内股

 正信の考えを、左隣に立っていた生徒が口にする。しかも時間は、ほぼ開始と同時だった。仁摩はあれで、柔道の心得もあるのだろうか? 形としては、レスリングなどのタックルのような……

「朽ち木倒し、か」

 今度は正信の右隣から、疑問の答えが降ってきた。野太い声。顔を回し視線を向けると、そこには体育教師の大谷並みに四角い男が腕を組んでいた。

 二年生にして柔道部エースの、小西安芸谷(こにし あきや)だ。

「ふん。茂男め、恥をさらしやがって。立てオラ」

 安芸谷に手を引かれ、仁摩に倒されていた対戦相手は立ち上がった。肩を落とし、落ち込んでいる。そこに、

「歯ァ喰いしばれや!」

 パンッ、と安芸谷の重いビンタが炸裂した。顔が吹っ飛び、もんどりうって茂男と呼ばれた男は再び尻餅をついた。それを見届けてから安芸谷は仁摩の方を振り返り、

「なかなか玄人好みの技を使う男だな。貴様が例の、転入生か?」

 ぶしつけな男の言葉にも、仁摩は動揺の翳りも見せなかった。

「どういう意味で例のといっているかは知らんが、おれが転入生なのは事実だ」

 にちゃり、と安芸谷は仁摩の肯定に、粘着質な笑みを浮かべた。

「ぐふふ……そうか、やはり貴様が仁摩在昂か。聞いているぞ、噂をな。ホームルームで、挑戦はいつでも受けるといったそうだな」

「言った」

 仁摩の反応が早い。この展開は、まさか……

「では、俺が挑戦しよう。このまま柔道部が舐められては困るんでな。いいだろう?」

「いいぞ。今ここで、やるか」

 ピン、と二人の間の空気が変わる。

『――――!』

 それに周りの生徒たちが、緊張感に包まれる。二人の体が、ゆらりと揺れる。二人はあのいくつかのやり取りだけで、臨戦態勢に入ってしまっていた。間合いを計り、仕掛けを狙っている。

 ――無茶苦茶だ。

 正信は呻いた。いきなり転校初日に、なんの前情報もなしにこんな体格のいい男とやるなんて、こいつは本当に……

「――だが」

 フッ、と間合いの外にいることを確認し、安芸谷は後方を振り返った。そこには、こちらに集まった全体の五分の一の生徒以外を、こちらの騒ぎに気づかず指導している大谷がいた。熱心だ。心から柔道を愛している様子が感じ取れた。

「今は授業中だ。そして担当教師も、大谷だ。バレたらただじゃ済まないだろう。そこで、どうだ? ここは次の相手をお互いにして、柔道形式の決闘にするというのは?」

 な――

「いいだろう」

 おまっ……少しは考えろよ!

 二人のやり取りに、正信は動揺していた。いや、驚愕といってもいいかもしれない。相手の実力も知れないのに、相手が提示してきた条件で戦うなど、相手のフィールドに立つようなものだ。確かに今しがた現役柔道部員を朽木倒しとかいう技で倒したのは見事かもしれないが、相手は柔道部の2年生エース――!

「……ん? 時間だな……よし、やめろ。三分だ。各自、次の相手に移れ」

 正信が考えを巡らせているうちに、大谷が次の指示に入ってしまった。それに集まっていたクラスメイトも適当に列を作って、相手を変える。ここで残っていたら、それこそ怪しまれる……正信は仕方なしに場を離れ、乱取りをしてもいない池田と礼を交わして、次の相手に変わった。相手の顔も見ていない。二つ隣にいる仁摩と安芸谷に、注目していた。

 いったい――

「始め」

 ズドン、という物凄い音がした。

 その場にいた四組合同の男子生徒合計80名の視線が、一斉に集まる。そこには、畳の上に肩から全体重を落としている安芸谷と、それに圧しかかられて沈黙している仁摩がいた。

 勝負は一瞬で、決していた。

「さ、さすがは『内股の安芸谷』……」

 見ていたクラスメイトの一人が言った。内股の安芸谷。柔道部で呼ばれている、安芸谷の代名詞だった。とにかく仕掛けが早い。掴んでから技に入るまでが0コンマ数秒という早業で、素人では目で追うことも出来ないという。そこから相手を畳に叩きつける瞬間に、身体を跳ね上げて、全体重をのせて叩きつけるというのだからたまらない。安芸谷の体重は、ざっと見ても90キロぐらいはある。腰周りなど、まるで樽だ。これでは、仁摩は……

「どうした転入生? これは、技の練習だろう? 一回で終わったら、時間がもったいないぞ?」

 そういって安芸谷は片手で、ぐったりしている仁摩の襟を掴み上げる。片手で、男子一人の体重を持ち上げた。ものすごい膂力だ。

「――せいっ!」

 ズダン、という衝撃音。

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