ボクシング

 そして朝のホームルーム前、くるべきものが、きた。

「ボクシング部副部長、斗賀峰卓治(とがみね たくじ)だ」

 キタ――

 その言葉がかけられたとたん、仁摩は思わず笑みを浮かべていた。正信も、その言葉を枝穂ちゃんへと向けていた視線をそちらへと変えて、聞いていた。

 ボクシング部。

 武道系、格闘系の部が多く在籍する隈乃木学園において最大手の一つだ。部員数は50名にも達する。格闘技としての実戦性も非常に高く、特にパンチの技術に関しては他の追随を許さない。近接戦においては最も強みを発揮する格闘技だ。

 周囲がザワつき出す。

「おいおい……ついにボクシング部の登場かよ?」「なにしろ格闘系のエース、部長を、連覇だからな……」「こりゃあ、本物か?」「部長殿は、さすがに温存か」

 いつの間にか前の席に陣取っていた土井が耳打ちしてくる。

「いよいよ、ボクシング部かぁ」

 島本くんまで左の席に来ていた。先生が来る前なのをいいことに、板チョコ頬張ってる。

「なかなか燃える展開ではあるな。女の子分が少ないのが気になるところではあるけどな」

 池田まで、後ろの席から声をかけてきた。大丈夫だ、女の子分なら枝穂ちゃん一人で千人分は……て、アレ? オレの後ろの席って、仁摩の席じゃないっけ?

「席にはつかないのか?」

 斗賀峰と名乗った長髪を後ろで括った男は、怪訝そうに声をかけた。仁摩は前方の戸口の前で、停止したままだ。自分の席に池田が座っている現状を見て、動けないで居るといったところだろうか。

「……いや、ここでいい。用件はなんだ?」

「妙なヤツだな、入ってくるやつが邪魔だろうに……」実際あとから入ってくる生徒たちは、二人を避けながら窮屈そうにしていた。

「まぁ、いいだろう。早速だが――勝負、願いたい」

 そこでようやく仁摩は定番のニヤリ、といった獣じみた笑いを浮かべられた。

「お前には、期待していいんだろうな?」

 それに斗賀峰はスポーツマンらしく爽やかに微笑み、応える。

「僕は、強いよ」

「はー、ああいうこと自分で言えるかね?」

 そのやり取りを見て、土井が言った。

「ねー、カッコいいよねー」

 島本くんも答える。板チョコは食べつくされ、今度はベビースターラーメンに取り掛かっていた。

「さて、次は対拳闘か。あいつ、色々出来るけどルールは……」

 池田が池田らしくバトル考察を始めたところで、斗賀峰が言った。

「ルールは、純粋な殴り合いを申し込む」

「なっ?」

 正信は思わず声をあげていた。しかしその危惧を省みずに仁摩はすぐさま、

「いいだろう」

「ばっ……」

 正信は、再び思わず声をあげていた。相手の狙いは、わかりすぎるぐらいわかる。ルールをパンチだけに絞ることで、相手のタックル、絞め技、キックを封じ、自分の土俵に持ち込むことにあるのだ。そういえば、あいつの突きはあまり見ていない。

 それほど自信があるのか?

 だが、それにしても相手はボクシング部の副部長なんだぞ?

「というわけで、頼むぞ設楽」

「担任教師を呼び捨てするな」

 絶妙なタイミングで入ってきた担任教師設楽尚吾に向かって呼び捨てた仁摩を、叱る目的で設楽が拳骨にいったところ、仁摩はそれをうまく躱していた。見慣れた光景だった。

 そして再び正信は、視線を枝穂ちゃんに向ける。意外なことに彼女の視線は手元の本から、騒ぎの中心の二人に向いていた。

 そして、再び体育館。喧騒は前回と同じゆえ、以下略。

「仁摩在昂、戸賀峰卓司、前に出ろ」

 仁摩と戸賀峰が、呼ばれ壇上に上がる。そして設楽は前回同様マイクを片手に、説明を始める。

「ルールは、突きのみ。まぁ、俗に言うパンチだな。掴んじゃダメ投げちゃダメ蹴っちゃダメ、だ。倒れてからの攻撃もなしだったか? まぁどうでもいいや、武器無しだから間合いもどっちでもいいし」

「……なんかお前、今日は手抜きじゃないか?」

 仁摩が珍しくツッコむ。それに設楽はボサボサの頭をガシガシとかきながら、

「ったり前だっての。面倒なことに駆り出しやがって、どんだけ戦闘続いてんだこの小説? そりゃ一回くらいはこんな感じになりもするっつの」

「……何の話だ?」

 頭の上に疑問符を浮かべていると、戸賀峰がそれに答える。

「まぁ、いいだろ? 大人には大人の事情ってものがあるんだよ」

「?」

 ますます頭の上に疑問符を浮かべる仁摩。だが今度はそれに答える者はいなかった。しかたなく、開始線まで離れる。

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