第26話 夢の中の夢

 反響定位――エコーロケーション。

 主にコウモリなどが音波を発し、その反響によって物体の距離や方向、大きななどを把握する技術である。


 動物は音波を、人間は電波を利用し、レーダーとして活用しているが、メロディは自分の魔力を周囲に発することで、その反響から『魔法使いの卵ウォーヴァルデルマーゴ』の核を探そうと考えた。


 ルシアナの魔力を認識する際も似たような手法を採っているが、今回は規模が違う。どこまで続くか分からない空間に向けて、メロディは膨大な魔力の波を広げていった。



 そして――。



「見つけた!」


 ――メロディの超感覚が異物を捉えた。


「場所は……南に五十キロくらい?」


 メロディは疲れた表情で背後を振り返った。何せずっと北に向かって捜索していたのだ。『魔力反響定位マージルエコローネ』を使わなければ一体いつ見つけられたか分かったものではない。


「もっと早くやればよかった。まあ、外では使えないけど」


 あっという間に卵の核を見つけたメロディ。こんな魔法があるならさっさと使っていればよかったのだが、メロディはついさっきまでこの魔法の存在をすっかり忘れていたのである。


 メイド魔法『魔力反響定位』は、普段は使えない魔法なので。


 ここが無人の空間だと分かっているからこそ、メロディは気兼ねなく『魔力反響定位』を行使することができた。もしこの魔法を現実世界で使用すれば、魔力を持つ全ての人間がメロディの魔力を感知してしまうだろう。


 この魔法は自分の魔力を相手にぶつけてその反応を見ているので、かなり高い精度で周囲の状況を把握できる反面、相手に気付かれる可能性が高い。魔法を隠しているメロディにとってはかなりリスクのある魔法と言える。


「我に飛翔の翼を『天翼アーリダンジェロ』」


 再び双翼を生やし、メロディは仮想南方向に向かって飛行した。しばらく進むと、何やら白い物体が視界に入ってきた。十メートルくらいはありそうな卵型の物体である。蜘蛛の糸のような粘性繊維で地面に固定されており、卵の奥にうっすら何かの陰が映り込んでいる。


 かなりぼんやりしているが、四足動物のように見える。


(この卵の中にいるのは、やっぱりあの白い狼なのかな?)


 卵の周囲をグルリと飛行して様子を確認するが、特に危険はなさそうだ。


「……触れてみれば何か分かるかしら」


 メロディは卵の殻にそっと手を触れてみた。しかし、これといって反応は見られない。だが、メロディはもう何をすればいいのか分かっていた。


「夢の中であっても、ちゃんと私という自我はある。だったら、夢の中であっても夢を見ることはできるはず」


 意識を集中させるため目を閉じると両手を卵の殻に当てて、メロディは魔法を発動させた。


「我が心を夢の世界へ導け『夢幻接続ソニコレガーテ』」


 メロディの精神は卵の殻に向こうに広がるさらなる夢の世界へと向かうのだった。







 目を開けるとそこは暗闇の空間であった。先程と同じく背中に翼を生やし、暗闇の中でメロディは宙に浮かんでいた。


「ここが卵の中……」


(暗い世界。だけど、怖くない。この闇は……夜の帳)


 恐怖と絶望を司る暗黒の世界ではなく、希望の朝日に繋がる夜のカーテン。この暗い空間にはやすらぎが満たされている。闇の中にあってなぜか自分自身の姿を見失わなかったメロディは、不思議とそんな印象を抱いていた。


 ゆっくりと高度を下げ、メロディは地面に降り立つ。暗闇の中、どこに地面があるのか分からないはずだが、メロディには分かっていた。


「……やっぱりいたのね」


 なぜなら彼女の目の前に、闇の中で体をまるめて寝息を立てる巨大な白い狼の姿があったからだ。その姿はルトルバーグ領で卵に取り込まれる直前に見た姿そのままである。


 光を放っているわけではないが、なぜかこの暗闇の中においてメロディ同様その姿を捉えることができた。

 メロディは意を決し、狼に向かって歩を進めた。だが、ある程度狼に近づいたところで思わず目を見開いて立ち止まってしまう。


「……人がいる?」


 体を丸めて眠る狼の懐に人影が見えたのだ。

 黒髪の少女が狼の懐で静かに眠っている。


 年齢は十代前半くらいだろうか。中学生くらいと思われる。狼の体に隠れて服装まではよく見えないが、顔立ちは日本人に似ている気がする。


(ここは夢の世界なのに、あれは誰かしら? あの狼の知り合い?)


 この時、狼を注視するメロディは気が付かなかった。『魔法使いの卵』に入ってからずっと、卵と同調しているはずのマイカの記憶や感情を示す存在がどこにも見当たらないことに。

 目の前の少女こそが、マイカと同調して得た記憶と感情の結晶――栗田舞花の姿であるとは、ある意味当然のことではあるが、メロディは思い浮かびもしなかったのである。


 もっと近づいて彼らに話を聞かなければ。そう思ったメロディはさらに狼の元へ歩を進めたが、その歩みは途中で止められてしまう。


「きゃっ! 何これ? ……壁?」


 白い狼までもう少しというところで、メロディの前に薄ぼんやりと白い光を放つハニカム柄の壁が現れたのだ。まるでこれ以上は通さないバリア、もしくはコンピューターウイルスの侵入を阻むプロテクトのようである。


「これ以上進めない。どうしよう」


 魔法で攻撃すれば破壊できるだろうか。そう考えて壁に触れた手に魔力を流した瞬間だった。ハニカム柄の壁を通して、メロディに卵に関する情報が流れ込んできたのである。


「これは!?」


 プログラムがダウンロードされるように、メロディの脳内に情報が刻まれていく。


 それによると、やはり『魔法使いの卵』の不具合の原因は白い狼にあるようだ。ルトルバーグ領で卵に取り込まれた白い狼が、卵と融合してしまったのである。


 無理に切除しようとすれば『魔法使いの卵』自体が壊れかねず、既に切り離せない状態まで融合していた。だが、白い狼を取り込んだことで『魔法使いの卵』はメロディの想定よりもかなり性能が向上しているようだ。理由は不明だが、卵と狼の間には高い互換性と親和性があったらしい。


 しかしその分、当初の想定よりもずっと多くの同調が必要になったため、マイカが身に付けて二ヶ月が経った今でもいまだにパートナーが生まれない事態になってしまっているのだとか。


 そこまでの情報を得た段階で、ハニカム柄の壁からメロディの手が離れた。突然のことだったせいか少し荒れてしまった呼吸を整え、ホッとしたように安堵の息を零す。


「よかった。とりあえず、マイカちゃんに危険はなさそうね」


 不思議とこの情報に偽りはないと信じることができた。


(あなたが教えてくれたの?)


 壁の向こうで少女とともに眠る狼を見つめる。できることなら壁の向こうに行きたいが、先程の情報から読み取ると、この壁は破壊してはいけないようだ。


 この壁の機能そのものが『魔法使いの卵』の防衛システムとして機能しており、これを壊すと卵に悪影響が出かねない。また、この壁はあの狼を守る保護機能も有しているようだ。


(あの狼が今もまだ出会った頃の姿のままなのは、この壁に守られているから。壁がなくなればきっと狼の自我は消えて、マイカちゃんのパートナーとして生まれ変わることになる)


 それが分かっていてメロディには壁を破壊することなどできなかった。


(世界に『還ろう』としていたあなたがこんなことをしているのには何か理由があるはず。できることなら話をしてみたいけど、どうすれば……えっ?)


 バキリッ、と家の壁に大きな亀裂でも入ったような音が鳴り、暗闇の空間に白い光が差し込み始めた。思わず天上を見上げるとそこかしこに亀裂が走り、まるで雲の切れ間のように何筋もの光がメロディの周囲に降り注いでいく。


「これは、もしかして『夢幻接続』が切れかかっている?」


 つまりは魔法の時間切れ。


 夢が終わり、目が覚める兆候に入ったのかもしれない。メロディ自身が覚醒しようとしているせいで、夢の世界に終わりがやってきたのだ。


 天上だけでなく、背後からも亀裂の音が鳴ってメロディは反射的に振り返った。暗闇の中、大きな亀裂が宙を走り、限りなく網の目のように広がっていった。

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