第28話 ご不満セレディア

 ヒューバートが来訪した翌日、十月十二日。

 休みあけの王立学園の放課後、今日で学園舞踏祭の準備が始まって一週間が経過していた。


 総監督オリヴィアを中心にクラスは上手くまとまり、実行委員会とのやり取りはシエスティーナやセレディアが橋渡しとなって連携しながら問題なく運営されている。

 また、クリストファーやアンネマリーが使用人姿になって給仕してもらえるという噂話が広がっているようで、他のクラスからも期待されているらしい。


 一年Aクラスのメイドカフェ準備は順調に進んでおり、生徒達は充実した日々を過ごしていた。



 ……たった一人を除いて。



「皆さん、ご協力に感謝します。それでは早速作業に入りましょう」


 キャロルが号令を掛けると、衣装班の全員が一斉に動き出した。本日は衣装班でメイド班と執事班の生徒達の採寸を行う日である。女子は被服室に集まり、男子は別室を利用している。

 衣装デザインが了承を得られたため、本格的な衣装の作成がスタートするのだ。メイド班だけでなく、当日メイド服を着るメンバー全員が集まっている。


「それではシエスティーナ様の採寸を始めますね」


「よろしく頼むよ」


「セレディア様、失礼します」


「はい。お願いします」


 生徒達が散らばり、忙しい実行委員や生徒会の者達から先に採寸を済ませていく。


「ルシアナお嬢様は私が採寸しますね」


「採寸しなくてもサイズくらい分かるんじゃないの、メロディ?」


 ルシアナの担当はメロディが担当した。普段からルシアナのドレスを作っているメロディならばわざわざルシアナを採寸しなくともサイズは把握しているはずだ。必要ないのではと首を傾げる。


「思春期はちょっと目を離した隙にサイズに変化があったりするので油断はできません」


「……それ、私が太ったって意味?」


「何言ってるんですか、お嬢様。身長の話です」


 ちょっとだけ不満そうに頬を膨らませるルシアナに、メロディは思わず笑ってしまった。


「お嬢様も初めてお会いした時より少し身長が伸びてるんですよ。普段着もそれに合わせて微調整してるんですから」


「そうなの? 私、大きくなってたんだ。えへへ」


 自身の成長が嬉しいのか照れくさそうに微笑むルシアナ。つられるようにメロディも微笑む。


「ですので、お嬢様の採寸も必要なんです。さあ、始めますよ」


「はーい」


 そんなやり取りが被服室で行われる中、採寸は和やかに進んでいった。


「終了です。シエスティーナ様、ご協力ありがとうございました」


「こちらこそ、完成を楽しみにしているよ」


 二十分くらいが経っただろうか。シエスティーナの採寸が終わった。


「セレディア様、採寸が終わりました。お疲れ様でした」


「あ、はい。ありがとうございます」


 すぐ隣にいたセレディアも採寸が終わったようだ。セレディアがシエスティーナの方を見ると、彼女は身支度を整えて部屋から退室しようとしているところだった。


「あ、シエスティーナ様、私も一緒に」


「やあ、セレディア嬢、君も採寸が終わったようだね。今から実行委員長と相談があるから急いでいるんだ。君はこれから教室で会議だろう。悪いんだけど、お先に失礼するよ」


「そ、そうですよね。失礼しました」


「すまない、また後で」


「……はい」


 副実行委員長になったシエスティーナは主に夜の部を担当しており、残ったセレディアは昼の部との調整を任されるようになった。そのせいもあってか、同じ実行委員であるにもかかわらずシエスティーナとセレディアの接点は思いの外少ない。

 シエスティーナが退室した扉を眺めながら、セレディアは儚げな表情を浮かべていた。


「あの、セレディア様。次の方の採寸をしたいのですが」


「え? あ、ごめんなさい」


 クラスメートに促され、採寸を終えたセレディアはそそくさと被服室を後にした。一人になり、廊下をトボトボと歩く。外に繋がる渡り廊下を歩きながら、周囲に人がいないことを把握したセレディアは大きなため息を吐いた。


(もおおおおおお! 全然シエスティーナ様を攻略できないんですけどおおおおおおおお!)


 顔を俯け、拳を握り、内心で咆哮するような叫び声を上げた。さすがに学園内で本当に叫ぶわけにはいかないので、地面に向かって大声で叫ぶジェスチャーのみである。


(おかしい、おかしいよ! 実行委員になったらシエスティーナ様ともっと仲良くなれるはずだったのに、どうなってるの!?)


 レアの記憶によれば、第二皇子シュレーディンとともに学園舞踏祭の実行委員になることで接点が増え、仲を深める機会に恵まれるはずであった。

 しかし、シエスティーナはこちらの予想とは異なる行動を取った。実行委員会の実行委員長に立候補したのである。最終的に副実行委員長に落ち着いたが、そのせいで当初セレディアが想定していたシエスティーナを攻略するチャンスは激減してしまったのである。


 学園舞踏祭はその名の通り夜の部の舞踏会が本番であり、副実行委員長となったシエスティーナはそちらの仕事を多く振られるようになった。となれば、一年Aクラスの昼の部に関する仕事は残ったセレディアにお願いするしかない。よって、夜の部をシエスティーナが、昼の部をセレディアが担当することになったため、一緒に活動する機会は予想外に少ないのであった。


(信じられない! なんでこうなるの! やっぱりシエスティーナだから?)


 レアの記憶によれば本来、セレディアの前に現れるロードピア帝国の留学生は第二皇子シュレーディンのはずであった。しかし、実際にやってきたのは第二皇女シエスティーナである。


(シュレーディンの代わりにシエスティーナが来たから、彼女が代役かと思ったけど、本当はそうじゃないのかしら。だから、全然攻略できないのかしら……もうやだ、疲れちゃった)


 セレディアの口から諦観のため息が零れ落ちる。


 夏の舞踏会からずっと、レアとの契約を果たすために儚げな美少女を演じ続けてきたが、今のところ全く成果は上がっていない。思わず守ってあげたくなるような性格を演じ、慣れない勉強や実行委員の仕事も頑張ってきたが、達成感を得られない日々にセレディアは少々限界を感じていた。


(……私って、こんなにダメな子だったっけ?)


 思い出されるは、初めてレアに出会った頃の自分――第八聖杯実験器ティンダロス。


(あの頃の私はもっと傲慢で尊大で、威厳に溢れていたはずなのに……)


 夏の舞踏会では注目を集められず、けしかけた魔物を倒される始末。編入生は三人もいてやはり目立てず、抜き打ち試験の結果は散々。中間試験でも大した結果は残せず、学園舞踏祭で実行委員になったものの、シエスティーナとは仲良くなることもできない日々。


 周囲の状況から攻略対象をシエスティーナに絞ったにもかかわらずこの体たらく。彼女が自分に靡いた様子はなく、実行委員同士になってさえ一クラスメートとしてしか見てもらえていない。


(そりゃあ、学園生活はまだ始まったばかりだけど……こんなはずじゃなかったんだけどな)


 ヴァナルガンドに対抗して魔王を自称した身としてはあまりにも不甲斐ない現況である。

 だが、同時に思う。シエスティーナは本当に攻略対象者なのだろうか、と。


 たまたま留学生として王国にやってきたが、レアの記憶通り、本当の攻略対象者はシュレーディンのままなのではないだろうか、と。その可能性はゼロではない。しかし、そうであるならセレディアは誰を攻略すれば良いのだろうか。


 真っ先に思う浮かぶのはクラスメートの王太子、クリストファー・フォン・テオラスだろう。


(でも……)


 彼と同時に思い浮かぶのは、アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢だ。あの二人の仲を引き裂くのは今のセレディアにはとても難しい。


(悔しいけど、人間社会の知識が乏しい私の話術でクリストファーを落とすのは厳しいわ。魔力で支配するにしても、隙のない人間を操るには体の負担が大きすぎて上手くいく気がしない)


 他にマクスウェルやレクト、ビュークなどもいるが、この三人はシエスティーナ以上に接点が薄く、攻略の糸口も見えてこない。特にビュークなど所在すら不明だ。


(おかしい、こんなはずじゃなかったのに……どうしてこうなった!?)


 もっと簡単にレアとの契約を果たし、この体を手に入れられると思っていたが、完全に当てが外れてしまった。まだチャンスがなくなったわけではないが、上手くいかない現実に憤りを隠しきれない。


「このっ!」


 セレディアは渡り廊下に転がっていた小石を勢い任せに蹴り飛ばした。嫌なことがあったら誰もが一度はやってみるのではないだろうか。


 しかし、セレディアは運が悪かった。


「あたっ!?」


 蹴り飛ばした小石は渡り廊下の柱に当たり、まるで吸い寄せられるようにセレディアの額に跳ね返ってきたのである。痛みのあまりセレディアは蹲ってしまう。


 小石が小さかったおかげでほんのり額が赤くなる程度で済んだが、もう少し大きな石だったらそこまで跳ね返りはしなかったかもしれない。不幸中の幸い中の不幸中の……要するに、今日のセレディアは運が悪かったのだ。


「むきー!」


 さすがのセレディアも声を止められなかったようだ。そして何のつもりか拾った小石に魔力を籠め始めた。今の彼女の精神状態の影響を受けているのか、粘着質な負の魔力が小石を包み込む。


「もう容赦しないんだから! くらいなさい!」


 セレディアは柱に向かって小石を放り投げた。さっき跳ね返ってきたことが余程腹に据えかねていたらしい。魔力を籠めて強化した小石なら柱にめり込むはず、と考えたのだが……。


「私に小石を跳ね返したことを後悔するのね。あはははは――えっ!?」


 その時、小石はセレディアの予期せぬ動きをしてみせた。小石が柱に当たった一瞬、グッと溜めに入ったかと思うと勢いよく跳ね返ったのだ。


「なんでよ! え? ちょっ!?」


 幸い、小石が跳ね返った先は天井だった。しかし、天井に当たった小石は再び一瞬の溜めに入ると今度は地面に向かって飛び出していった。


「きゃあっ!」


 それから地面、柱、天井へと続く跳弾の嵐。どんな偶然か、柱に当たらなければそのまま外へ行ってしまうはずの小石は毎回綺麗に障害物に当たりながら渡り廊下を縦横無尽に飛び交っていく。


「何これ、どうなってるの!?」


 セレディアは渡り廊下で身動きが取れなくなってしまった。

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