第15話 空気の読めない男
「え? ルシアナ? そ、そんなわけないじゃないか。何を言っているんだい?」
ルシアナはついさっきシュウに見せたような冷笑を浮かべてヒューバートを見つめている。
「……そう。信じていますからね、叔父様」
ヒューバートの肩からルシアナの手が離れる。かなりの身長差があるというのによくやるものだ。
「大丈夫だよ。その……メロディがその、俺の初恋の人に少し似ていたから驚いただけなんだ」
ヒューバートの言葉にメロディ達は目をパチクリさせて驚く。
「ヒューバート、お前そんな相手がいたのか? 初耳だぞ」
「そりゃあ、兄上には言ってないからね。というか、誰にも言ってないし」
「叔父様、そんな相手がいたのならご紹介くださればよかったのに」
「いやあ、無理だよ。その人、俺が知り合った時既に身重だったし」
「「……」」
言葉が出ないルシアナとヒューズ。初恋の相手が人妻……え? これ聞いて大丈夫な話?
ヒューバートは何か思い出すように遠くを見やった。
「旦那さんと別れて、実家も頼れなくて一人で子供を育てるつもりだったらしいんだけど、その、好きになっちゃったんだよね。あはは」
「その方とはどうなったんですか?」
ルシアナに問われ、ヒューバートは恥ずかしそうに頭をかいた。
「実は彼女、妊娠中だっていうのに王都を離れて旅をしていて、途中で体調を崩したところを俺が見つけたんだよ。しばらく東のグルジュ村に住まわせて子供も生まれて、それから一年くらい経った頃かな。さらに王都から離れた西の方へ移住すると言って村を出て行ってしまったんだ」
「その方とは上手くいかなかったのですね。残念です」
「うーん、ルシアナ。気持ちは分かるが少々厳しいよ。その娘、村に住まわせたところを見るに平民だったんだろう? そのうえ子持ちとなるとさすがに結婚を許可できるかどうか」
「いや、どのみち無理だったんだよ。旦那と別れたといっても止むに止まれぬ事情があったみたいで、彼女は今でも旦那を愛していたみたいだから。……その、滞在中に求婚してみたんだけど、やんわり断られてしまってね。ははは」
「「……」」
またしても次の言葉が出てこない二人。完全に初恋を拗らせている男が目の前にいた。ヒューバートは照れ隠しのような笑いを終えると、優しそうな視線をメロディへ向ける。
「……君の笑顔が不思議とあの人に似てる気がして思わず見惚れてしまったんだ。すまないね、メロディ」
「いいえ。お気になさらず」
メロディはニコリと微笑む。ヒューバートは目を細めてメロディを見た。
(彼女も、セレナもあんな風に笑う娘だった。今頃どうしてるんだろう……?)
ヒューバートは知らない。目の前にいるのがそのセレナの娘であり、当のセレナは既にこの世を儚く去ってしまっていることに。
そしてメロディもまた気付かない。ヒューバートの初恋の相手がセレナであることも、ましてや自分が生まれた地がこのルトルバーグ伯爵領であったという事実にも。
メロディが気付く日はいつになるのか、それはまだ誰にも分からない……。
微妙な空気になった場で、ヒューズは咳払いをした。
「とりあえず、私がここにいる理由から説明しようか」
「あ、そういえばどうして兄上がここに? ルシアナとほぼ同じタイミングで領へ戻ってくるなんて、直後に出発したってことだろう? 王都で何かあったのかい」
「いや、実は――」
そしてヒューズ達はメロディの魔法について説明を始めた。その内容にしばらく首を傾げるヒューバートであったが、目の前の光景を見て納得したように首を縦に振る。
「俺が村に行っている間にこの屋敷を建てたのかい? 凄まじいとしか言えないね」
「申し訳ありません」
「ははは。メロディ、何を謝る必要があるっていうんだい。正直、今夜の寝床をどうするか今の今までうっかり忘れていたくらいだ。感謝こそすれ非難するつもりは全くないよ」
「ありがとうございます」
メロディはニコリと微笑んだ。
ポッ。
「……叔父様。ねえ、叔父様。本当に大丈夫ですよね。信じていいんですよね?」
「だ、大丈夫だよ、ルシアナ。もう単なる条件反射みたいなものだから。俺が好きなのはメロディじゃなくてあの人だから」
そんなやり取りをしつつ、メロディの件を把握したヒューバートは今後の対応を語った。
「よし、それじゃあ兄上、屋敷に関しては後日報告書を送るからそれに基づいて対応してほしい」
「ああ、分かった」
「えーと、リュリア達メイドはまだ眠っているね。となれば、ルシアナ。仮宿の屋敷については開き直ることにしよう。『最初からここにありましたけど何か?』で俺と君で押し通す。いいね?」
「それで皆納得してくれるかしら?」
「言っただろう、押し通すと。俺達の演技力がものを言う。頑張ろうな!」
「分かりました」
「あとはメロディ。せっかく綺麗に整頓してもらって悪いんだが、瓦礫を元通りバラバラに積み直すことはできるかな?」
「それはもちろん可能ですが、どうしてですか?」
「仮宿に関しては最初からここにあったで押し通すつもりだけど、さすがにこの短時間で整理整頓された瓦礫の山は言い訳しにくい。どのみち兄上に報告することになるんだし、対応が決まるまで元の状態を保った方が何かと楽だと思う」
「承知いたしました。ではすぐにでも」
「あ、でも回収した使える道具と領地の運営資料は残してもらえるかな。特に領地の資料がないと今後に差し障るから。そっちに関しても『頑張って集めました』で押し通すことにしよう」
あまりに豪快な対応にメロディはしばし目を瞬かせたが、やがて可笑しそうに微笑んだ。
「畏まりました。では……伸びろ、仮初めの手『
念動力の見えざる腕が丁寧に積み重ねられた材木等を持ち上げた。その数千本。その腕を目視することができていれば、メロディ千手観音の図を目にすることができるだろう。
千本の腕をマルチタスクで操作するメロディ。まるで最初から設計図があったかのように、みるみるうちについさっき見たものによく似た瓦礫の山が構築されていく。丁寧にかつ迅速に行われるそれはほとんど音を立てることもなく、少し離れたところで眠るメイドの意識に全く干渉しない。
「……ははは。確かにこれは隠しておいた方がいい力だね」
「あとはどれだけ本人が気を付けてくれるかよ」
「まあ、そのあたりも優秀だから大丈夫だとは思うんだが」
ルトルバーグ家の三人は驚きつつも呆れた表情でメロディの作業を眺めるのであった。
◆◆◆
しばらくしてヒューズは『迎賓門』で王都へ帰って行った。瓦礫の積み直しも終わり、メロディ達は屋敷跡から回収した使える道具や領地運営資料を小屋敷へ運び込み始める。
そうしているうちにまず帰って来たのはダイラルであった。
「ぜぇ、ぜぇ、ヒューバート様……置いて行かないで、ください」
「遅かったね、ダイラル。もう少し足が速くなってくれると助かるよ」
膝に手をつき、肩で激しく息をするダイラル。ヒューバートに全く追いつけず、それでも全力疾走してきたのだろうことが窺える姿であった。
「ぜぇ、ぜぇ、そんなのすぐにどうにかなる、問題じゃないでしょう……あれは何ですか」
まだ息が荒いダイラルの視界の端に何かが映った。もちろんそれはメロディ作の小屋敷である。
「何とは?」
「いや、あの見知らぬ屋敷ですよ。あんなもの昨日まであそこになかったじゃないですか」
「何を言っているんだい、ダイラル。あれはいざという時のために用意しておいた避難用の屋敷じゃないか。忘れてしまったのかい?」
「ええ? そんなはずは……」
「叔父様、きっとダイラルは走り過ぎて疲れているのよ」
「そうだね、ルシアナ。きっとダイラルは疲れているんだよ」
「いえ、それとこれとは話は別で……」
「「最初からここにありましたけど何か?」」
「……」
キラキラした笑顔を並べるヒューバートとルシアナ。それはもう見事なまでの作り笑顔。有無を言わさぬその雰囲気にダイラルは言葉を返すことができない。
やがて諦めたかのように首を振ると、ダイラルは普段の表情に戻った。
「……分かりました。そうですね、前からありましたねあの屋敷。……これでよいのでしょう?」
「何がいいのか分からないけど、うん、そうだね、あの屋敷は最初からあそこにあったんだ」
「そうですね、叔父様。あの屋敷を用意しておいて本当に助かったわ」
ふふふ、はははと笑い合う二人。どう考えても何かありましたとしか言えない状況だが、貴族的な笑みをあえて浮かべている二人を前に、ダイラルにはどうすることもできなかった。
(当家では随分と珍しいことだが、要するに詮索無用ってことなんだろうな……)
二人に知られないようにこっそりと嘆息するダイラル。なぜ、どうやっていきなりあんな屋敷が建ったのか全く理解できないが、大らかな伯爵家の面々でさえ信頼する使用人に隠さなければならないような理由があるのだろうと、ダイラルは心得たのであった。意外と空気の読める男である。
その後、戻ってきた執事のライアンと目を覚ました三人のメイド達にも同じ対応をし、長年仕えてきた経験則があるゆえか二人の意図を組んで彼らもダイラル同様の対応をしてみせた。
ただ一人、シュウを除いて。
「は? え? ナニコレ? いや、え? ホント何なんすかこれ?」
「「最初からここにありましたけど何か?」」
「いや、ないでしょ。ついさっきまでなかったっすよあんな家。いやいやいや、おかしいでしょ!」
「「……」」
キラキラ笑顔を浮かべたまま無言になる二人。シュウは今も屋敷を見つめながら「ナニコレ?」と呟き続けている。使用人歴が浅い彼にはルシアナ達の意図が全く読み取れていなかった。
「ヒューバート様、どういうことか説明してほしいです!」
「……シュウ、少し落ち着きなさい」
「いやいやいや、ライアンさん、これが落ち着いていられるわけないっすよ。だって見たこともない屋敷がいきなり現れたんですよ! どういうことなのかきちんと知りたいじゃないっすか!」
『頭痛が痛い』とでも言いたげに額に手を添える使用人達。シュウは空気の読めない男だった。
だからまた、彼の肩に細い手が忍び寄ることとなる。
「シュウ」
「へ? お、お嬢様? あれ? あの、なんかメッチャ怒って……ます?」
万力のように肩を掴む手に恐怖心が蘇る。冷笑を浮かべるルシアナは、既に扇子をハリセンに変えて手にしていた。
「……おっふ」
「……何か、言いたいことでもあって?」
「ないっす! いやー、素敵なお屋敷が最初からあったんすねー! これで今日の寝床を心配する必要もない。さすがはお嬢様! 最初からこんな屋敷を用意しておいてくれるなんて素晴らしい!」
額から汗を垂らして必死にそう叫ぶシュウ。ルシアナはニコリと微笑んでシュウの肩から手を離した。ハリセンが扇子に戻り、口元にパッと開くとルシアナは呟く。
「……ホント死ねばいいのに」
「お、俺、屋敷の荷物整理手伝ってきまーす!」
シュウは逃げるように屋敷の方へ駆けだした。というか逃げた。領地の使用人達はシュウの様子に呆れつつも、自分達もまたどう見ても新築にしか見えない屋敷を整えに向かうのであった。
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