第29話 世界の強制力

 セレディアは自身の魔力を小石に纏わせたのだが、その際に明確な目的を考えていなかった。

 沸々とした怒りが粘着質な魔力として形成された結果、あの小石は超強力なスーパーボールと化してしまったのである。


 その勢いはセレディアが小石に籠めた魔力が切れるまで止まらない。彼女の体調に影響を与えない程度の魔力しか使っていないが、対象が小石であったため跳弾に要する魔力は少なく、今も勢いが衰えることなく渡り廊下を飛び回っているのだ。


 そして、何の因果か小石が渡り廊下から飛び出していかないという、いらぬ奇跡が起きていた。

 小石の勢いが速く、セレディアは対処できなかった。運良く自分に向かってきてはいないが危うい場面はチラホラあった。さすがにあの勢いで小石が当たればセレディアも無傷では済まない。


「ううう、隙を見て廊下を脱出してや――あっ」


 だが、セレディアの判断は一瞬遅かった。

 とうとうセレディアに向かって柱から小石の跳弾が打ち出されたのである。


 額直撃コース。当たれば割と本気で命の危機である。しかし、セレディアの体ではこの超速跳弾に反応することはできなかった。


 できたことと言えば、反射的に目を閉じてしまったくらいである。


(こんなことで死ぬのはいやああああああああああああああああああああ!)


 セレディアの悲痛な叫びが脳内に木霊した。


 一、二、三……衝撃が来ない。


「どうして……え?」


 セレディアの視界を黒い影が遮っていた。よく見ると男性の手の甲のようだ。


「大丈夫かい、セレディア嬢?」


「……クリストファー様?」


 セレディアの前から腕が離れ、彼女はゆっくりと後ろを振り返る。そこには優しそうに笑みを浮かべるクリストファーの姿があった。

 ちらりと彼の右手を見ると小刻みに震えていることが分かる。


 そして、彼女はサッと青褪めた。


(私の魔力を見られた!?)


「ク、クリストファー様、いつからそこに?」


「ついさっきさ。廊下に入ったら君に何かが飛んでくるのが見えたから慌てて止めたんだ」


 どうやら衣装班の採寸に付き合った後、少し教室に用事があったらしい。一年Aクラスに繋がる渡り廊下に差し掛かったところ、跳弾に襲われるセレディアに遭遇したようだ。

 何も考える前に反射的に動いていた彼は、セレディアを動かすでもなく、跳弾を撥ね除けるでもなく、右手で小石を受け止めてしまったらしい。


「……そうですか。申し訳ありません。小石を投げたら跳ね返ってしまって」


「それはそれは。セレディア嬢は名投手になれそうだね、いっつううう!」


「大丈夫ですか、クリストファー様!?」


 あの超速跳弾を手で受け止めたのだからかなり痛かったはずだ。実際、クリストファーは右手に力が入らないのか手が開き、小石を地面に落としてしまう。


 セレディアが小石を見ると魔力はなくなっていた。

 どうやら全て使い切ってしまったようだ。


(クリストファー様が見たのは最後の跳弾だけだったみたいね。これなら誤魔化せそう)


 内心で安堵の息を漏らしながら、セレディアはクリストファーの手を取った。手のひらに傷ができ、じわりと血が滲み出ている。


「大変。医務室へ行きましょう、クリストファー様」


「まあ、これくらいなら放っておいても大丈夫だよ。気にしないでくれ」


「気になりますよ! 私のせいで怪我をさせたのに放置なんてできません。さあ、行きますよ」


 セレディアは健気な少女を装って怪我をしていないクリストファーの左手を握ると歩き出した。


「えっと、ありがとう?」


「もう、お礼を言うのは私の方です。助けてくださりありがとうございます、クリストファー様」


 セレディアは振り返らずにそう言った。その後ろ姿を見て、クリストファーは助けられてよかったと思う。


(美少女を事故から助けるイベントクリア! 報酬はセレディア嬢の好感度ゲット! てか?)


 ギャルゲーみたいなことを考えるクリストファーの傍らでセレディアもまた思考する。


(これをきっかけにクリストファー様の攻略ができないかな。助けてくれた恩人を医務室に連れて行って好感度アップ! とか)


 シエスティーナ攻略に失敗した時の保険にちょうどいい。そこはやはり中の人がティンダロスだからだろうか。これをきかっけにクリストファーに恋する少女にはなれないセレディアだった。


「いっつ」


「痛みますか?」


「いや、少しだけさ」


 クリストファーは笑顔を浮かべて痛みを隠した。

 先程から妙に傷口の辺りが疼くように痛むのだ。


(まあ、紙の端で指先をスパッと切っちゃうだけでもかなり痛いからな。仕方ない、医務室に行くまでさ)


 クリストファーは楽観的に考えていた。







 まさか、小石に纏わり付いていた粘着質な魔力がクリストファーの右手に張り付いてしまうなんて、まさか、その魔力が傷口を通してクリストファーの体内に潜り込もうとしていたなんて。


 クリストファーはおろか、魔力を生んだセレディアでさえ全く気付いていなかったのである。








◆◆◆



「きゃあああああああああああ!」


 ガタガタと揺れる機内で、隣から幼馴染の悲鳴の悲鳴が聞こえる。


「うわあああああああああああ!」


 彼自身もまた悲鳴を上げて、それでも幼馴染を守ろうと少女の肩を引き寄せる。


「大丈夫だ、きっと大丈夫だから!」


 だが、彼の希望も空しく、彼らの思考は一瞬で真っ白になっていき――。


「――はっ!」


 クリストファーは目が覚めた。嫌な夢を見たせいか呼吸が荒い。全身汗だくだ。ベッドからゆっくり起き上がると、窓から見える景色はまだ真っ暗だ。


「……久しぶりに嫌な夢を見、いっつ」


 汗ばんだ額についた髪が不快で掻き揚げようとしたところ、手のひらの傷がとても痛かった。


「いってぇ。これ、全治何日だろ。せめて左手で取ればよかった……もっかい寝よ」


 今から風呂に入るわけにもいかない。クリストファーはそのままベッドに寝転がった。静かにしているとまた意識が微睡んでいき、彼は再び深い眠りについた。

 幸い、今度は悪夢にうなされることはなかった。





 翌朝、手のひらの傷を確認すると、思ったより治りが早いのか傷口はかなり塞がっていた。クリストファーはホッと安堵の息を吐く。


「これなら今週中には完治しそうだな」


 左手で鞄を持ち、クリストファーは登校した。教室に入るとセレディアと目が合い、彼女が駆け寄ってくる。


「おはようございます、クリストファー様。あれから右手はどうですか?」


「おはよう、セレディア嬢。思ったより治りが早いようだから大丈夫だ」


「それはよかったです」


「まあ、クリストファー様、お怪我をなさったの?」


 セレディアとの会話に聞き慣れた幼馴染の声が加わる。アンネマリーだ。後で怪我したことについてお説教されるかも、なんて考えながら振り返った瞬間――。


(な、なんだ……?)


 ――クリストファーに悪寒が走った。


 アンネマリーを目にした瞬間、感じたことのない嫌悪感に襲われたのだ。近づきたくない、関わりたくない、相手をしたくない……どこから溢れ出したのか、そんな感情が蠢き始める。


「私を庇ってクリストファー様が右手を怪我してしまったんです」


「右手を?」


 会話の流れからアンネマリーはクリストファーの右手を取ろうとした。


 しかし――。


「――っ」


 その手はクリストファーによって撥ね除けられた。


「えっ?」


 虚を突かれたように目を点にするアンネマリー。直後、クリストファーもまた自分の行動にギョッと目を見開く。そして、気まずそうに目を逸らした。


「……すまない。今、右手が痛かったからつい」


「え? あ、ああ、そうだったんですね。申し訳ありません、クリストファー様」


「あ、ああ。手の方は大丈夫だ。一晩でかなりよくなったから心配ない」


 クリストファーはそれだけ言うと、自分の席へ行ってしまった。


「申し訳ありません、アンネマリー様。私が殿下を怪我させてしまったから」


「気になさらないで、セレディア様。何も問題ありませんよ」


 アンネマリーはセレディアを気遣うようにニコリと微笑む。

 だが、その裏側で別のことを考えていた。


(今のは怪我が痛かったというより、私の手を拒絶している感じだった……まさか)


 アンネマリーの脳裏に浮かぶのは、クリストファーの闇堕ちイベントである。


(何が原因か分からないけど、世界の強制力はやっぱり存在するってことなのかしら)


 後でクリストファーに確認してみなければ。

 アンネマリーはそう考えていたが、現実は甘くなかった。



 この日から、クリストファーがアンネマリーを避け始めたのである。

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