波紋

『…………』

 皆が皆、黙り込む。空気がぴりぴりと緊張する。実は密かに学校の連中に"武装麗姫(ぶそうれいき)"と噂される紗姫と、"野獣"仁摩が手を繋いでいる。ここから、どういう状況に発展するのか……正信は息を殺して事の成り行きを見守っていた。というかどうすべきか考えていた。

 やばくないか、これ……?

「……なに、アンタ? 紗姫の手、気安く触らないでくんない?」

 毒っけ満載の言葉で、紗姫が先制した。場がぴしりと緊張を増す。

「む、それは悪かったな。まだよく高校というものをわかっていないのでな」

 しかし意外にも、仁摩は紗姫の言葉をあっさりと聞き、手を離した。紗姫は握られた手首をもう一方の手でパンパンと払っている。露骨な態度。普通なら怒りくらい覚えるものだが……仁摩は変わらぬ無表情だった。

「……フンっ。なによ、アンタ。見ない顔ね。新入生? なに、正信の知り合い?」

 ドキンっ、と正信の心臓が高鳴った。こっちに振られるとは考えていなかったこともあるし、アンタアンタと今まで呼ばれていたのでまさか名前呼び捨てで呼ばれるとは考えてもいなかったからだ。

「あ、あぁ……まぁ、親戚みたいなとこ、かな」

 咄嗟についたにしてはいい嘘だったと思う。一緒に住んでいる経緯を誰にでも話すのは抵抗があるし、わざわざ壁を作る必要もない。

 仁摩にアイコンタクトを送る。

 当然仁摩は反応しない。空気が読めるやつじゃない。あとは祈るしかない。それが通じたのか、仁摩はそれ以上言葉を発することはなかった。

「……フンっ、意味わかんない。あーもーなんか白けちゃった。いこいこ」「あぁ、紗姫さまお待ちを……」「あぁ、待ってください紗姫さーん……」取り巻きを引き連れて、武装麗姫は去っていった。

 それに正信と、池田と島本くんは胸を撫で下ろした。そういえば今日も土井はいない。大方またネトゲかチャットかでもしてるのだろう。気楽なやつめ。

「……お前、これからずっとこんな感じか?」

「心中察するよ、正信くん……」

 池田と島本くんの心遣いが、嬉しかった。やっぱり自分は、こっちよりの人間だと正信は思った。


 学校に到着する。仁摩に下駄箱の使い方を教え、教室まで案内した。とりあえず仁摩には自分の後ろの席に座らせておいた。丁度空いていたからだ。

 そして正信はひと心地つき、視線を前方廊下傍へと送った。

 古池枝穂。自分の心のオアシスだった。どんなトラブルが起ころうとも、彼女を見ている時だけは心穏やかになれる。癒される。今日の彼女も、いつもと変わりない。今日は重そうなハードカバーの本をこともなげに片手で持ちすいすい読み進めていた。そして通りかかる友達には、淡い笑顔を送る。素敵だ……素敵すぎる。なんで自分は彼女の友達じゃないんだろう? なんで世界はこんな不条理に出来ているんだろう? そんな哲学的な思いにまで耽らせてしまうほど、彼女は清楚可憐だった。でもいい。彼女の姿を網膜に捉えられるだけでもいい。同じ学校同じクラスになれた奇跡を、この手に。

「……正信よ」

 すっかり詩的私的宇宙空間に飛び立っていた正信の意識に、後ろの席から声がかかってきた。宇宙から地球に戻るにはタイムラグが必要だ。正信は咄嗟には反応できず、そして誰からの声かも最初わからなかった。

「――――なんだ、仁摩」

「やたらと反応が遅かったな……まぁいい。正信よ、お前はあの雌が気に入っているのか?」

「ぶっ!!」

『?』

 思い切り噴き出してしまった。そのせいで、周りのクラスメイトたちがこちらに振り返る。その中には池田と島本くんも含まれていたが、枝穂ちゃんとその他取り巻きは見ていなかった。ひと安心、対人受けがいい笑顔でなんでもないことをアピールする。

 で、ぐりんと向き直った。

「――て、お前なんだよそれなんでわかったっていうか雌ってどんな言い方だよそれ!?」

「質問は一つにしたほうが効率的だ」

 もっともだった。深呼吸を一つして落ち着ける。すー、はー……よし、冷静。

「――そ、それでお前なんでわかったオレの秘めたる気持ちにかなり必死に隠してるのに!?」

 あんま冷静でもなかった。それに仁摩は珍しく笑みを――ニヤリ、と獣じみたものを浮かべ。

「く、くくく……なんだ正信、お前気持ちを隠してるのか? 好きな雌に、想いも告げていないのか?」

「ぅ…………」

 いきなりローテンションになる。確かに仁摩の言うとおり、自分でも情けないとは思う。だけど、それでもやっぱり声をかけることは出来ない。自分なんて、たいした人間じゃない。顔も普通だし、勉強も出来るわけじゃないし、運動神経もそこそこ、唯一望みを繋げたい空手だって大会で一、二回戦レベルで、ここ数年は出てもいない。しかも兄きは、あの尾木戸芳武。

 今のままでいい。高望みはしない。あの笑顔を遠くから見られれば、それでいいんだ。

「くく、くくく……まぁいい。おれがとやかく言うことではないからな。くくくくく……」

 仁摩は薄気味悪い笑い声を立てて、話を終えた。正信はその音がずっと耳に残っているような気分だった。

 ――オレは、間違ってるのか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る