第13話 セレディア・レギンバース

「お久しぶりでございます、伯爵様」


「……ああ、久しぶりだな、セシリア嬢」


 挨拶を交わすメロディとクラウド。だが、自分でレクトに彼女を舞踏会へ連れてくるよう命じておきながら、クラウドの反応は素っ気なかった。


「あの、伯爵様。お加減は大丈夫ですか?」


「――? いや、特に問題ないが。どうしてそう思ったんだ?」


「……薄っすらですが、目に隈が浮かんで見えたものですから」


 クラウドは思わず目の下に指を這わせた。


「ああ、いや、最近仕事が忙しくて少々寝不足気味なだけだから気にするほどではない」


「そうですか。差し出がましい真似をしました。どうぞご自愛くださいませ」


 メロディはふわりと優しい笑みを浮かべた。


 ――ドクン。


(ああ、どうして……)


 クラウドの心臓が高鳴る。


(……なぜだ。セレナの忘れ形見、私と彼女の愛すべき娘と初めて会えた時でさえ、こんな気持ちにはならなかったのに……なぜ)


 自分はなんて薄情な男なのだろうと、高鳴る心臓の鼓動とは裏腹に心が冷めていく。

 娘が見つかったと知らされた時、正直物凄く期待した。ぽっかり空いた心の穴を埋めてくれる存在にとうとう会えるのだと……過剰に期待し過ぎたのかもしれない。

 目の前に現れた娘との邂逅に――クラウドは何の感情も揺れ動かなかった。


 伯爵家ゆずりの銀髪に、母親と同じ瑠璃色の瞳を持つ可憐な容姿の少女。間違いなく、クラウドとセレナの血を引いた娘であるはずなのに、彼の欠けた心が埋まることはなかった。

 だからここ数日、伯爵は悩んでいた。娘に何の感情も抱けない自身の酷薄さに。そのせいで寝つきが悪かったのは事実で、セシリアはそれに気が付いてくれた。


 そして、そのことが嬉しくてたまらない自分がいることに気付き……自己嫌悪に陥る。

(なぜ私は、髪も目もセレナと全く違う少女のことがこんなにも……)

 恋愛感情ではない。それは間違いないはずなのに、なぜこんなにもこの娘を前にすると心が揺れ動いてしまうのだろう。


(セレナとは似ても似つかないはずなのに、セレナとは――)


 ……本当に?


 優しい笑みを浮かべるセシリアの瞳は確かに赤色だ。しかし、その愛らしい瞳の形はまるで彼女の、セレナに似――。


「お父様」


 クラウドはハッと我に返った。背後から掛けられたその声に、まるで秘め事がバレてしまった時のような気まずさが溢れ出す。そのせいか、クラウドはついさっきまでぼんやりと考えていたことをすっかり忘れてしまうのだった。


「あ、ああ。セレディア」


「そちらの方はどなたでしょう? 私、同年代のお友達がいないので少し寂しくて。よろしければ紹介していただけないでしょうか」


 胸のあたりまで長い銀の髪と瑠璃色の瞳を持つ愛らしい少女、セレディア・レギンバースがメロディの前に現れた。彼女の傍らにはパートナーのセブレ・パプフィントスもいる。

 薄緑色の生地に銀糸の刺繍を施したドレスに身を包んだ少女、セレディアはメロディ達へ向けてニコリと微笑んだ。王国でも珍しい銀髪の少女の笑顔に、周囲の男性陣は思わず頬を赤くしてしまう。しかし、レクトの心には響かない……。


「そうだったな。セシリア嬢、この子は私の娘のセレディアだ。仲良くしてやってくれ」


「お初にお目に掛かります、セレディア様。セシリアと申します。平民の身ではございますが、どうぞお見知りおきくださいませ」


「……セシリア、さん?」


「え? はい、セシリアと申します」


 セレディアは目を点にし、口をポカンと開けたまましばしメロディを見つめていた。そしてレクトも彼女へ挨拶をする。


「……レギンバース伯爵家の騎士をしております。レクティアス・フロードです。よろしくお願いいたします……セレディアお嬢様」


「レクティアス・フロード……」


「彼は私と一緒にお嬢様の捜索に当たっていた騎士なのですよ」


 隣に立っていたセブレが少し誇らしげにレクトを紹介した。


「そう、なのですか……」


「セレディアお嬢様?」


 なんだか歯切れの悪いセレディアの様子にセブレは困惑するが、彼女はすぐに気を取り直したのか、元の雰囲気に戻った。


「セレディア・レギンバースです。どうぞ仲良くしてくださいませ、お二人とも」


 セレディアはニコリと微笑んだ。メロディもまた『こちらこそよろしくお願いします』と告げてニコリと微笑む。


(本当に私と同じ銀髪と瑠璃色の瞳なんだなぁ。世の中には自分によく似た人間が三人はいるっていうけど、世間は狭いものなのね)


 メイドに関係のないことには圧倒的な鈍さを発揮する少女、メロディ。こんな呑気なことを考えていた彼女には、セレディアの瞳の奥に灯る怪しい輝きに気が付くことはできないのであった。



◆◆◆



「ただいま戻りました」


「お帰りなさい、セシリアさん。あら、その方は……」


 レギンバース伯爵への挨拶を終えたメロディが、ルシアナ達のいる休憩エリアにやって来た。その後ろにセレディアとセブレを伴って。


「こちら、レギンバース伯爵様のご息女、セレディア様とパートナーのセブレ様です」


「初めまして。セレディア・レギンバースと申します」


「セブレ・パプフィントスです。よろしくお願いいたします」


「初めまして。私はルシアナ・ルトルバーグです」


 穏やかな挨拶が交わされる中、またしてもセレディアはポカンとしてしまう。


「……ルシアナ・ルトルバーグ様?」


「え? ええ、ルシアナ・ルトルバーグですが……?」


 目を点にしてこちらを見つめるセレディアを不思議に思いながらも、ルシアナは自分のパートナーを紹介した。


「こちら、私のパートナーをしてくださっているマクスウェル・リクレントス様です」


「初めまして、レギンバース嬢。マクスウェル・リクレントスです」


「マクスウェル・リクレントス様……」


 セレディアは何度も瞬きをしながらルシアナとマクスウェルを交互に見つめた。その様子にマクスウェルは内心で訝しむ。


(彼女、どうしたんだろうか。クリス達の話では、彼女は魔王に対抗する鍵ともいえる人物のはずだけど……何だか様子がおかしいような)


「……セシ……レク……ルシ……マク…………どうして」


「セレディアお嬢様、どうかされましたか?」


 隣に並ぶセブレにも聞き取れないような小さな呟きがセレディアの口から漏れ出る。セブレに問われ、セレディアはハッと正気を取り戻した。自分を訝しむ周囲の反応を見て、セレディアは切なさと寂しさを感じさせるような笑みを浮かべる。


「申し訳ありません。恥ずかしながらまだこのような場には慣れていなくて。緊張してしまって上手く言葉が出てきませんでした」


「まあ、そうだったんですね。斯くいう私も舞踏会はまだこれが二回目ですから、私も似たようなものです。お気になさらないでください」


 ルシアナはセレディアを安心させるように優しい口調で答えた。


「ありがとうございます、ルシアナ様」


「ルシアナ様、セレディア様は最近王都にいらしたばかりでまだお友達がいらっしゃらないそうなんです。こちらでご一緒してもよろしいでしょうか?」


「ええ、もちろんよ。皆もいいでしょう?」


 ルシアナが問うとベアトリス達も笑顔で快諾してくれた。提案したメロディもホッと胸を撫で下ろす。


「ありがとうございます、皆様」


 セレディアは嬉しそうに笑みを浮かべるのだった。


「国王陛下、王妃陛下、王太子殿下、ご入場!」


 それからすぐ国王一家が入場した。壇上に立つ国王にメロディ達が注目する。


「……あれ、王太子様もご一緒?」


「どうかしたの、セシリアさん?」


 不思議そうに首を傾げるメロディに、ルシアナが尋ねた。


「いえ、てっきり王太子様が皇女殿下をエスコートされると思ったので」


「言われてみれば……皇女殿下は誰がエスコートするのかしら?」


 二人は王太子の方を見た。澄ました表情をしているが何となく不機嫌そうにも見えるような……気のせいだろうか?


(国王様に呼ばれたはずのアンネマリー様の姿も見えないし、どうなっているんだろう?)


 メロディの疑問を他所に、国王による舞踏会開催の挨拶が始まった。


「皆、既に聞き及んでいるやもしれんが、本日の舞踏会には隣国ロードピア帝国よりお客人がいらしている。帝国第二皇女シエスティーナ・ヴァン・ロードピア殿下だ」


 皆噂を知っていたのだろう。周囲が騒がしくなり始めた。


「貴公らの知る通り、我が国とロードピア帝国の関係はあまり好ましいものとは言い難い。だが、隣国より関係を改善したいという申し出があり、此度、シエスティーナ殿下を今宵の舞踏会へお誘いする運びとなった。また、明日より新学期となる王立学園への留学も決定している」


 会場がさらにどよめく。

 舞踏会参加はともかく王立学園への留学までは伝わっていなかったらしい。


「やはり王太子殿下のクラス、つまりルシアナ様のクラスになるのでしょうか」


「うう、その可能性は高そうだけど……」


 メロディとルシアナが小声で話し合う中、他の者達も思い思いに憶測を並べていった。


「皇女殿下が学園へ留学するとなると、やはりクリストファー殿下と同じクラスに?」


「もしや、殿下との婚姻も視野に入れているのだろうか」


「そんな。クリストファー様にはアンネマリー様がいらっしゃるのよ?」


「だが、国益を考えるなら皇女殿下を正妃とし、アンネマリー様には側妃になっていただくことも考えねばなるまい」


「アンネマリー様が側妃だなんて……あんまりだわ」


 何の発表もされていないのに、既に王太子と皇女の婚約が成立したかのように話す者もおり、会場内は雑然とした雰囲気を醸し出し始める。


 アンネマリーを慕う者が多く、帝国との関係もあまりよくないせいか、クリストファーの正妻の座を奪いかねない第二皇女に対する不満の声がちらほらと聞こえてきた。


「アンネマリー様は婚約の話はないって仰っていたけど本当なのかしら?」


「どうなんでしょう。アンネマリー様にまで話が上がっていないだけかもしれませんし」


「お二人の婚約がいまだに成立していない理由が帝国皇女にあるのだとしたら……」


 ベアトリス、ミリアリア、ルーナの三人も不安そうに話している。


「……ルシアナ様、私、アンネマリー様と王太子殿下がご一緒のところを見たことがないのですが、お二人はやはり仲睦まじいのですか?」


「ええ、お互いのことをよく理解し合っている感じだったわ。学園でもよくご一緒にいて二人だけの雰囲気っていうの? そういうのを感じることがよくあったもの」


「そうですか……」


(そっかぁ、本当にそうなら国のためとはいえ仲を引き裂かれるのはつらいだろうなぁ)


 ……何もかもが勘違いであることに、この場にいる全ての者が気付いていないという恐ろしい事実よ。

 きっとアンネマリーがベアトリス達の会話を聞いていたら『なんでそうなるの!?』とでも叫んでいたに違いない。


 二人の婚約が成立していないのは本人達による妨害の結果であり、皇女の留学は今月唐突に決まったことだし、いまだ関係改善の目途など全く立っていない隣国の皇女との婚約など、国王はこれっぽっちも考えていないという現実。

 憶測って恐ろしい。今もありもしない噂話が飛び交い、舞踏会会場を騒然とさせていた。

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