殴り合い

「ごっ……?」

 まともにアゴに入ったその全身を振り回して放ったパンチに、戸賀峰の意識が一瞬途絶えた。そこにもう一発、スウィンスパンチが炸裂。戸賀峰は後ろに吹っ飛ぶ。間合いを詰める仁摩。その間に戸賀峰はなんとか意識を取り戻すが、平衡感覚が狂ってしまっていた。足に、歯に、力が入らない。ほぼ本能的に経験則により、戸賀峰はガードを固めた。

 その上に、強烈なスウィングパンチが打ち下ろされた。

 ガードの上からでも、大きく揺さぶられる。物凄い大振りだが、今の戸賀峰にはそれを避ける術はなかった。もう一発くる気配。しっかりとガードの腕に力を込める。

 足に、衝撃がきた。

「な」

 経験の無い痛みに――反射的にガードを、下ろしていた。

 一秒で、三発のスウィングパンチがピンボールのように戸賀峰の頭を左右に振った。さらに追撃を加えようと仁摩は踏み込み、

「やめっ! やめろ仁摩!」

 後ろから、設楽が羽交い絞めにして追撃を止めていた。T.K.Oだ。仁摩の、勝ちだった。そのまま戸賀峰は、ロープに背を預け、ずるずると崩れ落ちた。完全に、落ちていた。

「あ、足を殴って……」「そ、それにその前に、ブレイクの時に、手を……」セコンドについていたボクシング部の連中が、弱々しく抗議をあげた。

 それを仁摩は冷めた瞳で見下ろし、

「――殴り合いなんだろう? おれが聞いたのは、それだけだ。ブレイクだとか、足に攻撃してはいけないだののボクシングのルールは聞いていないな」

 その言葉に、ボクシング部の連中は絶句する。縋るように審判の設楽を仰ぎ見るが、

「ま、その通りだな。今のは油断した斗賀峰の方に非があるだろうな。認めろ。これが、交流戦。他流試合というものだ」

 今度の試合には、前回のような喝采はなかった。ただみんな、黙ってそれを見つめていた。息を、呑んでいた。

「……まるで、野獣だ」

 誰かのその呟きを、正信は聞いたような気がした。

 そして遠くで、その青髪の姫君は歯噛みしていた。ギリ、と。


 帰りのホームルームが終わり、仁摩が席から立ち上がった。

「…………」

 とたん、教室に重苦しい沈黙が張り詰めた。みな、仁摩の一挙手一投足を見守っている。交流戦を見に来ていたのは、うちのクラスと対戦相手のクラスと、お祭り好きの1~3年の選りすぐりの生徒たちといった感じだった。だから皆、仁摩の戦いを見ていた。

 だからこそその姿に、畏怖を感じていた。

 僅か、一週間だ。その短い期間に仁摩は、弓道部副部長、柔道部エース、弓道部部長、ボクシング部副部長を次々と連覇してしまった。それも最後のボクシング副部長の斗賀峰卓司に勝った時など、相手が失神するまで徹底的にめった打ちにしていた。確かに隅ノ木学園ではああいう交流戦は認められてはいるが、それほどめったにある事ではなく、だいたい月に一度も行われれば多いくらいなのだ。それが、僅か一週間に二度、それも一度は圧倒的な暴力的勝利。だいたいがストップや戦意喪失で終わることが多いそれが、あそこまでの完全K.Oなど、ほとんど見ることは無かった。

 その獣性に、みなの気持ちは、引いていた。

「…………」

 それに前の席の正信も、黙って続く。鞄を掴み、同じように前方の扉から教室を出て行った。その後、教室にざわめきが起こる。

「……ふー、緊張したァ」「なんでだよ。なんでお前が緊張すんだよ」「でも……その気持ちもわかる気がするな」「うんうん、雰囲気、あるもんね」「でも普段はそうでもなくない?」「確かにね……でも、あんなの見たあとじゃ」「だけど、ちょっと……カッコいいよな」「ちょっとっていうか、すげぇカッコよくね?」「男なら憧れるよな、完全勝利」「あら、女子だって少しは憧れるわよ」「やっぱし、あんな風に試合で勝つと……カッコよかったかも」「少ししたら俺、話しかけてみようかな……」「あ、ズルい。私も」

 その声を、正信は廊下で聞きながら歩いていた。みんな、声でかい。これじゃあ全部とは言わずとも、仁摩にも聞こえているかもしれない。

「…………」

 正信は、階段の踊り場で立ち止まった。そしてしばらく考え、屋上に向かった。

 屋上には、誰もいなかった。普段もそれほど人が来る場所なわけじゃない。せいぜい昼休みにご飯を食べにきたり、カップルでいちゃつきにくるくらい。放課後のこの時間にわざわざ来ている自分は、よほどな暇人な気がしてしまう。

 そして眼下のグラウンドを視界に入れ、たそがれる。

「どうした?」

 後ろから、声がかかった。

 振り返る必要も無かった。

「帰ったんじゃなかったのか、仁摩」

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