第11話 ルシアナの魔法訓練
二週目に入った学園生活。その四日目の夕方、学園から帰宅したルシアナを待っていたのは満面の笑みを浮かべるメロディであった。
「どうしたの、メロディ? 随分嬉しそうだけど」
「だってだってお嬢様! お嬢様!」
キャーとかやったーとか言いながらルシアナの前で飛び跳ねるメロディ。そしてようやくなぜこんなにも喜んでいるのかを知ることができた。
「セレーナから手紙が来たんです! 王都のお屋敷に新しいメイドが入ったそうなんですよ!」
「本当!? やったじゃない、メロディ!」
驚きの知らせに今度はルシアナまで飛び上がって喜びだす。ツッコミ不在の中、二人は手を取り合ってしばらく部屋中でぴょんぴょん跳ね回るのであった。
そして――。
「この部屋の造りが頑丈で本当によかったわね」
「そうですね……ご近所に響いてなければいいんですけど」
冷静になった二人は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。まあ、当然の反応である。
「それで、手紙にはなんて書いてあったの?」
「あ、はい。詳細は帰った時に教えてくれるそうなんですが、正確にはメイド見習いとして雇うことになったそうです。経験がないので今からセレーナが指導すると書いてありました」
「そっか、即戦力じゃないのね。それはちょっと残念だけど、うちに来てくれる使用人が現れただけでも喜ばしいことだわ」
どんな経緯で見つかったのかは不明だが、ようやくルトルバーグ家に新しい使用人が入ることとなった。つい最近、同僚とのチームワークについて考えるようになったメロディとしては、これほど嬉しいことはない。
「ふふふ、次の休みが楽しみね」
「はいっ!」
セレーナの手紙をそっと胸に抱えながら、メロディは満面の笑みを浮かべた。
「へぇ。じゃあ、騎士道の助手仕事は上手くやれてるんだ。……臨時講師があのレクティアス・フロードだったなんて初めて知ったけど」
「はい。レクトさんも生徒の皆さんもとても優しく接してくださるのでやりやすいですよ」
「ふーん、とっても優しくねぇ……」
夕食を終えたルシアナは、食後のティータイムを楽しみながらメロディの近況を聞いている。まさか許可を出した選択科目の講師があの憎き騎士だったとは夢にも思わず、メロディの報告を笑顔で聞きつつも内心では苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「とにかく、上手くいってるようでよかったわ。ちょっと羨ましいわね」
ルシアナは小さなため息をついた。
「お嬢様、学園で何か問題でも?」
「……大したことじゃないの。ただ、興味のある選択科目が受講不可だから残念だなって思って」
「受講不可? そんなものがあるんですか?」
「応用魔法学よ。あの授業は魔法を使える人しか参加できないから」
どうしようもないことだと、ルシアナは眉尻を下げてそう言った。
選択科目『応用魔法学』。
今は仮受講期間なので見学くらいはさせてもらえるが、基本的には魔法を使える人間に実践的な魔法の使い方やその他の魔法技術について講義を行う授業である。
自分で思っていた以上にルシアナは魔法に興味があったらしい。魔法を使えない人間の憧れとも考えられるが、身近にとんでもない魔法を行使する可憐なメイドがいるのだから、興味を持つようになっても何の不思議もなかった。
せめて見学だけでも続けられればいいのだが、仮受講期間を過ぎたらそれもダメらしい。
「ルーナも興味はあるから受けられるものなら受けたかったんだけど、こればっかりはね……」
ルシアナを含めたルトルバーグ家の面々は、代々魔法の才能に乏しかった。五歳の時に領地の教会で魔力の有無を確認してもらったが、判別できるかどうかギリギリなほどに少なかったそうだ。
「でも魔力自体はあるんですよね?」
「『ないわけではない』程度の魔力よ」
メロディはしばし考えた。自分にも似たような経験があったからだ。
確か自分の時は――。
『魔力の気配は感じます。ですが、魔法を発動させるには何かが足りないようです』
(――て、言われたんだっけ。でも今、私は魔法を使えている。……だったら)
「お嬢様、諦めるのはまだ早いかもしれません。私と一緒に少し訓練してみませんか? もしかしたら魔法が使えるようになる可能性も――」
「本当っ!?」
ルシアナは大きく身を乗り出した。瞳に期待の光が灯っている。まるで帰宅時の立場が逆転してしまったかのようだ。勢いよく詰め寄られ、メロディは思わず身を反らしてしまう。
「か、確証があるとは言えません。でも、私も最近まで魔法を使えなくて……」
「そうなの!? 子供の頃から使えてたんじゃないの!?」
「ええ、本当に最近のことで。だから、やり方次第ではお嬢様ももしかしたら」
「お願い、メロディ! 私、魔法が使えるようになりたい! 何か方法があるなら手伝って!」
ルシアナはメロディの手をバッと包み込み、懇願するような視線を送った。
「……はい。難しいかもしれませんが、やってみましょう」
正直、安請け合いな部分は否めない。自分だってなぜ魔法が使えるようになったのか、理論立てて説明できるわけではないのだから。それでも、何とかしてあげたいと思うメロディだった。
「というわけで、促されるまま寝室に来たけど……」
ルシアナは頬を赤らめてもじもじしだした。メロディは不思議そうに首を傾げる。
「どうかしましたか、お嬢様?」
「だって、魔法を使えるようになるために寝室へ来るなんて……その、そういうことでしょう?」
「そういうこと?」
「以前、何かの物語で読んだもの。相手に魔法を通しやすくするために、その男女はお互いの肌と肌を密着させて……きゃっ」
「一体どこでそんな本を読んだんですか! 全然違います! そんな工程必要ありません!」
「そうなの?」
「どうしてちょっと残念そうなんですか!? 万が一に備えて倒れても大丈夫なようにベッドの上で行うだけですよ」
「なんだ。さっきからカーテンの閉め具合をやたら気にしてるから、私はてっきり……」
「これは私の経験に基づく予防策です。お嬢様、『灯火(ルーチェ)』という魔法をご存知ですか?」
「小さな明かりを灯す魔法でしょ。魔法の中では初歩中の初歩よね。私は使えないけど」
「私が初めて使った魔法もそれでした」
「へぇ、そうなんだ」
「その初めて発動した『灯火』が、太陽のような閃光を放ったんです」
「……ん?」
「危うく失明するかと思いました。本当にびっくりです。まさか『灯火』があんなに危険な魔法だったなんて。ですので、こんな夜にそんな魔法を行使したら部屋から光が漏れて大変です。だからカーテンはきっちり閉めておかないと」
「……たとえ魔法が使えるようになったとしても私には無理だと思うよ」
何ともメロディらしい失敗談である。多分メロディの魔法知識の矯正はこの時に行っておかなければならなかったんだろうな、とルシアナは一人納得するのだった。
部屋のカーテンの確認を終えたメロディは、早速ルシアナの魔力測定を開始した。
ベッドの上に向かい合って座り、ルシアナの手を取るとメロディはそっと目を閉じる。
この世界の住人はそれほど魔力の気配に敏感ではない。魔法として外界に現出したものならばともかく、精密な魔力探知には専用の魔法が必要だった。
王国筆頭魔法使いスヴェンがヴァナルガンド大森林外縁に展開している侵入者用の感知結界や、アンネマリーのオリジナル魔法『凝視解析(アナライズヴィジョン)』などがそれに該当する。
だが、メロディならば魔法がなくともと思う者もいるかもしれないが、むしろ逆であった。
魔王さえ片手間で浄化できてしまう強大にして膨大な魔力を有するメロディにとって、人間一人が保有している魔力量などまさに月とスッポン、象と蟻、鯨と鰯に、雪と墨なのである。
つまり、自分と比較してあまりにも小さな魔力ゆえに、メロディは他者の魔力には極めて鈍感なのであった。正直、これっぽっちも脅威にならないという点も大きな原因のひとつだろう。
「……確かに少ないですが、お嬢様の魔力を確認できました。きちんと技術さえ習得できれば今の魔力量でも小さな光を灯したり、少量の水を生み出すくらいはできると思います」
「そうなの、よかった。でも、手を握るだけでよくそんなことが分かるわね?」
希望があると分かり安堵するルシアナだが、メロディが何をしたのか分からず首を傾げた。
「要するにソナーの原理とでもいえばいいんでしょうか」
「そなあ?」
ソナーとは、船などに設置されている水中音響機器のことである。超音波を発信し、その反射波から水中の物体や魚群を探知したり、距離や方向、深さなどの計測を可能とする装置だ。
「お嬢様の体内に私の微弱な魔力を注ぎ込むことで、それに反応するお嬢様の魔力を検知したんです。その際の速度や力からお嬢様の魔力量を推測しました」
「ちょ、ちょっと難しくてよく分かんないけど、分かったわ」
「えっと、分からないなら分からないと素直にそう言っていただいて構いませんけど」
「それで、魔力の有無が分かったら、次はどうするの?」
「魔法を使うには技術以前にお嬢様がご自身の魔力を把握する必要があります。お嬢様、ご自分の魔力の存在を知覚できますか?」
ルシアナは即座に首を横に振った。先程の検査でもルシアナの体内では魔力が反発反応を起こしていたのが、これっぽっちも何ひとつ感じていない。無味無臭無音無風である。
「でしたら、まずはそこからですね。今の検査のやり方をそのまま続けてみましょう。お嬢様に私の魔力を少しずつ流し込み、巡らせていきます。注ぐ魔力量が増すほどお嬢様の魔力の反応も大きくなっていくはずですから、いずれはご自身の魔力を知覚できるはずです」
★次回は19:00更新となります。
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