつ?」
島本くんも続く。
「なんか、ぼくの見間違いかもしれないけど……」
池田が断言した。
「おぉ……ジゴロだな、正信。紗姫ひめ、泣いてたぞ?」
やっぱ見間違いじゃ、なかったのか……
正信は、ただ紗姫が去った背中をずっと目で追いかけていた。
一回戦第一試合。
『仁摩在昂選手、壇上へ』
アナウンスと同時に、会場中の観客が、弾けた。
「うお――――――――っ!!」
それはまさに大歓声と呼ぶに相応しい大絶叫だった。
「俺は、お前見にきてんだ――――っ!」「見せろ残虐ファイト――――っ!」「中途半端なんてしやがったら、金返しやがれ――――っ!」
それを聞いて、正信は頬を引きつらせた。
「なんちゅう声援……っていうか、野次だ……」
仁摩はすっかり隅ノ木学園内での有名人になっていた。それも、男中心の。あの野性味溢れまくる戦い方は、最近の欲求不満気味の草食系男子のハートを揺さぶるものがあるのだろう。
『続いて対戦相手の森繁(もり しげる)選手、壇上へ』
次のアナウンスと同時に、今度は野太い声援が飛んだ。
「押忍っ、森先輩ファイトです!」「相手はちっこい優男、楽勝であります!」「どうか安芸谷の仇を、お願いします!」
正信の視線が、そちらへ向かう。森繁。格闘武道部十本の指に入る部の、部長をしている。名前が漢字二文字という、硬派な男だ。四角顔と体が、昭和初期の日本男児を思わせる。
『……ところで今さらなんですけど、なんで今回は設楽先生解説兼審判しないんですか?』
『いやお前、ここで俺に話し振るなよ。いいじゃないかよ、放送部の部長さんに日の当たる仕事割り振ったんだからよ。それで満足しとけ』
『あ、わかった。単に面倒なんでしょ。トーナメントだから、何試合もあるし』
『あーあーもーうるせーな。だから女は苦手だ……って、お前これマイク入ってねーか?』
『へ……ふわ!? 入ってます入ってますすっごい入ってます!』
『落ち着け宇田川円(うたがわ まどか)二年身長157センチ体重51キロスリーサイズ上から77、60、79彼氏いない歴4年好きなタイプは妻夫木くんファン歴10年、そういう慌てっぷりもいいアピールと考えるんだ』
『ってあんた今いったいどんだけ生徒のプライベート情報漏らしてんだ!? いくら教師といえども許せる範囲と許されざる領域がありますよっ!』
『ちょっと待て。今暴れると、放送事故に……』
ビー、ガガガというノイズを残して、放送が切れた。みな、しばらく音がしなくなったスピーカーを見上げていたが、待てど暮らせど何の変化もないことを確認して、壇上に視線を降ろした。
呼び出された仁摩と森が、じっと互いの間にいる人間を見つめていた。そこには今や全生徒と外から来た観客含めここにいるすべての人間の視線を一手に集めた、放送部副部長の有馬徹平(ありま てっぺい)二年背が低いこと意外特筆すべきとこもなしくんが所在なさげに立ち尽くしていた。
みなの期待と意図を感じ、
「えー…………は、始め」
みなが脱力する。なんとも締まらない始まりだった。
『――――』
しかし、壇上の二人は違った。相手だけを見つめ、一間(3メートル)の間合いをとり、構える。
奇しくもそれは、同じ構え。両手を前に掴みかかることを狙った、それは柔道の構えだった。
双方間合いを詰め、互いの制服と柔道着を、掴む。
「……面白い」
呟き、森は相好を崩した。仁摩も口元を吊り上げる。
獣が二匹、檻の中で愉しげに、笑っていた。
くん、と一回り小さい仁摩の体が引き込まれ、揺さぶられ、そのまま足を引っかけられ、払い腰によって天高く、舞い上げられた。
「柔の真髄……受けてみるがいい」
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