第24話 クラウドへの手紙
ルトルバーグ伯爵邸にヒューバート達が来訪した頃、レギンバース伯爵邸に務める執事は主のために紅茶を運んでいた。ワゴンを押しながら執事は疲れたようにため息を零す。
「……本当にどうしたものか」
執務室の扉を開けると、執事は主に気付かれないよう小さく息を吐いた。彼の視線の先には、執務机で書類と格闘する主、レギンバース伯爵クラウドが執務に励む姿があった。
「旦那様、お茶をお持ちしました」
「……」
執事が声を掛けてもクラウドは聞こえていないのか無言で書類にペンを走らせている。返事がないことにまた嘆息しそうになるのを我慢して、執事はお茶の準備を始めた。
またお茶を淹れ直さなければならないかもしれないと考えながら……だが、幸いなことに彼の懸念は外れることとなった。
「次の仕事は?」
クラウドの手が止まったからだ。先程までペンを動かす手と資料を読む瞳以外微動だにしなかった彼が執事に問い掛けた。執務机に用意されていた未処理の書類が全て片付いたようだ。
「もうございません」
「ん?」
クラウドはキョトンとした顔で首を傾げた。
やはり気付いていなかったのだと、執事はこちらの意図が伝わるように大きく息を吐く。
「はぁ……旦那様、もう手を付けられる仕事は残っておりません。向こう一週間は暇でしょうな」
「一週間、暇……? そう、なのか?」
「はい。本当にここ二週間ほど鬼気迫る勢いで仕事をなさっていたので、お手伝いする我々もついていくのが大変でございました」
「……そうか」
全く想定していない答えだったのか、クラウドはポカンとした顔になった。執事は紅茶を淹れ、クラウドの前にティーカップを置いた。
「少しご休憩ください」
「……ああ、すまない」
言われるがままにクラウドは紅茶を飲んだ。執事はホッと安堵の息を零す。クラウドは気付いているだろうか。仕事の合間に紅茶を飲むのが実に二週間ぶりであるという事実に。
「何か軽食でもご用意しましょうか」
「いや、いい……しばらく一人にしてくれ」
「畏まりました」
仕事がなくなって人心地が付いたからだろうか、ようやく気の抜けた顔を見せた主に安心した執事は一礼すると執務室から姿を消した。
部屋に一人になったクラウドはもう一口紅茶を飲むとこめかみを押さえて眉根を寄せた。
(何をやっているんだ、私は……)
療養のためルトルバーグ領へ向かうセシリア・マクマーデンを見送っておよそ二週間。今になってようやく自覚したが、今日に至るまで取り憑かれるように仕事に没頭する毎日を送っていた。
(まさしく現実逃避だな。仕事に逃げて……情けない)
自覚していなかったといえば嘘になる。仕事に集中することで考えることから逃げていたのは間違いない。そして、しばらくできる仕事がない今、もう逃げることもできないのだ。
(……彼女は、セシリア嬢は、私の娘なのだろうか?)
仕事中も結局脳裏から離れることができなかった疑問が今、はっきりと思考を支配する。
クラウドが初めてセシリアに出会ったのは春の舞踏会だった。レクトにエスコートされて現れた彼女の姿に、なぜか愛するセレナが重なった。
髪も瞳も、セレナにも自分にも全く似ていないというのにそう感じたのはなぜなのか。当時は何かの勘違い、気のせいかと思いあえて考えないようにしてきたが……。
(セシリア嬢が本当にセレナの娘出会ったなら……)
あの時感じた気持ちは勘違いではなく、本能的に血の繋がりを感じていたことになる。
(そうであればどれだけ嬉しいことか。だが、もしそうなら……セレディアは?)
父親譲りの銀の髪、母親譲りの瑠璃色の瞳を持つ少女、セレディア。騎士セブレが隣国で見つけてきたあの少女は一体誰だというのか?
(偽物だとでもいうのか? しかし、彼女は王都に来る前にアナバレスを訪れている)
アバレントン辺境伯領の小さな街、アナバレス。セレナと娘の二人家族が長らく暮していた街にセレディアはセブレとともに立ち寄っている。当然、誰も彼女を見知らぬ者だとは不審がってはいなかった。セブレによれば、久しぶりの再会をとても喜んでいたという。
(もしそれがセブレの偽証だったとして、それに何の意味がある。わざわざ娘の偽物を用意して、セブレに何の得があるというのだ)
何より、銀髪に瑠璃色の瞳を持つ年頃の少女を用意するのは簡単なことではない。クラウド自身、レギンバース家に関係する者以外で銀髪の人間を見たことがないくらいには珍しい髪色なのだ。だからこそ、セレナの娘はクラウドの子供であると考えられているほどであるのだから。
(それに忠誠心の厚いセブレが私を騙したなど信じがたい。であれば……)
やはりセレディアはクラウドの娘ということになる。
ということは、セシリアこそがセレナの娘であるという考えは勘違いだという結論になってしまうのだが、それもまた疑わしい。
セシリアとセレディア。初めて顔を合わせた時の感情の違い。クラウドと共有している母親の思い出の齟齬。クラウドの感情はセシリアこそが娘だと告げ、客観的事実はセレディアが娘だと主張している。
(何が本当で何が嘘なのか……もしかしたら二人とも私の娘ではなかったりしてな。そんなはずはないだろうが)
クラウドは自嘲気味に笑うと頭を左右に振った。まさか実の娘が王都でメイドライフを楽しんでいるとは思いも付くまい……思い付けるわけがない。
(それとも、これは私が自身を正当化するための言い訳に過ぎないのだろうか……?)
セレディアに初めて会った時、クラウドは彼女に何の感情も抱けなかった。他人のはずのセシリアには執着とも取られかねない感情を抱いたというのに、セレディアにはこれといった思いが湧き上がってこなかった。
その罪悪感から逃れるために、彼女が自分の娘ではない理由を無理矢理探して、粗探しをしているだけなのだろうか。
(……そうなのかもしれない。セレディアと私のセレナの思い出に違いがあるのは、時の流れの影響も大きいはずだ。子供を産んで考え方が変わったのだろう、きっと。セシリア嬢の母親がセレナとよく似た発言をしたのだって単なる偶然に過ぎないのかもしれない)
まるで自分に言い聞かせるようにクラウドは思考する。確かにクラウドとセレディアの間でセレナの思い出に齟齬はあるものの、だからといってそれが決定的な証拠にはなりえない。
先程自分で考えたとおり、嗜好が変わっただけかもしれないからだ。セシリアの母親がセレナに似ていたとしても、セレディアが偽物だという証明にはならないのである。
(セシリア嬢に母親の名前くらい尋ねてみればよかったな。そうすれば……どうだというのだ)
クラウドは自嘲するように微笑む。
(それでもし、セシリア嬢の母親がセレナでなかったら、私はどうするのだろうな)
やはり勘違いだったのだと、セシリアへの感情を捨て去るのだろうか。捨てられるのだろうか。
(私にそれを確かめる勇気はあるだろうか?)
セシリアに尋ねたい気持ちがある一方で、聞くのが怖いという感情も溢れてくる。勇気を出せば自分の願った未来がやってくる……なんて都合の良い幻想はセレナを失った時に捨ててしまった。
(ああ、ダメだな。何もやることがないと気分が悪くなる)
クラウドは執務机に肘を突きながら額を押さえて嘆息した。仕事に没頭でもしていないと、セレディアとセシリアの間で思考の無限ループが起きる。
だが、執事によればもう屋敷でできる仕事は残っていないらしい。あと一週間、やることがなければずっとこの調子だろう。どうしたものかとクラウドは嘆く。
(……宰相府へ行けば仕事はたくさんあるだろうか)
今日は伯爵家の仕事を優先したが、宰相府に行けば宰相補佐の仕事がまだたっぷりあるはずだ。気持ちの整理がつくまでしばらく宰相府に籠るのもいいかもしれない。
それがいい。
そう思い立ち上がろうとした時、執務室の扉を叩く音がした。
「レクティアス・フロード騎士爵がお戻りになりました」
「――っ! 入りなさい」
執事が扉を開けると、旅装束のレクトが入室した。格好から察するに、王都に戻るなりそのまま屋敷にやってきたのだろう。クラウドは先程までの情けない表情を改め、主に相応しい威厳のある態度を取る。
「閣下、ルトルバーグ領より只今戻りました」
「ご苦労。では報告を聞こうか」
「畏まりました」
執務机の前に立ち、レクトはクラウドに今回の旅について報告を始めた。
レクトによれば、ルトルバーグ領に着くまでに大分容態は回復したらしい。
「王都を離れて数日のうちにかなり調子が戻ったようです。ルトルバーグ領に着いてからは、まだ本調子とは言えませんがこちらを用意できるくらいには体力も回復しました」
レクトは懐から一枚の封筒を取り出した。セシリアからクラウドへの手紙である。別れ際の衰弱ぶりから全く想像していなかったのか、セシリアからの手紙にクラウドは瞳をパッと見開く。
差し出された封筒を恐る恐るといった雰囲気で受け取ると、クラウドは封筒に記された『セシリア・マクマーデン』という名前をジッと見つめた。
感慨深そうに封筒を見つめるクラウドをレクトは複雑な表情で様子を窺っていたが、クラウドはそれに気が付くことはなかった。
「閣下、私からの報告は以上です……よかったら手紙に返事を送っては如何でしょう」
「そ、そうだな。であればまずは読んでみなければなるまい」
「では、私はこれで失礼致します」
「ああ。今日はゆっくり休むといい」
レクトは騎士らしくピシッと一礼すると執務室を後にした。
室内にはクラウドただ一人。
封筒を開いて手紙を読む。王立学園編入に手を貸してもらったにもかかわらず王都を去ることになってしまったことへの謝罪。自分を気遣って快くルトルバーグ領へ送り出してくれたことへの謝意。手紙を書ける程度には復調したことや、ルトルバーグ領でよくしてもらっていること、ゆっくり静養してまた今度手紙を送ることなどが記されていた。
手紙を読み終えたクラウドは、ゆっくりと窓の向こうに見える空を見上げた。ついさっきまで感じていた焦りや疑念の感情は忘れてしまったように消え失せ、手紙を読み終えた余韻に浸る。
しばらく空を眺めていたクラウドは引き出しから便箋を取り出すと――。
「うーむ、何と返事を書いたものか……」
――セシリアへの返事の手紙を書き始める。
この瞬間だけは、クラウドの時間は穏やかに流れていくのであった。
☆☆☆あとがき☆☆☆
お休み、1日どころじゃなくてすみませんです。
おかげさまで今日から6章ラストまで毎日更新ノンストップで行きます。
よろしくお願い致します。
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