第13話 セレーナの日常

 時間は少し遡る。メロディ達の学園生活が二週目に入り、三日が経った頃。


 セレーナはいつも通り、日の出の少し前に目を覚ました。


 魔法の人形メイドセレーナは本来睡眠を必要としない。だが、ルトルバーグ家でメイドとして行動する以上、人間的に行動した方がよいというメロディの判断によって、彼女には睡眠機能が与えられていた。ある程度の魔力節約効果もあるので、セレーナは必要のない限り人間らしい生活を送るよう心掛けていた。


 メロディの隣の使用人部屋を与えられた彼女の部屋には、同居人がもう一人、いや一匹。今や魔王の面影など欠片も見当たらない子犬のグレイルが、ベッド脇に置かれたクッション入りのかごの中でダラリと仰向けになって寝息を立てている。


「むにゃむにゃ、愚民どもひれ伏すがいぃ……ぐぅぐぅ」


 まるで人間の言葉を話しているようなグレイルの寝息に、セレーナはクスリと笑ってしまう。


 初めてそれを聞いた時はとても驚いたが、数日過ごすうちに慣れてしまった。


 毎回とても心配になりそうなセリフに聞こえるが、あまりにだらしない表情で言うものだからむしろそのギャップが可笑しくて仕方がない。


 身支度を整えると、まだ眠っているグレイルを置いてセレーナはメイド業務を始めるのだった。


「おはようございます、旦那様、奥様」


 屋敷の清掃を終えると、次は伯爵夫妻を起こすためアーリー・モーニング・ティーを夫妻の寝室へ運ぶ。この時、ノックしてから入室が許可されるまでしばらく待つのがミソだ。うっかりすぐに入ってしまうと、どこかのお嬢様のように悲鳴を上げる光景に出くわすことになりかねない。



 お茶を終えると、今度は夫妻の身支度を整える。まずは家長のヒューズからだ。


 これで男性主人専用の使用人ヴァレットか執事でもいれば任せられるのだが、いないものは仕方がない。男性の肌着姿など何のその、セレーナはササッとヒューズの着替えを手伝った。


「ふむ、やはりメイドだけでなく見習いでもいいから執事も必要だな」


「領地から連れてくるわけにもいきませんしね」


「そんなことをしては、今度は向こうが立ち行かなくなってしまうよ」


 髪や服装を整えるマリアンナを待ちながら、夫妻は現状について話し合う。ルシアナの王太子を守ったことによる報酬と、ヒューズの宰相府任官による給金のおかげでこちらでも使用人を雇う程度の金銭的余裕は生まれるようになった。使用人の募集に応じる人間がいない点は別にして。


 だが、それでもまだ伯爵家の財政は苦しいのが現状だ。


 領地経営も何とか赤字にならない程度であり、領地の使用人も最低限の人数でこなしている。王都の屋敷の使用人を増やしたかったら、新たにこちらで雇い入れるしか手段はなかった。


「奥様、完了しました。いかがでしょう?」


 二人が話しているうちにマリアンナの身支度が整う。特に不満なところもなくマリアンナが了承すると、二人は朝食を取るために食堂へ向かった。




「セレーナ、商業ギルドから使用人募集の件で連絡はあったかい?」


「いいえ、旦那様。今のところ何もございません」


 朝食後のティータイム。セレーナの回答にヒューズは少しだけ不満そうな表情でお茶を飲んだ。


「午後から確認してまいりましょうか?」


「……そうだな、頼む。執事が欲しいとは言ったが、正直、執事とやはりもう一人メイドが欲しいところだ。いつまでも君とメロディに頼りっぱなしというのもよくないからな」


 セレーナは眉尻を下げて微笑む。


 それも仕方がない。現状のルトルバーグ家は、その生活水準やセレーナを含めてまるっとメロディにおんぶに抱っこ状態なのだから。もしメロディが伯爵家を去るようなことになれば、あっという間に彼らは再び『貧乏貴族』らしい生活を余儀なくされるだろう。


 メイド仕事をこよなく愛するメロディが伯爵家を去る姿は正直想像できないが、最悪の可能性を考慮するのは一家の主の大切な役目だ。メロディが病気になる可能性だってある以上、メロディとセレーナ以外の使用人を屋敷に置くことは急務であった。


「セレーナ、今は紹介状ありで使用人を募集しているだろうが、この際、その条件を取り払ってくれて構わない。実際、メロディの時もそうだったらしいからね。雇うかどうかは最終的に面接して決めるから、条件の変更を商業ギルドに伝えてくれ」


「畏まりました、旦那様」


 その指示を出した後、二人に見送られてヒューズは宰相府に出仕すべく屋敷を後にした。玄関の扉が閉まり、セレーナはマリアンナに確認を取る。


「奥様、本日のご予定はいかがいたしますか?」


「今日は、ハウメア様とクリスティーナ様からいただいた手紙の返事を書くわ。午後に商業ギルドへ行くついでに郵便を出して来てくれるかしら? 午後からは自室でのんびりさせてもらうわね」


「畏まりました。申し訳ございません、私もお姉様のように『分身』を生み出せれば午後にご不便をかけずに済むのですが……」


 メロディから記憶以外の知識と技術を継承しているセレーナは、基本的にメロディと同等のメイド技能を有している。だが、魔法に関してまでそういうわけにはいかなかった。


 ある程度の魔法なら行使できるが、メロディから与えられている魔力の大半はセレーナ自身が活動するためのエネルギーだ。首の銀細工に貯蔵されている魔力だけでは、さすがに自分の元となった魔法『分身』を再現することはできなかった。


 ……できたら本当に量産型メロディである。恐ろしい。


「ふふふ、あなたがいてくれるだけでとても助かっているのにそんな贅沢は言わないわ。それに、そのために今日は商業ギルドへ行ってもらうのだから、気にせずお仕事をしてちょうだい」


「痛み入ります、奥様」




 一旦マリアンナと離れ、調理場へ行くセレーナ。そこにはグレイルが待ち構えていた。


「おはよう、グレイル。今、朝食の準備をするから待っていてね」


「ワンッ!」


 いつの間にか目を覚ましていたグレイルは、待ち遠しいと言わんばかりに大きな声で鳴いた。


「さあ、できたわ。召し上がれ」


「キュワンッ♪」


 グレイルは器の中に顔を埋めた。器の奥から「うまうま」という咀嚼音が聞こえる。なぜ毎回人間の声のように聞こえるのか不思議だが、見ている側からすれば可愛らしいことこの上ない。

 やがて全てを食べ終わったのか、グレイルは顔を上げた。満足げな表情を浮かべている。


「ふふふ、お粗末様でし、きゃっ」


「ワンワンッ!」


 食事を終えたグレイルが突然、容器を回収しようとしたセレーナの胸元に飛び込んできた。構ってほしいのだろうか、セレーナにすり寄っては気が向いたところをペロペロと舐めてくる。


 顎先を舐められ、セレーナは思わず首を反らした。そしてグレイルの舌はよく目立つ首元の銀細工へ向けられ――。


「キャワンッ!?」



 ――銀細工を舐めた瞬間、グレイルの全身の毛が逆立った。



「え? グ、グレイル?」


 両目を見開き、大きく口を開けて、まるで体中を電撃が駆け巡ったようにピシリと固まってしまうグレイル。やがて正気を取り戻したのかグレイルは周囲を見回し、セレーナと目が合った。


「キャイーンッ!?」


 お笑い芸人……ではなくて。グレイルは大きな悲鳴を上げると逃げるようにセレーナの腕から飛び出し、一目散に調理場から出ていくのであった。


「……チョーカーに静電気でも溜まっていたのかしら?」


 銀細工に触れてみるが、別に何ともなかった。ただそれ以降、グレイルは怯えた目でセレーナを見るようになってしまった。相当ショックだったようだ。ちょっと悲しいセレーナである。


 一体、グレイルの身に何が起こったのだろうか?


 まったくもって本当に謎であるうんうん。






 そして午後、セレーナは商業ギルドへ。カウンターで使用人募集の条件変更をお願いする。


「ご要望は承知しましたが、貴族の使用人が紹介状なしで本当によろしいのですか?」


「ええ。とにかく希望者が現れませんとどうにもなりませんから。もちろん面接をしたうえで雇いますのでご心配なく」


「分かりました。それではその条件で再度使用人募集の掲示をさせていただき――」





 その時だった。




「あ、あの、その使用人募集、私を雇ってもらえませんか!」




 セレーナが背後の声に思わず振り返ると、桃色の髪の小さな女の子が立っていた。





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