第27話 メロディとセレーナのふしぎな夢
夢の世界が崩壊していく。
こうなってはもうここに留まることはできないだろう。また次の機会に話が出来ないか試してみようと、疲れたように嘆息すると背後から声が聞こえた。
『……この地にティンダロスの匂いがする。気を付けて』
「え?」
『そして願わくば、聖女が哀れなあの子を救ってくださいますよう』
天上に一際大きな亀裂が走り、白い光が狼を飲み込んだ。そしてメロディの頭上にも亀裂が走り、彼女の視界は純白の光に埋め尽くされた。
その眩さにメロディはギュッと目を閉じた。
瞼の奥の眩い光が収まると、ゆっくりとメロディの目が開く。そこは白い空間でも黒い空間でもない場所。ルトルバーグ伯爵邸にあるメロディの自室であった。
右手が震える。指を開くと『
どうやらベッドに寝転がっていたらしい。おそらく『
やがて卵の振動が止まると、メロディはベッドから起き上がった。右手にある『魔法使いの卵』をジッと見つめ、そして視線は窓に向かい――。
「ああっ! もう日が昇りそう! 寝過ごしちゃった!」
――起床時間を過ぎていることに気が付いた。
「えっと、顔を洗って髪を整えて……って、昨日お風呂に入ってない!? そんな時間ないよ!?」
昨夜は就寝の支度をすることなく、メイド服姿のまま眠ってしまったためお風呂にも入っていない。今から仕事だというのに汚れた体でメイドの仕事をするわけにはいかないのだ。
「うう、仕方ない。緊急事態だもの。どんな時も慌てず騒がず清潔に『
光の泡がメロディの全身を包み込み、やがて空気に溶けるように弾けていった。メイド服は洗い立てのように綺麗に、なおかつしわまで取れて、メロディの肌も髪も湯上がりのように煌めいている。魔法によってメロディはこの瞬間、全ての汚れから解放されたのだ。
「おはよう、皆!」
「おはようございます、メロディ先輩」
「……おはよう」
調理場に行くとマイカとリュークの姿があった。
「メロディ先輩、いつもより遅かったですね」
「ごめんね。『魔法使いの卵』を調べてたら寝坊しちゃって」
「何か分かりました?」
「とりあえず、卵が孵るにはもう少し時間が必要だってことは分かったかな」
「えー、まだ掛かるんですか? 危険はないんですよね?」
「多分大丈夫だと思うわ。でも、まだ預かっていてもいい? もう少し調べてみたくて」
「いいですよ。じゃあ、お願いしますね」
「ええ、任せて」
(今夜も『夢幻接続』で卵の中に入って、さっきの言葉の意味を確かめなくちゃ。それは今夜するとして、とにかくお仕事をしないとね……あれ?)
「マイカちゃん、セレーナは? もう掃除に行っちゃった?」
「それがまだ見てないんです。セレーナ先輩もお寝坊さんみたいですね。珍しいです」
「セレーナが寝坊? ……ちょっと起こしてくるから先に作業を進めておいてもらえる?」
マイカの了承を得ると、メロディはセレーナの部屋へ向かった。
◆◆◆
(痛い、苦しい!)
それはとても苦しい体験であった。これまで経験したどの怪我や病気でも言い表せないほどの苦痛である。セレーナは我慢できずに大声を上げた。
「ああああああああああっ!」
「もうちょっとだよ、さあ、いきんなさい!」
我慢できず叫び続けていると、ある瞬間、長々と続いていた苦痛が終わりを告げた。
「おぎゃあ、おぎゃあっ!」
「よく頑張ったね。可愛い女の子だよ」
(終わった、ようやく……ああ、この子が、私の……私達の……)
意識が朦朧とするなか、苦痛から解放されたセレーナは言い知れぬ幸福感に包まれていた。ずっと傍らで励ましてくれていた老婆が孫でも見るかのような笑顔で、白い布にくるまれた小さな命を抱き抱えている。
既に泣き止んですやすやと眠る赤ん坊を抱きながら、老婆はセレーナに笑顔を向けた。
「さて、命がけで頑張った甲斐があったね。ほら、抱いておやり」
老婆に促されるまま、どうにかベッドの上で起き上がったセレーナは眠る我が子をそっと抱き抱えた。しわくちゃの生まれたての顔はまだ父親と母親のどちらに似ているか判別できないが、赤ん坊の頭に生えている髪は銀色だ。
「ふふ、父親似ね」
「大丈夫だったかい!? ああ、なんて可愛い子なんだ!」
「うるさいよ、ヒューバート様! 静かにしな!」
「あ、ご、ごめん」
セレーナが可愛い赤ん坊に顔を寄せていた時、ノックもせずにヒューバートが入室してきた。老婆が叱りつけるとヒューバートは大柄な体を無理矢理縮こまらせて謝罪する。
「ヒューバート様、来てくれてありがとうございます」
「いやいや、母子ともに無事で本当によかった。本当に、可愛い子だ」
「ふふふ、でも父親似みたいですよ」
「そんなことはない。絶対に君にそっくりさ。それで、名前はどうするんだい? ずっと決めかねていただろう?」
可愛い赤ん坊の頬を大きな指でチョンチョンと軽くつつきながら、ヒューバートは尋ねた。その光景を微笑ましく思う一方、できればこの子の父親にも立ち会ってほしかったという切ない気持ちがセレーナの胸にこみ上がってくる。
ほんの少し感じた寂しさを隠すように、セレーナは微笑んだ。
「名前はもう決めました」
「何にするんだい?」
ヒューバートの問いに、セレーナは誇らしげに口を開くと「セレスティよ」と答えた。
「セレーナ、起きてる?」
メロディの声で、セレーナはハッと目を覚ました。ベッドから起き上がり、その両手には何の重みもないことを理解した。
「……夢?」
しばし呆然となるセレーナ。あれは夢だったのだろうか。あの時感じた幸福感がただの夢だったなんて、ショックを禁じ得ない。
「セレーナ、まだ寝てるの?」
「あ、すみません、お姉様。すぐに支度をします」
「よかった、起きたのね。じゃあ、準備が出来たらお願いね。私は先に調理場に行ってるから」
「分かりました」
メロディとのやり取りを扉越しに済ませ、セレーナは慌てて身支度を始めた。
(それにしても、今日は変な夢を見てしまったわ)
メイド服に着替えながら、セレーナは少しばかり頬を赤くして寝坊を反省していた。
(わたくしがお姉様を出産する夢だなんて、どういう心理が働いた結果なのかしら。謎だわ)
セレーナはメロディの本当の名前がセレスティであることを知識として知っているが、自分にとっては生みの親にあたる彼女を、セレーナが産む夢を見るとは何を意味しているのだろうか。
(それにヒューバート様まで登場して……昨日のことが思いの外ショックだったのかしら)
セレーナは再び顔を赤くした。思い出されるは、出会い頭にヒューバートから受けた熱い抱擁である。胸板の熱と感触を思い出すと羞恥心で顔が真っ赤になってしまう。
(きっとヒューバート様にセレナ様と間違われてしまったからあんな夢を見てしまったのね。お姉様ったら、わたくしを精巧に作りすぎですわ)
まるで本当にあった出来事のようだと思いながら、身支度を終えたセレーナは自室を後にするのだった。
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