第22話 キーラの言葉
八月七日。ルシアナの誕生日の朝、リュリアに起こされたルシアナは彼女から聞かされた内容に思わず渡されたティーカップを落としそうになった。
「メロディが病欠!? 本当なの?」
「はい、お嬢様。昨日と同じように申し送りにやってきたのですが途中でふらついて倒れてしまい、熱も少々あるようだったので今日は大事をとって休ませることにしました。幸い、人員は普段より多いくらいですし、そこまで困ることもありませんので」
「そ、そう……もしかして昨日食べたトマトのせいじゃ!」
「今のところ腹痛や嘔吐の気配はありませんのでしばらく様子見が必要かと」
「だったら一度お見舞いに……」
「しばらくはお控えください。風邪の可能性もありますし、何より今は眠っています。少々渋っていましたがベッドに入れたらあっという間に眠ってしまいましたので」
「……分かったわ」
渡されたティーカップに口をつけることも忘れて、ルシアナはしばし窓の外を眺めるのだった。
メロディに代わってリュリアに身支度を整えてもらうと、ルシアナ達は馬車に乗り込む。今回のメンバーはルシアナとヒューバート、護衛にダイラルとリューク、ルシアナの世話係としてマイカが同行する。
「ではライアン、屋敷のことは任せたよ」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ」
「リュリア、メロディのことお願いね」
「ええ、仕事の合間に様子を見ておきます。ご安心ください」
ライアンとリュリアに見送られ、ルシアナ達は出発した。今回、御者はダイラルがしてくれるようだ。車内には御者側にヒューバートとリューク、向かい合ったルシアナとマイカが座る。
「それにしてもメロディ先輩が病欠だなんて驚きましたね、お嬢様」
「ええ、本当ね。王都ではこんなこと一度もなかったのに」
窓の向こうを見やりながらため息をつくルシアナ。災難続きで精神的にかなり堪えているのかもしれない。まず実家がぺしゃんこになった時点でショックを受けて倒れていてもおかしくないのだから。
「……今日は雪が降るかもしれない」
「雪? 今は夏よ、リューク。どういう意味?」
車窓を眺めながらポツリと呟くリュークに首を傾げるルシアナ。マイカは「ああ」と納得の声を上げて頷いた。
「今日は槍の雨が降るかもとかってやつね。要するにとても珍しい日だって意味ですよ、お嬢様」
「メロディが体調を崩すことはそんなに珍しいことなのかい?」
「ええ、叔父様。メロディは普通の休みの日だって趣味で自主的にメイドの仕事を勝手にやって私達に叱られる程度にはとても元気な子なの。熱を出して倒れるなんて初めてのことよ」
「私はまだ付き合いが短いですけど、体調を崩してメイドをお休みするようなヘマするイメージはないですよね、メロディ先輩って」
「そ、そうなんだ。休みの日まで仕事をしていたのかい?」
「そうなの。ただ休むよりメイド業に勤しんでいた方が心も体もリフレッシュできると豪語して、私達の目を盗んではこっそりメイドをやるような子よ」
「人目を盗んで仕事をさぼる話はよく聞くけど、雇用主に隠れてこっそり真面目に働くってよく分からない子だね……」
「それだけメイドが好きなのよ、メロディは。だからこそ体調管理には気を付けていたのに」
「昨日まで普通に元気だったんですけどね。やっぱり昨日のトマトがあたっちゃったんでしょうか」
「グレイルは何事もなさそうだったんだけどな」
ルシアナの脳裏に思い返される今朝のグレイル。リュークから朝食をもらってお腹がいっぱいになったらそのままバスケットに直行した我が家の駄犬……ルシアナはハッとした。
(やだ私ったら。可愛いグレイルを駄犬だなんて……)
思い出されるグレイルの姿。悲鳴を上げて逃げ惑うグレイル。がむしゃらにえさを食べる食いしん坊なグレイル。実は猫なのではと疑ってしまうほど昼間からよく眠るグレイル。
「……駄犬の要素しかないわね」
結論、可愛いけれどグレイルはやっぱり駄犬でした。魔王の威厳よ、さようなら。
「何か言いました、お嬢様?」
「ううん、何でもないの気にしないで」
グレイルにとって非常に不本意な結論がルシアナの脳内で完成したが、この場ではどうでもよいことである。
一旦話が途切れ車内に沈黙が走る中、ヒューバートが口を開いた。
「改めて今日の予定を確認しよう。これから俺達は三つの村全てを回って現状確認を行う。まずは東のグルジュ村、次に北のテノン村、最後に南西のダナン村と一日で領地を一周するかたちだ。全ての村の野菜畑と小麦畑を確認し、村長以下村人達から話を聞き今後の対応を考える。一日仕事になるだろう。ルシアナ、一応確認するけど今日はずっと付き合ってくれるということでいいかな」
「ええ、叔父様。そのつもりよ」
「だけど今日は君の誕生日だ。お祝いの時間が取れなくて申し訳ないけど、屋敷でゆっくりしてくれてもいいんだよ」
気遣わしげなヒューバートだが、ルシアナは首を左右に振って答えた。
「気になってとても誕生日気分でなんかいられないわ。だったら私も領地のために何かしたいの。このまま一緒に手伝わせて、叔父様」
「……そうだね。分かった、よろしく頼むよ。それじゃあ、ルシアナには今日一日付き合ってもらうということで、マイカはルシアナの世話を、リュークはルシアナの護衛をよろしく頼むよ」
「……畏まりました」
「任せてください! お昼ご飯もちゃんとリュリアさんに用意してもらっているので万全です」
マイカは膝に置いてあった箱型のバスケットを自慢げに持ち上げた。十歳の女の子が大きなバスケットを掲げる姿がなんだか微笑ましくてルシアナとヒューバートはつい口元を綻ばせる。
「メロディ先輩がいたら手ぶらで済んだんですけどね」
バスケットを膝の上に戻すとマイカは眉尻を下げて微笑んだ。御者台にいるダイラルを除けば車内にいるのはメロディの魔法の存在を知る者だけ。気軽に話せて少しだけ気楽なマイカである。
「では各自、村についたら自分の仕事をしっかり頑張ろう」
ヒューバートの言葉に各々が了承の返事をした。だが、彼らはまだ知らない。馬車の中で掲げた意気込みが見事なまでに空回りしてしまうという事実に。
グルジュ村に到着すると馬車は村長の家に向かった。やはり知らせが来ていたのか、家の前には村長とキーラがルシアナ達を出迎えてくれる。
「ようこそいらっしゃいませ、ヒューバート様、ルシアナ様」
「出迎えありがとう、村長。早速なのだが昨日報告にあった野菜畑の件について話がしたいんだが」
ヒューバートがそう言うと、村長とキーラは互いにチラチラと視線を交わし始めた。
「どうかしたのかい? 何か新たな問題でも」
昨日の今日で何か大きな変化でも起きたのだろうか。少々不安な気持ちでヒューバートが尋ねるが、村長もまた困惑しているようだった。
「……つまり、村中の野菜から斑点が消えてしまったと?」
「はい、その通りでございます」
ルシアナ達が昨日確認した野菜畑に向かう道すがら、村長から説明を受けるヒューバート。その隣ではルシアナがキーラから話を聞いていた。
「今朝、昨日から変化はあったか確認するために畑を見に行くと、昨日は確かにあったはずの斑点が全ての野菜から消えてなくなっていたんです」
「全て? じゃあ、あの畑だけじゃなくて他の畑も?」
「はい。つい先ほど全ての畑を見て回りましたが、どこも完全に斑点が消えていたのです」
ルシアナ達は野菜畑に到着した。昨日困り果てていた畑の村人は嬉々とした様子で畑の手入れに精を出している。昨日の陰鬱そうな雰囲気が嘘のようだ。
「確かに斑点は見当たらないね」
「ヒューバート様、私どもは決して嘘など申してはおりません」
「あはは、分かっているよ村長。他の村からも報告は上がっているし、ルシアナも見ているのだから見間違いとも思っていないさ」
「そもそもメロディが味見をしてるんだから間違いないわよ」
「あら、そういえば今日はメロディさんはいらっしゃらないのですね」
「……ええ。彼女、今日は体調を崩して休んでいるの」
「まあ。まさかあのトマトのせいで?」
「まだよく分からないわ。少し熱があったから休んでもらっているんだけど」
「うーむ」
各々が会話をするなか、ヒューバートは野菜畑の前で考え込む。発生した原因も不明なら斑点が突然なくなった理由も不明。斑点を直接見ていないヒューバートからすると化かされたようにさえ思える状況であった。だが、事態はそれだけでは済まないらしい。
「ヒューバート様、ご報告したいことがまだございまして」
「まだ何かあるのかい?」
「はい。それが、小麦畑についてなのですが」
「小麦に何かあったのかい? ただでさえ収穫の見込みが厳しいというのに」
「いえ、そうではなくて……やはりこれも直接見ていただいた方が早いかと」
説明に困る村長の姿にヒューバートは首を傾げた。今度は何だというのだろうか。頭に疑問符を浮かべながら小麦畑に向かったヒューバートは驚きのあまり絶句することとなる。
「…………」
「お気持ちは分かります、ヒューバート様」
「如何でしょう、ルシアナ様」
「……凄いわ」
目の前の光景にルシアナも呆然としてしまう。小麦畑の姿が昨日とは全く違うものに変貌していたからだ。
そう、豊作の小麦畑にルシアナ達は圧倒されていたのである。
「これは、どういうことだい?」
ヒューバートは呆然としながら尋ねるが、村長もその答えを有してはいなかった。
「残念ながら私にもよく分かりません。今朝、いつものように小麦畑の様子を見に行ったら既にこうなっていたのです」
風に揺れるずっしりとした大きな麦穂が一面に広がっている。昨日までは確かに生育不良で今年の収穫が危ぶまれていたというのに、今や来月の収穫を待たず今から行っても問題ないかのような出来の小麦が畑を埋め尽くしている。
ヒューバートは村長とともに畑の中に入り、小麦の状態を直接確かめ始めた。遠くからでも分かるほど、ヒューバートから喜色に富んだ雰囲気が溢れ出していることが分かる。
「こんな、凄い……たった一晩で麦が急成長したっていうの?」
「私にも理由はさっぱりです。ですが、まるで昨日まで溜めに溜め続けた成長が一気に起きたかのような景色に圧倒されるばかりですわ」
「そうね……」
こちらも野菜畑同様、不作になった原因も不明なら急成長した理由も不明。分からないことだらけだが、この調子ならグルジュ村の収穫は期待できそうである。懸案事項が一つ減って、ルシアナはホッと安堵の息を零した。
そう、キーラからあの言葉を聞くまでは。
「本当に素晴らしいです。まるで絵本に登場する大魔法使いの奇跡を目の当たりにしたようで」
「「え?」」
ルシアナとマイカが声を揃えてキーラを見た。
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