第43話 メイドの帰宅と割れたガラス

 膝の上でだらしなく仰向けになって眠る子犬のお腹を、メロディは優しく撫でる。子犬は嫌がるそぶりもみせず、少しばかりくすぐったそうに身じろぎしていた。


「持ってきたよ、私」


 使用人食堂に分身メロディがやってくる。椅子に座り、子犬を抱いている彼女には身動きが取れなかったので分身に頼みごとをしていたのだ。


 分身メロディは布の切れ端が敷かれたとう製のバスケットを持ってきた。それをテーブルの上に置くと、メロディは子犬を抱き上げて籠の中に入れてやる。


「ふふふ、幸せそうに眠っちゃって。さっき会った時とは大違いだね」


「最初は怯えていたのか随分と吠えていたものね。旦那様、飼っていいって言ってくれるかな?」


「許してもらえるといいね。まあ、ダメだったらなんとか里親を探すしかないよ。そうなったらまた呼んでね、私も手伝うから」


「うん、ありがとう」


 メロディが礼を告げると、分身は軽く手を振りながら本体のメロディの中へと帰っていった。小さく息を吐いて人心地つくと、メロディは再び椅子に座り、窓から月を眺める。

 空に浮かぶのは雲一つない満月。

 舞踏会の時には雲が掛かっていたのに、今は晴れやかだ。


「……お嬢様、遅いなぁ」


 既に深夜二時ほどになる。予め聞いていた話では、舞踏会はおよそ二時間前には終わっているはずだというのに、メロディが仕えるルトルバーグ家の面々が帰ってくる気配はない。


 何かあったのかと心配になるが、それならそれで何かしら連絡があってもいいのにそれもない。

 それどころか、深夜とはいえ街全体が寝静まってしまったかのような静けさに包まれている。


 ……実際、現在王都で目を覚ましているのはメロディ唯一人なのだが、彼女がその驚愕の真実に気づくことはとうとうなかった。

 静かなる使用人食堂に、可愛らしい欠伸の音が響く。


「少し眠くなってきちゃった。いつもこんな時間まで起きてないもんね……」


 メロディの瞼が下がり始める。


 優秀過ぎるメイドのメロディは仕事が速すぎるため、たった一人でこの屋敷の全ての使用人業務をこなしても日暮れまでには完了してしまうのだ。


 そのため中世ヨーロッパ風世界のメイドでありながら、彼女は一日八時間睡眠を実現していた。

 おかげで若さも相まって、しみ・そばかすどころかにきびも、クマすらない白くて張りのあるピチピチお肌が……話が逸れた。


 ともかく、メロディは眠気の原因を慣れない夜更かしのせいだと考えたが、事実は異なる。

 人間は体内の魔力を急速に消耗すると、心身を休ませるべく眠気に襲われるのだ。

 しかし、メロディは魔法を独学で学んでいたためそんな知識など持ち合わせてはおらず、魔法を使えるようになってから現在に至るまで、魔力を大量に消費した経験がなかった。


 ちなみに、一般の魔法使いがメロディのチートな魔法を行使しようとすると……発動前にぐっすりなのだが、まあ、今さらである。


「お嬢様が、お帰りになるまで……起きて、ない……と……」


 その言葉を最後に、メロディの首がカクンと落ちた。

 背もたれもない椅子に器用に腰掛けたまま可愛らしい寝息を立てるメロディ。


 窓から入る月の光に照らされながら、彼女は夢を見る。

 それはついさっきのこと。テーブルに眠る子犬との出会いの夢だった――。



◆◆◆



 ルシアナと別れ、馬車でレクトの屋敷に戻ったメロディだが、すぐに帰ることはできなかった。屋敷で待ち構えていたポーラに連れられて、まずは化粧を落とされた。

 あとはドレスを脱いで元のメイド服に着替えればいいと思っていたメロディだが、そのまま風呂場へと引っ張られていく。


 ダンスでかいた汗を流すように言われ、仕方なくレクト邸の風呂を使わせてもらうことに……さすがにレクトがうっかり乱入するというラブコメ的ハプニングは起きなかった。


 だが、好いた女性が自分の家の風呂を使っているという状況をレクトが思い浮かべて、何を想像したのかは……本人の心の内にしまっておくことにする。


 風呂から上がってくると、今度は食事に誘われた。もちろんポーラにである。

 どうせ舞踏会ではろくに何も食べられなかっただろうという配慮だ。

 実際、向こうでは何一つ口にしていない。


 食堂にはレクトもいた。それほど大きくないテーブルに二人は向き合った。

 ポーラに給仕され、豪勢ではないが心を込めて作られた料理に舌鼓を打つ。

 自分とはまた違う味付けに興味津々なメロディは、ポーラに料理について感想を言いながら晩餐を楽しんだ。


 もちろんレクトのことも忘れてはいない。しかし、何度か話し掛けてみるが、レクトはメロディの言葉に「ああ」とか「そうだな」などと端的に返答するだけで、会話が長く続かなかった。

 面倒臭がっているというよりは、心ここに在らずといった様子だ。


「旦那様、どうしたんですか?」


「ああ」


「美味しくなかったですか?」


「そうだな……」


 そしてため息をつきながらパクパクと料理を平らげていく……一体どうしたというのか。


「舞踏会で何かあったの?」


「いえ、特に何もなかったと思うんですけど」


「うーん、ことがショックだったのかしら?」


「どういう意味ですか?」


「気にしないで。まあ、いずれ元に戻るでしょ」


 ポーラはあっさりとレクトのことを諦める。メロディは終始首を傾げるばかりであった。

 食事が終わりひと息つくが、いつまでもここにいるわけにはいかない。屋敷に戻ってルシアナ達ルトルバーグ一家の帰りを待たなくてはならない。


「かしこ……分かった。私が送っていこう」


「歩いても帰れますけど」


「そんなことをさせられるか! 何かあったらはくし――いや、もとよりこんな時間に女性の一人歩きなどさせられない。君が何と言おうと送らせてもらう」


「わ、分かりました」


 そんなわけで馬車にはレクトも同乗し、二人でルトルバーグ邸へ向かうことに。その間、レクトは無言を貫いた。舞踏会に向かう馬車でも無口な方であったが、その時とはどこか雰囲気が違う。

 なんとなく声を掛けづらくなって、メロディも馬車の中では口を閉ざしていた。


「送ってくださり、ありがとうございました」


 屋敷の裏口に辿り着くとメロディは馬車から降り、レクトに礼を告げた。


「あ、ああ……」


 メロディは首を傾げる。レクトは馬車の扉を閉める様子がなく、あちこちへ視線を巡らせながら何かを言いあぐねいていた。


「その、メロディ……レギンバース伯爵閣下のことを……どう思う?」


「レギンバース伯爵様、ですか? ……旦那様の上司になる方ですよね。少し怖そうな印象でしたけど、優しそうな方だと思います」


「ほ、他には?」


「他ですか? うーん……」


 そう言われても、メロディはほんの少し言葉を交わしただけだ。そんなにぽんぽん思い浮かぶほどの交流はなかった。何と答えればいいのか分からず、メロディは腕組して悩みだす。


「……いや、もういい。何となく、分かった」


 レクトの口から大きなため息が零れた。


「とりあえず、またな」


「はい。またお伺いさせていただきます。ポーラともっとメイド談義を楽しみたいですし」


「メイド談義か……そうか、そうだな。ああ、いつでも来るといい」


 舞踏会から岐路について以来ずっと微妙な表情をしていたレクトが、ふと小さく微笑んだ。

 彼はそれだけ告げると御者に命じ、ルトルバーグ邸を後にした。


「レクトさん、どうしたんだろう?」


 不思議に思いつつ、メロディは裏口から屋敷の中に入った。

 ルシアナ達を迎える準備といっても、実はそれほどやることはない。

 大体はメロディが出掛ける前に済ませてあるのだ。


 とりあえずルシアナ達の寝室を確認し、次に調理場でお茶やお酒、軽い食事の準備を行う。舞踏会から帰ってきたルシアナ達が何か飲むかもしれないし、自分同様あまり食事はしていないかもしれない。帰った主達の要望に応えられるよう準備を徹底していく。


 主を出迎える準備が整ったが、優秀過ぎるメイドの手に掛かればあっという間である。

 時間を確認すると、今は深夜十二時くらい。

 確か舞踏会が終わるのはそのくらいの時間だったはず。

 それから帰るとなると、おそらくあと一時間か、長くとも二時間以内には帰ってくるだろう。


「じゃあ、それまでカトラリーの手入れでもしていようかな」


 優秀過ぎるがゆえに時間を持て余したメロディは、再び調理場へ向けて歩き出す。



 その時、二階からガラスの割れる激しい音が鳴り響いた。

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