乱闘と恋

揺れる弟心


 兄きは父さんと母さんをどう説得するつもりなのだろう?

 と正信は考えていた。

 仁摩は道中、ずっと黙りこくっていた。両手を窮屈そうにジーンズのポケットに入れ、俯き加減に歩いている。兄きは対照的に天真爛漫といった様子だった。自分の狙い通りの展開に満足げといった感じだ。対する正信は、当然のように憂鬱だった。これからのことを考えると、不満と不安しか出てこない。

 何の特徴も無い平凡な平屋の一戸建て。それが正信が暮らす家だった。芳武はここで暮らしてはいない。淵己式空手術当主を引き継いでからは、実家を離れて一人暮らしを始めていた。そのうち内弟子もとるようにと前当主にいわれているらしいが、まだその気はないらしい。兄きらしいと正信は思う。

「……ただいまぁ」

「ただいまっ!」

 少しでも穏便に済まそうと声を抑える正信の声を、限りなく咆哮に近い芳武の声がかき消した。……配慮も何もあったもんじゃない、と正信は額を押さえる。

 ぱたぱたと両親が近づいてくる足音が聞こえる。

 ――こうなれば、腹を括るしかない。

 ――なんでオレが、こんな覚悟決めてるんだろうな?

 決意と理不尽さの狭間で、正信の心は揺れていた。

「あらあら、よく来たわね芳武。ちゃんとご飯は食べてる? あと、おかりなさい正信ちゃん」

「おぉ、来たか芳武。道場の方はうまくやっとるか? あと、帰ったか正信くん」

 現れたのは、どこにでもいそうな父親と母親の姿をした二人だった。何の変哲も無い、だけどきわめて慈愛に溢れた二人だ。正信のことを怒ったことや、無理やり何かをやらせようとしたことなど一度も無い二人だった。

 ――そして、一度も褒められたことも、なかった。

「へへ、ちゃんとやってるさ。そんなことより愛しい弟をそんなついでみたいな言い方するのはやめろよな。なァ!」

 振られ、若干戸惑いながらも声を出す。

「あ、うん……とりあえず、ただいま。それで、あ、あのさ……ちょっと今日は、一緒の人がいてさ……」

 後ろからヌゥ、と仁摩が姿を現す。玄関の明かりに照らされたその姿は、顔や腕にこびりついた垢をより際立たせていた。ジーンズやTシャツも煤や泥に汚れ、黒ずんでいる。

 母が声を出した。

「あらあら、お友達なの? 正信ちゃん珍しいじゃない、お友達を連れてくるなんて……て、随分汚れてるみたいだけど?」

 父もそれに合わせて声を出す。

「あぁ、そうだな。外で泥んこ遊びでもしたのか? 男の子だなぁ。シャワーを浴びさせるといい」

「…………」

 また正信の知らないところで、話が進んでいた。でも、それも好都合だと考え直した。

「……うん。仁摩、上がって」

「あぁ」

 仁摩は何の動揺も見せない。ただ黙って従うのみだ。度胸の据わり方が自分とは違うと、また心の隅が、暗くなった。

「じゃあオレは、今日のところはこれで帰るわ。まだちょっと書類整理終わってないんでね」

 芳武の言葉に、母と父が声をかける。

「そう? あんまり無理しようにね?」

「そうだぞ? 体を壊したんじゃ、なんにもならんからな」

 それに芳武は手を振って、

「おっけー。んじゃ正信、またな」

 軽やかに帰っていった。正信はその姿を廊下から、仁摩に浴室の場所を案内しながらどこか別次元のことを見るような目で見ていた。返事も、しなかった。

 仁摩がシャワーを浴びている間に、正信は両親に切り出すことにした。タオルは浴室に用意しておき、服は自分のものを貸すことにした。居間に両親を呼び出し、事情の説明を試みる。

「……ってわけなんだけど」

 まったくもって強引で無茶な展開なんだが、両親は話を聞いても笑ったままだった。

 慣れちゃってるのだ。兄きの無茶に。

「まぁまぁまぁ、しょうがないのね芳武また勝手に決めちゃって。だけど、その仁摩って子、可哀想ね。ねぇあなた?」

「そうだな。確かにそれは情状を酌量する余地があるな。わかった、その子しばらくうちで預かることにしよう」

 これだからな。信じらんねぇ。兄きのこと、信用しすぎだろ。正信はため息をついた。両親は気にせず笑っていた。いつものことなのだ。

 さて、仁摩はシャワー終わったかな?


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